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すべてが愛だとわかったとき、すべてが終わり、すべてが始まる。

「すべてが愛だとわかったとき、すべてが終わり、すべてが始まる」
今朝受け取ったメッセージ。

どの人も地球に愛を体験しにやって来てるんだな~と思うと愛おしくなる。

もう自分の外を探し回らなくていい、自分のタイミングを信じるだけでいい。
信じ切ることが力になって宇宙からメッセージが跳ね返って来る。
目の前にあるものの豊かさに気付ける感受性を洗練させる。

まだ見ぬ未來に放つ矢はもう的を射貫いている。
そのことを知っているのは明日の自分、わたしのいのち。

詩が宿す時間は端っこが見えない。
からだは感じることができない悠久の時を言葉は歩いている。
その足音さえ聴くことができないからだに何ができるのか?
その答えを探す旅にでかけよう。

ことばとからだ

いつか言葉にしてみたいと思っていた世界が自分の内側から迫り上がって来る。
その世界に暫し身を預けてみよう。

自分の外側の宇宙と内側の宇宙は常に呼応し合い、自分だけの音楽を奏でている。誰の音でもない、誰とも違う唯一無二のわたしの調べ。

内側の宇宙と外側の宇宙を隔てる壁はなく、膜もない。吐くと吸う、吸うと吐く、呼吸と同じようにただ循環しているだけ。どんなときも内と外は同じ広がりを保っている。

からだとことばが一緒に息をしている。
そういう風に書いていく、書かれていく、読んでいく、読まれていく。
食べる、飲む、眠る、踊る、ふれるように書いていく。

自分が求める言葉は自分から生み出されていく。
自分の言葉が創り出す世界に人を招き入れる。

自分の言葉が息をし始める。
その瞬間を見届けるわたしが傍にいる。

自分が自分とちゃんとつながれば、自ずと世界は宇宙に向かって広がっていく。

自分がちゃんと自分とつながる前に外的環境と接続してしまうと周囲が期待する自分を生きる羽目になってしまう。周囲が求める自分を極めれば極めるほど自分との接続が絶たれて、もう本来の自分に辿り着くことができなくなる。

ギリギリのところで引き返したんだな。自分の言葉が自分を連れ戻したのだ。

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毎朝、起きてコーヒーを飲みながらタイピングする。まだ心も身体も今日という日にちゃんと接続してなくて、夢の続きの中にいるみたいな感じになるときがある。そんな朝は決まって、言葉がするすると流れて降りてくる。

これはひと月ほど前に書いたものをリライトしたもの。自分が書いたものを少し時間が経ってから読み直すと色々発見があって面白い。

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