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それぞれの元日

 年が明ける時の浮ついた気分の高揚、30過ぎてもあるものですね。40になっても、50になってもあるかしら。勤めている病院の病棟ロビーでおしぼりを畳みながら、テレビを見てた102歳のエツコさんに「年が明けたねえ、おめでとう」って話しかけたら「アン、ばかばかしい」って一蹴されたけど。

 お夕飯にお蕎麦を湯掻いて、私の好物の天ぷらを山ほど揚げて食べ、食後間を置かず家族でドヤドヤと年内最後のお風呂に入ったら、始まったばかりの紅白歌合戦にテレビのチャンネルを合わせて大皿に山盛りにしたお菓子を用意する。子供たちにもジュースを注いでやって、「今日だけは夜のお菓子も夜更かしもいいんだよ」と言うと、長男は「パーティーだ!!!」と何故なのかリビングの電気を消し部屋を暗くしようとする。彼の中に、パーティーとはとにかく暗い部屋で行われるものであると言う微妙な認識が芽生えている。「待って待って、消さないでいいよ。年越しは明るいパーティーにしよう」そう言ってまた明かりをつけなおした。私が育った松本家で年越しというと、…両親の離婚後、母の実家で祖母や叔母、従兄弟たちと過ごした年越しということだけれど、それがとにかくお菓子と紅白歌合戦であったのだ。仏壇のあるお座敷部屋に、一番大きな座卓を置いて。座布団に座って、グラスにコーラやオレンジジュースを注いで。従兄弟たちとするUNOの合間にもテレビ画面の下の歌詞字幕に釘付けになる小学6年生の私。31歳の私には今日日の流行りの歌や歌手がわからなくても、大晦日であるからにはテレビは紅白歌合戦を流していなくてはならない。石川のさゆりちゃんや坂本の冬美ちゃんがいつも通り、天城越えや津軽海峡を歌っていればそれで良い。なに?今年の冬美はひばりのお祭りマンボなの?まあいいじゃない、それはそれでいいじゃないさ。
 夫と結婚して2年目のお正月、義父が「2年目は嫁さんのお家に帰るといい」と言ったので、とはいえその時すでに母は1人アパート暮らしで実家と呼べる家はなく、今はなき筑紫の一軒家に代わり我がご先祖の仏さまを預かってくれているということで叔母のマンションへ、母や妹と共に夫を連れていったことがある。(1年目は、夫がいつも正月を過ごしていた義父の実家のある大分へ私も一緒に帰った。)酒に気持ちよくなった松本家の女たち(主に母と私)のテンションが冬美の津軽海峡で最高潮に達し、いてもたってもという勢いで立ち上がってはそれぞれリモコンやスマホを片手にこぶしを効かせて大声で熱唱し踊り出す霰もない姿に、夫はシンプルに、そしてとても素直にドン引きをしていた。「女しかいないっていうのはこういうことなのか…」というこれまた微妙な認識を感想として呟いていたがそこに男がいようと(実際従兄弟の中には男もいるのだ、鳴りを顰めていただけで)私たちの大晦日に対する意気込みや向き合い方はこうと決まっているのだ。要するに場所が夫や息子たちと暮らすこの家になったとて、私は変わらず年の暮れというものをこうやって過ごすつもりなのである。1人でもね。
 残念なことに、今年は年末(誕生日前後)に体調を崩したばかりであったので、お酒は夫に付き合ってほんの少し飲んだだけにとどめた。それでも私はほとんどよく知りもしないお祭りマンボを1人小気味よく口ずさみ、普段アニメばかり見ている長男が「おうたのてれびつまんなーい!」と文句を垂れても私はひとり、大晦日の雰囲気を体中で感じ取ることにただただ夢中になっていた。
 昔から私は音楽番組が大好きなのだ。好きな歌が歌われる番組はビデオデッキで録画して、歌詞を読みながら何度も聞き、歌を練習した。いまはもう、ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯は子供の寝かしつけのためテレビを消してしまうし、寝かせた後もネット配信ばかりをみるせいで番組を観ることがほとんどなくなった。
 それでも何かの折に耳にしてきた流行りの歌を久しぶりにじっくりと歌詞の字幕を読みながら聴いていると、私は読書している時のように簡単に歌の世界にのめり込んだのだった。「へえ、この人こんな詞を書くんだなあ」「いい歌詞だなあ」とアーティストその人に感心している。そうやって文字を目で追いながら歌を聴く感覚、その感触に懐かしさを覚えながら、例えばテレビに限らなくても昔はCDを聴きながら歌詞カードを読み耽ったり、案外私の文学体験ってこうして音楽から得ていたものも大きかったんじゃないかなあ。なんてそんなことを考えていた。
(追記:だからなのかはわからないけど、思えば私の価値観て、割とめちゃ大衆ポップスなんだよね。)

 結局長男は11時をすぎると目を擦り始め、年越しを待たずに眠ってしまった。そうして長男を寝かしつけたあとリビングに戻ると、こちらはこちらで次男を寝かせた夫が1人ソファに座ってテレビに向き合っていたのだった。
「あら、周も寝ちゃったん」
「きりたちが寝室行ってすぐ、自分でねんねーっつってすぐ寝たよ」
「眠かったんだね。」
「去年より早かったね。」
「去年は紅白終わってから、寝ちゃったんだったね。」
 そんな会話をしながら、見損ねた間の流れを探り探り紅白を見る。もうそろそろおしまいになるころだ。
 子供がいなくなったリビングは急に静かだ。夫と私はおしゃべり同士の夫婦だが、それまで2人の間で絶えず話題の種を振り撒いていた息子たちが突然こうして居なくなってしまうと、その途端すべての話題を取り上げられたようにお互いしんとしてしまう。それぞれにテレビを見たり、スマホをいじったりしているうちに白組の勝利が告げられて、画面は『ゆく年くる年』へと切り替わったのだった。
「ジャニーズカウントダウン」
「え?」
「ジャニーズカウントダウンに変えて」
 リモコンをそばに置いてスマホを見ていた夫に告げる。紅白が終わるとジャニーズカウントダウンで年越しの瞬間を迎えるのが、松本家のお決まりの流れなのであった。
「これを見ながら、みんなで年越しの瞬間はジャンプするんだよ」
「うへえ」
 立ち上がって冬美を熱唱する私や母のことを思い出したような顔をしながら、夫はチャンネルをジャニーズカウントダウンに合わせてくれた。
 夫の家では、大分の実家で年越しそばを食べたあと、年を超える少し前に懇意にしている近くの寺へ除夜の鐘を突きに行くのが定例であったという。なんとも厳かである。そうやって鐘の音の響く暗い寒空を、静かに家族と歩いて過ごすのが大晦日であるとするなら、私に向けられた苦々しい微妙な顔も無理あるまいと思う。私だって結婚してすぐ一緒に帰省した際、そうして初めて除夜の鐘というものを突いたときには、「これが諸行無常かあ。情緒的で、良いものだなあ。」なんて新鮮に思ったもの。

 そんなことで私と結婚するまではジャニーズカウントダウンなんて見たことなかった夫であるが、とはいえ夫も実は結構、アイドル好きみたい。次々と画面に映し出されるジャニーズの男前たちについて、「この子かっこいいよね」「この曲いいよね」なんて話題を見つけて話しているうちに、カウントダウンの時が来た。
 なんとなく見ているとあれよあれよとカウントが0になり、コンサート会場にたくさんの紙吹雪やカラーテープが舞い上がった。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」
 ソファの上と下で、小さな声で挨拶をした。
「あ、ジャンプするの忘れてた。」
 本当に忘れてた。ぼーっとしていただけなのに。まあ正直、キラキラ輝くジャニーズ達がいくら画面ではしゃいでいたとしたってそのこちら側のこの静かなリビングで、覚めた顔でソファに横たわる夫の見ている目の前で、私はジャンプするとして、どんな顔して飛べばいいというのだろう。
 0時を越えたからと言って、年が2023年になったからと言って、私も夫も動きはしない。これまでの時間の流れのままに私たちはそれぞれ話題を探しながら時々ぼそぼそ会話して、眠くなるまでの時間を過ごしていたのだった。

 寝室に行く前には、明くる朝に松本家で作っていたお雑煮を再現して夫と息子らに振る舞うため、鍋に昆布を泳がせるのを忘れないようにしなければならない。お屠蘇もおせちも用意はないが、いつか息子が「俺ん家の正月は」って誰かに語る時のため、我が家なりの正月というものを年々固めていく必要がある。がめ煮は煮たし、黒豆は義母が分けてくれた。朝出汁の効いた卵焼きと筍ごはんを炊き、元日の食卓を作る計画をしている。
 とりあえず近い将来の年越しでは、息子とジャニーズを見ながらジャンプすることを目標とする。どんな顔して飛ぶのかは、それを眺める夫のみぞ知るところである。

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