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交代制の相対性理論

 夏休みが終わった。息子たちの背が、一段と伸びた気がする。特に長男は、新学期に持たせた上靴をその日また持って帰ってきて「入らなかった」と言った。19センチの上靴は、もう彼の足には小さかった。

 どうも、姪っ子のようだ。そうだろうと思っていた。そうであったらいいなとも思っていた。そうでなくたって、とももちろん思っていたが。

 旅行3日目の朝、夫の言動が私の逆鱗に触れた。家族の前で、増して楽しい旅行中とあって喧嘩するわけにいかないと私のなけなしの理性が叫んだために、ムシャクシャしながらもなんとかマグマの噴火を堪えたのであったが、1人美術館を歩き回って長い長い映像アートに見入っているうちに怒りの温度も自然と穏やかに落ち着いて、ことなきを得ずに済んだ。まあそのように見せかけたが、別に忘れてはいない。怒りはそんないつまでも持続しないけど、忘れてるわけじゃないからな。

 そろそろくるくると思っているとなかなか来なくて、忘れた頃に生理はくる。私が数えていれば見当がつくはずの予定日の把握をしないタイプの人間だからだろう。冷静に考えて、人は時間をかけて身体中、全身もれなくすべての部分を日々代謝し新しくしながら生きているのに、なぜ子宮という臓器だけそれに出血と痛みを伴うのか。月の満ち欠けに時期を合わせてくるのも不思議だ。そもそも、なんの規則性もなさそうに見えるこの星の毎日が、365日12ヶ月を規則正しく繰り返しているという宇宙の真理が、どう考えてもやっぱり不思議だ。私は月と待ち合わせなんてしていないのに、毎月1度多少ズレながらも必ず来るこの現象は実に不思議。その緻密さに対して、もう一方のもつ生殖器にはどうもなんの規則性もなさそうだなっていうのもなんというか実に不思議ですなあ、である。

 絶賛イヤイヤ期ピーク中2歳4ヶ月次男のしゃべくりが、日々かわいいを更新している。私が今ここで文字に起こしても可愛さは伝わらないので、書きはしないが、それはもう本当にかわいいのである。1日に2〜3度「いやだいやだ」と怒り出してどうしようもなくなる困った野郎なのだが、今日ははじめて1人で水筒のお茶をコップに溢さずに注ぎ、私に飲ませてくれた。ひーん、2歳児かわいいよう。

 火曜日はサッカー、水曜日は体操教室があり、その日はたくさん汗をかくので帰宅後長男はすぐに自分でシャワーを浴びるようになった。夜の暗がりは何をするのも怖がるが、昼の明るい時間であればもう色々なことが1人でできる。なんなら次男も一緒に入れて、一緒に髪や体を洗ってまでもくれる。これまで全く知らなかった「子供の手が離れていく」という感覚が、そうやって最近じわりじわりと指先を痺れさせてくる。待ち遠しくもあったはずだ。それでもなんだかその時は喜べもせず、愛しむでもなく、大抵あとになって私は変な顔をしている。まさに今がそうであるように。

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