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星の行列

 仕事から帰って遅いお昼を食べ、次男のオムツを替えて、ほんの少しだけ本を読んだ(石井衣良のスローグッドバイ)。お向かいに回覧板を持っていき、次男と一緒に強い風の中たくさんのシャボン玉を飛ばした。やわな筈の虹色の球体が風速のまま舞い上がる様子は思いの外力強くて、割れずに高く高くへと登ったあと青い空に透けていったのだった。9月になった途端、空はきちんと9月模様へ着替えるのだからと感心した。夕飯の支度は冷凍していた手羽中を解凍しながら「天ぷら揚げようかな」と思いつき、Spotifyでスピッツをランダムに再生しながら天ぷらを揚げることにした。4人で夕ご飯を食べ、片付けをしたりしなかったりしながら、暗くなった窓の外で、出しっぱなしだったプールが強風に飛ばされそうになっているのを見た。「片付けたほうがいいかも」と夫に声をかけると、早速庭に出ようとした夫の気配を感じた次男が「ぼくもぼくも!」と騒ぎ出す。やっかいだわと思うけれど、ダメだと言ってグズグズを長引かせるより言う通り少しでも外へ連れ出したほうがあとが楽だと考えて、「虫の声でも聞きに行こ」と裸足のままの次男を抱き上げた。

 玄関から庭の方へと降りていきながら風が強いなと見上げると、近くの空には雲がかからずに明るい星々が輝いていた。耳を澄ませるまでもなく、無数の鈴虫やコオロギ達の合唱団が「秋がきたぞ」と知らせてきている。夏の夜の生ぬるさを忘れた涼やかな風が私の髪を何度も次男の顔に叩きつけていて、視界を遮る髪をかきあげながら、私は今夜の夜空がどうも奇妙だと気が付いた。

 違和感の正体はなんなのか、咄嗟に夜空に目を凝らす。風にコンタクトが渇いて何度も霞む目を何度も瞬きさせて、そこにピントを合わせる。

 星が並んでいる。綺麗に一列に並んで、夜空を行進している。

「あれなに?周みて!なんだろう。チャン!チャン!見てあれ!星が並んでる!あれ何?!ほらあれ!」

 あれあれと語彙力なくなんとか発見を共有して、そうこうしている間にも、星の行列は私たちの真上を横切り列を乱さず昼間の空にたなびく飛行機雲と同じように、のびのびと夜空を進んでいく。飛行機にしては白く明るい光だ。ドローンかな?こんな夜に、あんなに高く飛ぶのかな。衛星?衛星があんなにたくさん、並んで飛ぶことってあるの?
 私たちの騒ぐ声を聴いて、リビングでテレビを見ていた長男も少し心配そうに駆けてきた。ふみくんもほら見て!あれ!なんだろうね…あんなの見たことない…。スマホ、家の中だ。カメラには写らないよね。
 住宅地の真ん中にある家の庭先で突如大集合して騒ぐ私たち一家になど目もくれずに、星の行列はあっという間に、それぞれの持ち場で頑なに光り続ける真面目な星達の間を真っ直ぐに横切りながら、暗い空の向こうへと消えていった。

 私たちが見たものは、スターリンク衛星というらしい。何かと話題のイーロンマスク氏の会社「X社」が提供する衛星インターネットのための人工衛星だという。数十機の衛星が一度に打ち上げられ、それらが地球をぐるりと回って宇宙へ向かう数日間の間、観ることができるのだという。
 人類が今日まで築いてきた文明、人の発明、暮らしの発展。これまでに「未来」と呼んできた様々な奇跡は、この数十年の間にいくつもセンセーショナルな最先端を通過しては過去へと流れていった。
 今日目にしたあの星の行列の発する電波がいつか私の元へも届き、新しいなにかを見せてくれるのだろうか。知らないくせにどこかで聞き齧った宇宙に増え続けるスペースデブリのことが頭の片隅を過ぎって、それだけで希望と呼ぶには自信がない。
 「ママお星さまみして。ちっちゃいキラキラのお星さまみして。」
 『一列に並んだ星 動く』でググって、一番上に出てきたスターリンク衛星という言葉を再度検索にかければ、私たちが今しがたまで珍しがって見ていた不思議な夜空の光景は、数えきれないほどたくさんの画像で見ることができたのだった。衛星ばかりを必死で見ていて、それを一緒に眺めていた子供達の表情を見られなかった。少し不思議そうな、でも訳わかってなさそうな、黒く丸い瞳はさぞ可愛らしく光っていただろう。

「もしかしたら、一生に一度かもしれないよ。」
 別にそうでもないのかも知らないけれど、今日の出来事を少しでも奇跡のようなものに近付けたくて、長男にそう言ってみた。「ママ31年生きてきて、初めて見たもんあんなの。」
「そうなの?」長男は少し嬉しそうだった。
「じゃあ、僕たちにかみさまが見せてくれたのかもしれないよね。」
 信じてもいないのに私が何かのたびに「かみさまだ」「かみさまが」と軽口を言うせいで、長男も最近、私と同じようにある事由をかみさまの出来事にすることが増えてきた。すっかり大人びた口調が、ますます私や夫に似ている。

 今日の私に星のパレードを見せてくれたのがかみさまであれイーロンマスクであれ、日々の続きに付箋を貼るような、そんなきっかけと出逢えたことは嬉しかった。
 奇跡と呼ぶほどではないものの、偶然見つけた「スターリンクトレイン」は、夫や息子に見せてあげたいと思うくらいにはきれいだった。

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