見出し画像

夫婦喧嘩

【2022年4月にさらけだすZINEピクニックvol2で制作販売したZINEの本文です】

 夫婦喧嘩をした。我が家は普段多少の揉め事はその場の会話で収めていたので喧嘩になることが少なくて、感情的な言い合いになったのは久しぶりのことだった。
 意見の違いというよりも、お互いストレスが溜まっていた結果余裕がなかったことが原因で、どちらかというとイライラしてたのは私の方だった。夫とは関係ないことや夫と関係あること、珍しく色んなタスクが私の中で積み重なっていて、頭でぐるぐる巡っては溢れ出そうになるものをあれこれと自分なりにコントロールしていたのだけど、同じく疲れを溜め込んでいた夫に話を聞いてもらえなかったことで私の心のコップにしっかりとヒビが入ってしまった。
 自身のキャパシティが少ないことを自覚しているからこそ普段頑張らずに生きる自分を許している。それに私の場合、メンタルが弱いというまでなくともフィジカルの方が本当に圧倒的に弱いので、大体いつも心が疲れるより先に体を壊してしまうのが、案外自分にとってはいい制限になっていたりしたのだった。
 今回の喧嘩のきっかけは言い合いになるその2日前、夫婦間で意見の相違はなかったある問題について、あれこれと疲弊していた私は話をただ聞いて欲しくて、もっと言えば慰めて癒して欲しいという下心を持って、夫に話をしたのであった。それに対して同じく疲れを溜め込んでいた夫が慰めるどころでなく、投げやりな態度で私を放置したことで私が思いがけず傷付いてしまった。傷口に振られた塩が痛かったので流してもらおうとしたはずが、逆に傷に刷り込まれてしまったわけである。痛くて痛くて、すぐに肩を抱いて謝ってくれた夫の顔をその日は見ることができなかった。翌日は夫の31歳の誕生日だった。

 相変わらず心が苦しかったしなんとなく夫婦間はぎこちなかったが、夫の誕生日にハッキリとした仲違いはしたくなかったのでこの日は何も言わなかった。私がパートから子供達を連れて帰宅すると休みだった夫はその日もいつも通り、私の代わりに片付けをしたり洗濯したり食器を洗ったりさまざまな家事をしながら子供達とひとりで遊んでくれていて、私はその間ずっとスマホと睨めっこだった。長男は不安定になると、母親である私にだけ当たりが強くなるが、夫がいるといつも本当に楽しそうに遊んでいる。イヤイヤ期も赤ちゃん返りも乗り越えてきたけど、幼稚園へ行き渋る息子を何度もなだめながら送っていったり、帰宅した後疲れて機嫌が悪いまま、おかしやおもちゃを買って!なんてわがままを言っては「ママなんて大嫌い!」「明日から幼稚園行かない!」「じゃあもうぼくがおらんくなってもいいと!」と続く泣き言を本人の気が済むまで聞いて過ごすサンドバッグにならなければならない。最近は次男が歩き始めたり色々わかるようになって来てお兄ちゃんの真似をして遊びたがり、長男の邪魔をしてしまうことも増えたので長男の怒りが次男へ向くことも少なくない。それを仲裁するたびに長男は私への精一杯の甘えやSOSをその体めいいっぱいの激怒でお見舞いしてくれるのだ。私にその全てを受け入れる余裕や大きな心は持てなくて、大抵の場合ただ心をすり減らして疲れている。堪忍袋を守ることも出来ずに無視をしたり、大人げなく息子を怒鳴ったりして傷つけている。夫がいる日は「ああやっと子供達から逃げられる」という母親としては向き合いたくない自分の情けない本心を隠して、私はいつまでも訳ありげにスマホを眺めていた。
 ただ、今日スマホから目が離せないのには本当に他に理由があったのだ。昨日夫と共有しようとした問題のことだった。その問題に私が向き合うことは夫のためでもあるという思いと、夫の誕生日に色んな負担を夫に強いてスマホを握る一抹の罪悪感と、それでも立ち消えない昨日の夫へのマグマのような苛立ちと、とにかく色んな想いが渦巻いてる。夫へは明日話そうと思いながら今は今で、もうすでにいっぱいいっぱいだった。産休から仕事に復帰して2日目な上に長男も新学期にナーバスになっている。時間も金銭的にも余裕がないことを理由に夫の誕生日を祝う用意もプレゼントもなく、なんなら夜ご飯すら考えておらず、その日は夫が外食に連れて行ってくれた。「誕生日なのになにもなくてごめんね」というと「別にいいよ、去年も何かしたかって覚えてないし」と笑いながら夫は言った。夫はその日ですら、確かに私を気遣ってくれていたのだった。

 次の日の夜夫と話そうと決めていた。いや、「もう夫になんか話すもんか」という気にもなっていたが、状況的にそういうわけにもいかなかった。そのせいなのか正直なにを話したいのかよくわからない。今はまだ、2日前の憤りが胸で燻っていて、ただこの問題を、そしてそれに私は苦しいながらにここまで一生懸命向き合ってきたのだと、夫に突きつけてやろうと思っていた。
 冷静でいようと思ったが、考えてみれば私ははじめから感情的だったし、腹が立っているそのことを分かって欲しくてたまらなかった。そんな態度を明け透けに話すので、夫の方も段々とイライラしてきていたが私は怒りを止めなかった。そんな私に夫が最後、「この前のことは俺が悪かった。ただ、できることはやってきたし俺も本当に疲れてた。…それに」そう言って言いにくそうに、私に対し不満があることを口にした。いや、不満はお互い様だろうし、こんなことを言っても仕方ないけど、と、それ以上を言うことを躊躇った夫に「言いたいことがあるなら言ったら」と、私の方から捲し立てた。夫が言いたいことがなんなのかわかっていた。今は絶対に言われたくなかったけど、私の天邪鬼が止められなかったのでそう言った。
 要は生活のことだ。夫に甘えて子供もおざなりに自堕落に自分勝手に振る舞い続ける私の行動のことや、夫の気遣いを当然として無視し夫を気遣わない私の言動のことだった。自覚していたので私はそれ以上何も言えなくなり、「ごめんなさい」と言ってからはもうただただ泣いていて、そんな私を夫は一生懸命慰めていた。

 夫が人に対して、「貴里は自分の機嫌を取るのがうまい」と言ったが、確かにそう。私は自分自身の機嫌を日々なんとか取りつつ心の平穏を保っている。でもそれを聞きながら私は複雑な気分だった。私が自分でご褒美を買えるわけでもない。一人で何も考えないでどこかへ出かけることもできない。私が私の機嫌を取るためには対価が必ず必要で、私はいつもその代償として「夫の献身」を犠牲にしている。そしてそのことを頭のどこかでわかっていながら無視し続けて、それで私たちはうまくやってる、私は夫に愛されていて、私たちはいい夫婦だなんて思い上がっていたのだった。私が夫に何もかも背負わせないがしろにして甘え過ぎていることも、夫に疲れと不満が溜まっているだろうということも、どこかでちゃんとわかっていながらやり過ごしてきた。そのことをいま擦り傷だらけの胸に正面から突きつけられて、なんだか本当にヤになってしまった。私が泣くのは、溜めていた宿題を責められてバツが悪い子供と同じなのである。ただ反省して泣いてるんじゃない。反省しながらこの期に及んで、いまだ夫に苛立っている。
 そんなこんなでZINEに書いてさらけ出した私の生活の成り立ちは、急転直下で覆ってしまった。私は許されているとあれに堂々と書いたのだから。むしろ書いたことこそ私の傲慢だったのかもしれない。あれは既成事実とも言える。ああやってわざわざ文章にして、夫に「そういうものだよね」と知らしめておいて、私は堂々と今の生き方を肯定できた。なにもかも私にとって都合のいい解釈でしかなかったわけだ。そのことに気付いて嫌になった。何もかもがいやになった。しかも、ZINEの終わりにはっきりと、「自分のことを嫌いにはならない」なんて書いておきながら、これを書き殴る今、自分のことがまあまあ嫌いである。

 散らかしたおもちゃを片付けなさいと怒った私に「ママが世界でいちばんダイキライ」と怒り出す息子の気持ちがよくわかる。夜泣きして、四肢を振り乱して私を殴り倒しながら抱っこを拒否する息子の気持ちがよくわかる。すべてを私のせいにして、そうしないとたまらない気持ちに苦しんで、地団駄を踏んで大泣きする、息子の気持ちがいま、本当によくわかる。大人だし、親だし、30歳だし、「私なんか要らないのね」なんてことを言うつもりはない。この思いが恥ずべきことだと理解している。それでも消化しきれない、日々の疲れと降り積もった小さな擦り傷を理由に、いまはただそんなダメな私を許して欲しい。私にそれを求め続ける4歳の息子と同じように。私のこのやり切れない感情の正体は、欲求不満の子どものわがままに過ぎない。

 知り合って15年、付き合って12年、結婚して8年経った。夫婦の在り方がわかりはじめてきたなんて感じてたところだった。夫は私以外の女性とは絶対恋愛できないだろうなんて思っていたが、こと結婚についていえば夫は誰と結婚してもいい夫だったろうと思う。反対に、私は恋愛なら他の誰かとも出来たかもしれないが、私は夫以外の人とは生活を育めなかったというような気がする。ここ数日はなぜか空が燃えて逃げまどう夢やビル火災に巻き込まれるといった地獄みたいな夢ばかり見ている。布団に潜むダニのような小さな要因が日々自分を蝕んでる。今日、職場の託児所に息子達を迎えに行って、夕飯のために買い物をして帰ろうと言うといつものように長男が次々と小さな小さなわがままを言っては私を許してくれなかった。長男が悪いわけではないのに、その言葉で泣いてしまいそうで、買い物を取り止めて家に帰った。帰宅後もしばらくは悪態をついていたが私がいつまでも顔を上げないのを見て、長男は「ぎゅーしてくれないと許さない」と言って抱き締めさせてくれたのだった。その後息子達におやつを食べさせていると、「ママにハートあげる。」と長男が私にお菓子を手渡した。色々な生き物を象った「キャラパキ解体図鑑」というチョコレート菓子は、袋を開けると板状のチョコレートにカメの絵が描いてあった。カメの中心部に、さも大事そうなピンク色のハートがある。息子はチョコのカメの心臓を、私にくれようとしたのだった。ハート型の端には、手で綺麗に割れなかったのか前歯で齧った跡がある。それをみて本当に少し心が軽くなった。息子が私を許してくれた。私のために惜しまずなんでも差し出そうとしてくれるその優しい手が夫とそっくりである。ダニもいれば薬もあるのが生活なのだ。たくさん食べて、よく眠ろう。夫婦喧嘩で私は心に思わぬ大ダメージを受けたけど、夫は私を責めたわけではない。珍しくいつまでも沈んでいる私を心配して、夫はまた改めて私に向かい謝ってくれたのだった。生活についての不満はいつも感じているのではない、貴里は今まで通りでいい、自分がキツイと思ったらそのとき言えばよかったことをあの場で持ち出した自分の方が悪かったのだと。夫はいつもそうなのだ。夫のことはわかってる。夫も私のことをよくわかっている。いつもはわかる私のことを、いまだけ私が見失っている。
 落ち込む気分に抗わず、涙を流し鼻をすすりながらZINE制作の作業をしていたら、夫が一緒に手伝ってくれた。理沙にそのことを言うと「そのエピソード含めての作品だね」と返ってきた。確かにこのエピソードがないと今作っているZINEだけでは、とても出せない気がしてる。
 手際のいい夫と一緒だととにかく作業が捗って、何日も分けて行うつもりだった作業のほとんどが一晩で終わってしまった。こんなに気持ちは沈むのに、やっぱり私たちはいい夫婦といっていいかもしれない。

 許したり許されたりして8年きた。これからもいつまでも、きっとこうやって私たちの夫婦喧嘩が続いていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?