実家の猫の旅立ちが近い。
21年生きてくれた。

9歳の頃私が拾った。
近所の公園に住み着いていた野良猫が産んだ子猫で
名前もないクロワッサンくらいの大きさの2匹をタオルと一緒に家から持ってきた紙袋に入れて
ドキドキしながら連れ帰ったことを忘れない。

同居していた祖母は北海道旅行に出掛けていた。
帰宅して猫をみた祖母は私たちに呆れていて、もちろん怒っていた。
お土産のラベンダー味のキャラメルの不味さを忘れない。

筑紫の、私たちのあの家で
風邪をひいていて目やにと鼻水でぐちゃぐちゃの顔を拭いては、小さな注射器で猫用の粉ミルクと砕いた薬を飲ませてあげたはじめての日々を忘れない。

拾った日の翌朝に、テレビでアニメの東京ミュウミュウがやってた。
猫の名前はいちごとみんとになった。
穏やかな性格で優しく、丸い黒い大きな瞳が本当に天使のようだったみんちゃんと、
意地の悪い目付きと白い靴下履いたみたいないちの毛色。
古い一軒家にノミが大量発生してしまって、
家族揃って足中虫刺されまみれになったことも忘れない。

数ヶ月経った頃、遊びにきた男の子が2匹を見て「子猫じゃないじゃん」って言ったこと。
毎日見ていて気づかなかったけど、猫たちは大きく成長していたのだと知ったあの時を忘れない。

引っ越しをしたこと。みんちゃんを介護し、看取ったこと。いちはどんどん丸くなり、甘えん坊になったこと。

自分のことが大嫌いだった中学生の頃
猫は私の膝の上でぐるぐると喉を鳴らしていた。
お気に入りの服におしっこされて怒った私が感情任せに怒鳴っても
器用に前足でドアを開けて、何度も私の部屋に入ってきた。

高校生の頃、毎朝目を覚ますといつも目の前に大きな尻があった。
埃っぽいその尻に顔を埋めて起きる朝が好きだった。

寒い夜、冷えた体で帰宅して、敷きっぱなしの布団の上で
コートもマフラーも脱がないまま、いちを抱きしめて鼻先の暖を取るのが好きだった。
外にも出ない家猫のくせに、いつもお日様の匂いがした。

私が京都へ出た時、
そして結婚して出て行った時、
あとは妹が家を出た時も
家族が家を出るたびに、その度毎回ストレスで自分の毛を毟ってしまって
口の届く範囲のお腹がどんどんツルツルに禿げていた
それがやたらときれいなピンク色の肌をしてて、そこだけすごく寒そうで、可哀想なのに無性に可愛いかった。

私は30歳になったよ。
お前は21歳になったね。
結婚相手が酷い猫アレルギーだったことは許して。
息子たちもお前のことが好きだよ。
私もずっと好きだよ。

もう、一緒に暮らさなくなって何年も経つ。
私が紙袋に入れて持ち帰ったクロワッサンは、
いま母の暮らすアパートで、もう食事もとれないで
すっかり痩せた体を母に預けて動かないでいる。
結局母一人がいまその時を目前にしている。
「もうおじいちゃんだから、そろそろ覚悟はしてたよ」だなんて
私が言うのがどんなに間違いで、ひどいことであるかと痛感している。
結局猫を育てたのもこれまで世話をしこの時を迎えているのも母だ。
いちはこんなに長生きしてくれた。元気なままで。

猫が私にくれたものの大きさを考える。
穏やかに静かに、
私のいちが最期を迎えられますように。

私は私の家で、猫の匂いがしない私と息子たちのベッドの上で、
またあの毛むくじゃらの温もりを忘れまいと思い出してる。
私たちが幸せであった分、
猫も幸せであったと誰かに証明して欲しい。

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