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逆上がり

 2023年1月1日、私は出来もしない逆上がりに挑んだ。2度、思い切って握る鉄棒を引き寄せて、足を思い切り空の方へと蹴り上げた。つもりだったが、案の定私の肘は私の49キロにあっけなく伸び、ただ地面にどべちんどべちん、と情けなく重そうな足の落ちる音が響いただけだった。夫は笑って「腕の力がなさすぎる!」とお手本交えて私を指導しようとしたが、「い、今までで一番惜しかった気がする!」と、31歳になったばかりの私は思っていた。

 家の近所の小さな神社に初詣へ行った帰り道、家へと登る坂の途中のすべり台と鉄棒とブランコだけがある錆びた公園に、息子たちが駆けて行った。長男は今、幼稚園で鉄棒を練習していて少し前に前回りが出来るようになったばかり。出来なかったことが出来るようになることなんて、もう自分では何年も経験していない。そんな私に我が子の進化体験はこれまでも何度も私の親心をツンとつねって震わせてきやがった。
 私は鉄棒が嫌いだ。走るのも嫌い。跳び箱も、縄跳びも、球技も水泳も嫌い。子供の頃から一貫して。嫌いな理由は一つ。出来ないから。出来ないから嫌いなのである。
 逆上がりも、出来ない。出来たこともない。かといって一生懸命になって練習したこともない。そんな私がこの間、息子のサッカー教室の先生に「逆上がりの教え方」を教わった。親というもののなんと面の皮の厚い傲慢チキであることだろう。
 鉄棒を下手に持つ息子の、正面右下に位置を構えて腰を屈め、合図と共に地面を蹴る息子のお尻と脚を持ち上げ、なんとか逆上がりの形へと連れてゆく。先生に教わったポジションとモーションである。私と同じで何度やっても肘が伸び体も脚も一緒になって下へ落ちていく24キロの息子の半身を、半ば無理やりに引っくり返す。
 おへそみて!
 肘曲げて!
 高く蹴ったらお腹に力入れて〜〜〜!!
 はい回れ〜〜〜!!
 ご近所中に私の声が響き渡る。

 横で見ていた夫が調子に乗ってきた。「俺ちょっとやってみようかな」と言い出したのだ。息子の鉄棒よりももっと高いところを握り、「待ってよ待ってよ…」と動作の確認を始めた。私と違って逆上がりは出来たそうだけど、少なくとも十数年ぶりに回るつもりで鉄棒に向き合ってみると、「こええ」と何度も躊躇っていた。
 それでも夫は回ったのだった。足を蹴り上げて腰を鉄棒に乗せ、振り上げた足がてっぺんで止まった。回り切るのにまた一層渾身力を振り絞る様子をみせて、なんとか夫は一回転してスタン、と地面に着地した。
「できた!俺すごくない!!」パパすごい!と長男が言った。すごいね、どっこも痛めてない?と私が言った。夫はもう一回逆上がりをした。同じように、また空中で一度止まったものの、なんとか今回も成功させた。
 「身体は動きを忘れてないのに、身体が全くあの時と違うわ〜」というようなことをそれでも少し得意げに言う夫のことを見ているうちに、思ったのだった。「私もやってみようかな」と。

 子供の頃から本当に一度もできたことがないが、そもそも私は逆上がりを練習したことも教わったこともない。息子にこうするんだよと大きな声で言い、夫のギリギリの逆上がりを見ていると、なぜ自分が出来なかったのかというのが理屈でなんとなく分かったような気がしたのだ。
 分かったのだったら出来るんじゃないか?そう鉄棒を握ってみた。夫がやったように、自分の蹴り上げる利き足を左右と確認し、蹴り上げる高さの目標を空に描き、脇を締めた。ヒヤリと硬い感触の手のひらに、子供の頃何度やってみてもただ腕にズシンと落ちてくるばかりだった自分の身体の敵わない重さが蘇ってきた。胸がドキドキしてきた。いや、でも。めちゃくちゃ、腕と肘に力を入れたら、いけるんちゃうか?
 そうやって新年早々私は逆上がりに挑戦したのだった。そしてあえなく失敗。息子たちは鉄棒に飽きてすでにすべり台を登っていて、母のその様子を見ることもなかったのだった。

 どうしてこのエピソードを文にまとめて書いたのかというと、最近文章を読んだり書いたりするとき感じる自分の心情に、ついさっき急に『重い脚が落ちて成功に届かない私の逆上がり』を連想したからだった。
 真っ直ぐに伸びた脚の動線がふわりと弧を描けば、あとは重力が私を着地へ導いてくれる。その軽やかなイメージはいつだって頭の中にハッキリとあるのに、私の脚は鉄棒よりも重い。いつだって青い空をかすりもせずに、砂埃を大袈裟に散らかして私の2本の脚は「どべちんどべちん」と地面を鳴らすのだ。その「届かない感」が、いっつも私の心にある。努力を無視した後ろめたさや仕方のなさとセットになって。

 たった2回の挑戦は私に確かで新しい心象風景を残した。情けなく切ない種類の。枯渇しつつある感性に、久しぶりにタイトルのついた一枚絵。
 翌日から4日続いた上腕部のひどい筋肉痛と肩の張りが十数年の時の流れに代えられたお土産であった。

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