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短編小説【ソフィの夢】後編

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【ソフィの夢】後編 (約10700字)
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 町が深い雪に覆われる頃、ようやくチリン屋がやって来た。チリン屋は来る年と来ない年がある。今年はもう来ないのではないかと町の人々は噂していたのでタミィは随分と気をもんでいた。
「俺たちも、村でチリン屋と話すことは滅多にないんだ。あいつは…人とあまり交流したがらないんだよ」
 珈琲屋と焼き菓子屋の兄弟は、そうタミィに言っていた。
「でもあたし、今年はどうしてもチリン屋さんに来てほしいの…」
「そうだな。ラララ屋の花とジャム、あとはチリンがおばあちゃんには必要だって言ってたものな」
 兄弟たちも今はタミィのことをよく知っていた。
「チョコチップクッキーと珈琲もおばあちゃんを元気にしてくれたわ」
 タミィは心からそう言った。タミィは巾着をせっせと作り続けていたけれど、兄弟がいつもそれ以上にタミィによくしてくれていることもわかっていた。
 双子はそっくりな顔でにっこりと笑った。
「俺たちだってタミィに元気をもらってるからな。巾着のおかげで今年の売れ行きはすごくいいし。なぁ」
 珈琲屋の兄はそう言って弟の肩をポンポンと叩いた。
「うん」
 弟は相変わらず無口だったが、めずらしくこう言い足した。
「チリンは整理するんだ」
「整理すると…おばあちゃんの病気が治る?」
 タミィがそう聞くと、兄が引き継いで言い足した。
「なにが起こるかはわからないけど…チリンが整理した結果は一番いいことなんだよ」

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 (おばあちゃんの夢)

 トマスが戦地から帰って二十年、ソフィたち一家は貧しいながらも幸せに暮らしていた。
 休戦協定も守られ、このまま平和が続くかに見えていたが、ユーリが二十三歳の誕生日を迎えた翌月、国王が協定を破り戦争が再開してしまった。ユーリは結婚したばかりで、妻のサラのお腹にはタミィが宿っていた。
 トマス、ソフィ、ユーリ、サラ、そして間もなく生まれてくる赤ちゃん…、みんなでいつまでも幸せに暮らしたいと願っていたのに…。男たちは戦争に駆り出されることになった。

「ああ…また戦争が始まるなんて…」
「おかあさん…」
 ソフィとサラは抱き合って泣いた。とりわけ自分と同じ辛さをあじわうであろうサラの気持ちを思うとソフィは胸が締め付けられた。生まれてくる赤ちゃんの顔をユーリは見られないかもしれないのだ。
「大丈夫。戦争はすぐ終わるさ。僕は帰ってくるよ。親友からお守りももらったし」
 ユーリは腰に付けた巾着袋をポンポンと叩いた。
 しかし戦争は激しさを増し、出征した二人からの連絡も途絶えた。
 サラは無事にユーリの娘のタミィを生んだけれど、それからさらに三年間戦争は続いた。
 その頃には、もう勝っても負けてもどっちだっていい、とにかく終わってほしいと誰もが願うようになっていた。そもそもソフィとサラには戦争の原因がなんなのかさえわからなかった。それは他の人々にとっても同じことだった。長く続く戦争でどちらの国も疲弊しきっていたし、とりわけソフィたちの国には敗戦の気配が色濃く漂っていた。

 春になれば…昔のように戦争が終わって、二人とも帰ってきてくれるのではないか。そうなればたとえ貧しくたっていい、生きてさえいれば、とソフィは思っていた。
 明日には手紙がくるかもしれない…。
 タミィを抱いてソフィが外に出ると、空は青く晴れ渡っていたが、まだ雪は深く春は遠かった。

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「昨日はあまりいい夢ではなかったわね…」
 おばあちゃんは涙をぬぐって小さくつぶやいた。でもタミィには言えない。そろそろミモザの効力が切れてきたのだろうか。

 でも…、考えようによってはいい夢だったのだ。 
 現実では最初の戦争が終わった後、トマスは帰ってこなかったのだから。
 だから本当はトマスはユーリの顔も見ていないし抱いてもいない。ソフィはたった一人でユーリを育てたのだ。
 でも夢の中では戦争から戻ってきて二十年も一緒に暮らせた。それだけでもいい夢だった。ソフィが経験したかった、家族との夢の暮らし。
 それなのに夢の中でもまた戦争が始まるなんて…。どうせ夢なら、あのまま幸せに暮らし続けたかった。みんなでタミィの誕生を喜び、成長を見守って静かに暮らしたかった。

 ソフィはなにも特別なことは望んでいない。普通のこと。ふつうのことだけを望んでいたのだ。

「おばあちゃん…泣いてるの?」
 ハッとして顔を上げるとタミィがドアのところに立っている。
「なんでもないよ、目にゴミが入ったの」
 タミィはだまっていたけど、急がなきゃと思った。おばあちゃんのために。今日はすぐにチリン屋さんに行かなくちゃ。
 珈琲屋の兄は、チリンが整理した結果は一番いいことだと言った。タミィには最初からわかっていたのだ。おばあちゃんには花とジャムとチリン、これらが必要だと。理由はわからなかったけれど。

 タミィが夜明けとともに広場に着いた時、昨日の夕方着いたばかりのチリン屋はもう店を開けていた。
 あまり交流したがらない…珈琲屋の兄はそう言っていた。怖い人だったらどうしよう…タミィはどきどきしながらチリン屋に近付いた。
「チリン屋さん…、おはようございます」
 タミィはできるだけ大きな声ではっきり挨拶した。怖い人というのは、小さな声をきらうことが多いから。
 チリン、と音がした。でも誰もいない…ように見える。
 チリン屋は姿が見えない人なのだ。

 タミィの国では五十年に一度、姿が見えない人が生まれる。たしかにいるのに見えないのだ。そのように生まれた人はチリン屋になることを運命づけられている。首、手首、足首の五か所に鈴をつけることも義務付けられる。そうでないとどこにいるかがわからないから。
 そしてチリン屋が商うのは鈴。しかしラララ屋がドライフラワーを売りながら実際には『夢』を扱っているように、チリン屋が売るのは鈴だけれど、扱っているのは『整理』だった。
 その人にぴったりの音を出す鈴を選び、その人を本来の理(ことわり)に沿って整えるのだ。

 チリンは、『整理』によって目に見える表面的な問題を解決するとは限らない。時には一時的に悪化したように見えることもある。想像もしていないことが起こることもある。しかし焼き菓子屋の弟が言ったように『チリンが整理したことは一番いいこと』だと皆信じていた。どんな時代にもたった一人、その仕事ができるのが『姿が見えない人』チリン屋なのだ。

 とはいえ、全ての人が『整理』を求めるわけではなかった。『整理』は予測がつかない。起こった変化が苦痛をもたらすこともある。それに、たとえ一番いいことになろうとも、それは全体から見ての『いいこと』であり、その人の私利私欲が満たされるとは限らなかったのだ。
 理とはそういうものだ。

 しかしタミィはチリン屋の鈴が絶対に必要だと感じていた。おばあちゃんに、どうしても必要なのだ。理由はわからなかった。でも…タミィはそういうことがわかる子どもだった。
 宙に浮かんだ(ように見える)鈴がタミィの頭上で揺れる。チリン屋が振り向いてくれたようだ。タミィはがんばって大きな声で言った。
「チリン屋さん、おばあちゃんのために…鈴をください」
 タミィは続けて、おばあちゃんの様子や状況を語った。家にはおばあちゃんとおかあさんしかいないこと、おじいちゃんとおとうさんは戦争に行ったままであること、寝たきりのおばあちゃんがいて、ミモザとジャムとクッキーで元気にはなってきたけど病気はまだ治っていないこと、そのおぱあちゃんが今朝は少し泣いていたこと、そして理由はわからないけど、どうしても鈴が必要だと感じること…。
 話が終わった後、タミィの頭上でしばらく鈴が微かに揺れていた。チリン屋さんが考えているみたいだった…。

 チリン。鈴が鳴った。
 それが了解の合図だとタミィにはわかった。どんな鈴を選んでくれるのかしら。お金は足りるかしら…。巾着をたくさん作ったタミィの手にはまだ銅貨が三枚あった。考えてみたら、花もジャムも手に入ったのにお金が減っていないのは不思議だった。

 しばらくするとタミィの目の前にかわいらしいピンク色の鈴が漂ってきた(ように見えた)。よく見ると、薔薇の蕾のような形をしている。
「わぁ」
 タミィは思わず声をあげた。きれいな鈴。
 とぅりん。
 鈴が鳴った。とぅりん、とぅりん…。なんて不思議な音だろう。タミィの心に真夏の川が浮かんできた。太陽の光が反射してきらきら光る水面。
「これが…おばあちゃんの鈴?」
 ちりん。チリン屋さんの鈴が鳴った。多分首についている鈴だ。うなずいたのだろう。
「これを…おばあちゃんの左手首につけて。春になるまで、はずしてはだめです」
 チリン屋さんの声は男か女かもわからなかった。二人で話しているみたいに重なり合って不思議な響きの声だった。タミィはしっかりうなずくと銅貨を乗せた手を差し出した。
「これで足ります、か…?」
 チリン屋さんは三枚の銅貨をつまみ取ると、代わりに三枚の銀貨をタミィの手に乗せた。
「おつりです」
「え?銅貨三枚に銀貨三枚のおつりなんて…おかしいわ」
 銀貨一枚は銅貨十枚に相当する。今タミィの手には銅貨が三十枚あるのと同じだ。それくらいの計算はタミィにもできた。
「大丈夫。これでちょうどいいのです。もう大丈夫」
 その後はもう、チリン屋さんの鈴は動かなかったし、なにも言ってくれなかったから、タミィはあきらめて深々とおじぎをすると、家に駆け戻った。
 チリン屋さんは大丈夫、と言った。大丈夫、と。タミィの胸は希望でふくらんだ。

 家に帰ると、タミィはすぐにおばあちゃんにチリン屋さんの話をした。
「銀貨を…。そう。私にもわからないのだけど、人によっては金貨百枚を請求されることもあると聞くよ。なにも受け取らない時もあるというけれど。…渡した額よりたくさんおつりをくれるなんてこともあるのね…。初めて聞いたわ」
「ちょうどいいって、もう大丈夫って言ってたわ。おばあちゃん、わかる?」
「さぁ…。私は今までチリン屋さんの鈴を買ったことがないの。整理なんてしないで、あるがままでいることが神さまの御心だと思っていたから。…でも、もしかしたら違うのかもしれないわね。整理することこそ、あるがままでいることで、神さまの御心にかなうことなのかもしれない」
 タミィはおばあちゃんの左手首に鈴をつけた。
「なんてきれいな鈴…」
 おぱあちゃんは自分の耳に近付けて鈴を振った。とぅりん、やっぱり不思議な音がする。

「チリン屋さんは、春までこのままにしてくださいって」
 おばあちゃんはうなずいた。
 医者からは春までもたないかもしれない、と言われている。この先はもう神さまの御心のままだ。
 でも実はおばあちゃんの心の奥には秘めた願いがあった。それが叶えられるかどうか…。
 それでも安らかな気持ちで、おばあちゃんはもう一度鈴を振った。
 とぅりん、と澄んだ音色がした。

 その日の夜から吹雪になり何日も大雪が降った。タミィもおかあさんもずっと家の中で過ごしている。吹雪が止んだ後も雪はしんしんと降り続き、まだしばらく降りそうだった。
 タミィは家の前をたくさんの屋台が通り過ぎていくのを窓から見ていた。知っている人が通ったら呼び止めようと思っていたのだ。だから珈琲屋と焼き菓子屋が通りがかった時、タミィは二人を呼び止めて招き入れた。
「おばあちゃんの鈴、見てくれる?」
 おかあさんのサラが二人のためにパンを焼き、温かいお茶を淹れるのを手伝いながら、タミィは言った。
「こりゃ、素敵だ。なぁ」
「うん」
 おばあちゃんは二人に聞かせるために、とぅりんとぅりんと鈴を鳴らした。
「なんだか、この鈴の音は身体の芯まであったかくなるな」
「うん」
 兄弟は鈴の音にうっとりと耳をすませた。
「お二人には、この冬ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます」
「タミィも、ずっとなかよくしていただいて」
 おばあちゃんとおかあさんが心から御礼を言うと、二人は照れた。
 そしてみんなでパンを食べお茶を飲むと、双子の兄弟は、ソフィとサラが遠慮するのも聞かずに、珈琲豆と焼き菓子をたくさん置いて帰っていった。
「二人ともいい人たちだねぇ」
「ね。あたし大好き」
 タミィはうれしくてにこにこ笑った。

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 (おばあちゃんの夢)

「トマス、もっとおかわりは?」
「もうお腹いっぱいだよ、ソフィ」
「そんなはずないわ、まだスープもチキンも、デザートにケーキもあるのよ」
 トマスは大笑いした。
「ぼくをなんだと思ってるんだい?巨人じゃないんだぜ」
「だって私、あなたに食べさせたいものがたくさんあるんですもの…」
 テーブルの上には色とりどりの美味しい料理が並んでいる。思いつく限り、手に入る限りの材料を買い、料理したのだ。家族みんなのお腹をいっぱいに満たしたくて。
「あたしもっとたべる!」
 ちいさなタミィが叫ぶ。
「おちびさん、ほんとかい?おなかこわさないでくれよ」
 ユーリが膝の上のタミィに笑いかける。
「へいきだもん、あたしケーキたべたい」
 サラがケーキ皿を抱えてテーブルに乗せる。ちいさなタミィが歓声をあげる。

 窓の外は雪…ではなく、雪のような花びらが舞っている。
 春が来て、みんな帰ってきたのだ。
 家族が揃うテーブル。これ以上なにを望むだろう。
 ソフィは胸がいっぱいになり、天をふり仰いだ。

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 現実の町にも春が近づいていた。
 タミィのおばあちゃんはチリン屋の鈴を付けてから、周りが驚くほど元気になっていった。最近では日中はずっと起きていて、ちょっとした家事もできるようになったのだ。そして今日はとうとうこんなことを言った。
「タミィ、今日はみんなに御礼が言いたいの。一緒に広場まで行きましょう」
「おばあちゃん、大丈夫?」
「ええ。本当に気分がいいの。もう春だもの…」
 おばあちゃんは手首を少しあげて、とぅりん、と鈴を鳴らした。それは一振りごとにおばあちゃんを元気にする音だった。タミィはおばあちゃんと手をつないで広場に行った。最初に向かったのはジャム屋さんだ。

「マーシャル…ごきげんよう」
「ソフィ!…もういいのかい?」
「ええ。あのジャム、本当にありがとう。おかげさまで元気になれたわ。…でもあなたは…大丈夫だったの?」
 ジャム屋のおじいさんがくれた光桃のジャムは本来なら国王に献上すべきものだったが、それをおばあちゃんに譲ってくれたのだ。
「あれは毎年できるとは限らんからね」
 おじいさんはにやっと笑って小声で言った。
「それに…そもそも、最もふさわしい人の口に入るべきなんだよ。あのジャムは」
 おばあちゃんは、黙っておじいさんの顔を見ていた。おじいさんも黙っておばあちゃんの顔を見ている。二人がただ静かに微笑み合っている様子を見て、黙ったまま会話しているみたい、とタミィは思った。

 次に向かったのはラララ屋さんだった。ラララ屋さんは町をひと周りしてちょうど広場に戻ってきたところだった。
「ラララ屋のおばさん!」
 冬の間に何度かおしゃべりすることがあって、タミィとおかみさんはすっかり仲良くなっていた。時々はラララ屋さんのお手伝いもしていたのだ。
「先だっては、素敵な花をありがとうございました。おかげさまで元気になりました」
 おばあちゃんがおかみさんに丁寧に頭を下げて御礼を言った。
「こちらこそ~ですよ~。お元気になってうれしいわぁ」
 おかみさんは薔薇色の頬をうんと高くして、春みたいな笑顔で歌うように言った。隣から旦那さんも顔をのぞかせて言った。
「俺たちは、こんな瞬間がうれしくてこの商売してるんですからね…御礼を言いたいのはこっちですよ」
 おかみさんは二人のために小さなハーブのブーケを作って胸に付けてくれた。
「これはお祝いよ~」
「わぁ、いい香り!ね、おばあちゃん」
「ほんとに…、素敵な香りだわ。ありがとうございます」
 ブーケに触れたおばあちゃんの手首で、鈴がとぅりんと鳴った。

「おばあちゃん、少し休もうか」
 タミィは広場の空いているベンチを見つけておばあちゃんを座らせた。
「ありがと、タミィ。そうね、少し休みましょう」
「久しぶりだもんね、遠出するの」
「ええ。それにしても今日はほんとうにあたたかいわね…」
 それがお天気のことだけを指しているのではないことにタミィは気づいていた。二人は満たされた気持ちで静かにしばらくベンチに座っていた。町の人々が笑いさざめきながら行き交い、屋台の人々と笑顔で会話するのを眺めながら。
 ふと、おばあちゃんが言った。
「人が生きているのを見るのはなんていいものなのかしら…」

 タミィはおばあちゃんの顔を見て、それからもう一度広場に目を向けた。春の光が人々の上にやさしく降り注いでいる。ちいさな天使が躍ってるみたいに。冬が終わり、春が来たのだ。
「うん、おばあちゃん」
 タミィはおばあちゃんにもたれかかり、おばあちゃんはタミィの頭を優しく抱き寄せた。

 とぅりん。
 タミィは目を開けた。いつの間にか眠ってしまったらしい。
「おばあちゃん…」
 タミィはキョロキョロと見渡した。おばあちゃんがいないのだ。でも今…鈴の音がしたのに。
 その時、立ち上がろうとしたタミィの手に触れるものがあった。おばあちゃんの鈴!
「おばあちゃん!」
 タミィは鈴を握りしめて叫んだ。おばあちゃんはどこに行ってしまったんだろう。タミィは広場中を走り回った。でも誰もおばあちゃんを見た人はいない。ジャム屋のおじいさんも、ラララ屋さんも。

「どうしよう…おばあちゃんが消えちゃった」
「落ち着きなさい、タミィ。もしかしたら家に帰ったのかもしれない…」
ジャム屋のおじいさんがタミィの肩に手を置いて言った。
「うん。でも…一人で先に帰るなんて」
「もし見かけたらタミィは帰ったと伝えるよ。わしも町を回ってみよう」
「うん」
 タミィは家に向かって走りながらも、おばあちゃんの姿を探した。胸がどきどきする。どうして、どうしておばあちゃんは消えちゃったの?鈴だけを置いて…。

 家にもやはりおばあちゃんはいなかった。おかあさんもまだ仕事から帰っていない。誰もいない家の中でタミィは大声をあげて泣いた。
「おばあちゃあーん。どこにいるの…?」

 とぅりん。

 その時、鈴が鳴った。さっきテーブルの上に置いたはずのおばあちゃんの鈴。
 タミィが顔を上げて振り返ると、戸口のところに誰かが立っていた。逆光で影になっている。おばあちゃん…じゃない。
「だ…れ?」
 タミィがしゃくりあげながらドアに近付くと、その影が動いた。
「タミィ…、タミィかい?」
 誰だろう。男の人?
「帰ってきたんだ…。やっと」
 タミィはわけがわからず男の人を見ていた。髭を生やした…痩せた若い男の人。知っているような気がする…。

「ユーリ…」
 いつの間にか、男の人の後ろ、少し離れたところにおかあさんが立っていた。手に持っていたカゴを取り落として呆然とした様子で立っている。
「ユーリ…、あなた!」
「サラ…!」
 戸口に立っていたのは、タミィのおとうさん、おばあちゃんの息子のユーリだった。
 戦争が終わっても戻らず、誰もはっきりとは言わなかったけれど死んだと思われていたユーリが。
 タミィは二人が抱き合って泣くのをふしぎな思いで見ていた。

「気が付いたら家の前に立ってたんだ。夢かと思ったけれど…、この子が泣いていて」
 おとうさんは膝の上に座るタミィの頭を愛しそうになでながらポツリポツリと語る。
 おばあちゃんがいなくなって、代わりにおとうさんが帰ってきた。みんな喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからない。話したいことはたくさんあるはずなのに、三人ともテーブルの上の鈴を眺めるばかりで、なかなか言葉が出てこない。

「…あなたは今までどこにいたの?」
「よく覚えていないんだよ。いつだったか…春が間近になった頃、前線で僕の近くに爆弾が落ちたと思う。大きな音がして…それきり記憶がないんだ。その後どうしていたんだろう。もしかして僕は幽霊なのかな」
「おとうさんの膝、あったかいよ…」
 タミィがユーリを見上げて言う。男の人の目は優しかった。この人があたしのおとうさん…。
「あなたは生きてるわ。きっと記憶を失っていたのよ」
「でも、ここまでどうやって帰ってきたかもわからないんだ」

 とぅりん。コンコン。
 鈴が鳴ると同時に戸口をノックする音がして、みんなハッとした。おばあちゃんが帰ってきた?
 おかあさんがドアを開けると、そこにはチリン屋さんがいた。というより、空中に浮かぶ鈴が見えた。
「あ…」
「ユーリさんは帰ってきましたか」
「え?なぜそれを…」
 おかあさんはチリン屋さんを中に招き入れた。ちりん、ちりん。椅子がひかれてチリン屋さんは座ったようだった。

「おかえりなさい、ユーリさん。すこし説明が必要かもしれないと思い、うかがいました。あなたのおかあさんのソフィさんは…タミィのおばあちゃんは、この鈴に強い願いを込めたようです。その願いは私の胸にも響いてきました…。チリンは本来、持ち主の心を整理してあるべき姿に戻します。けれど持ち主が自分の力の全てを他の誰かのために使おうとする時、チリンは『整理』の中でこんな働きもするのです」

「母は…なにを…?」
「ええ。あなたの帰還を願ったのです。命をかけて。基本的にはどんな願いも自然の理には逆らえません。でも時には奇跡が起きます…。想いが理を超える時が。ソフィさんはそれだけ強く、強く願ったのです」
 チリン屋さんはテーブルの上の薔薇の蕾のような形をしたピンク色の鈴を手に取った、ように見えた。空中に浮かんだから。

「ソフィさんはここにいらっしゃいます。とても稀なことです。全て消えてしまってもおかしくないのに、ユーリさんを帰還させてなお…自分の魂も残すことができたんです」
「ここにおばあちゃんが…いるの?」

 とぅりん。
 鈴が鳴った。

「おばあちゃん!」
 チリン屋さんはタミィの手に鈴を乗せてくれた。鈴はほんのりと温かかった。
「奇跡が起きたのは…タミィさんの助けもあったからですよ」
 チリン屋さんがそっとつぶやいたけれど、タミィの耳には届いていなかった。タミィはただ泣きながら薔薇の蕾のような鈴を大切に手の平で包み込んでいた。

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 (鈴の中のソフィとトマス)

「トマス…あたしたち、二人きりね」
「そうだね、ソフィ。まるで新婚の時みたいだ」
「あなたったら…。でもあなたがここに来てくれるなんて夢みたい」
「神さまの思し召しさ、ソフィ。ほら、ここからずっとみんなを見ていられるよ…」

 テーブルでは、ようやく落ち着いた親子三人が食事を始めようとしていた。いつかソフィが夢で見た時のように、サラが食べ切れないほどの料理を作っている。
「ふふふ、お腹こわさなきゃいいけど」
「ほんとだね。ああ、タミィがケーキも食べるって言ってるぞ」
「ユーリは痩せたから、もっと太らせなきゃね」

 トマスとソフィはピンク色の鈴の中で頬を寄せ合っている。そこは天国と現実の中間のような場所で、暖かく柔らかい光に包まれており、二人は出逢った頃の若い姿に戻っていた。
「私…冬になったばかりの時はもうだめだと思っていたの。死んでしまうんだわ、って。死ぬことは平気だった。でもユーリだけは…サラとタミィのために帰ってきてほしかったの」
「それでタミィに想いを送ったんだね…」
「ええ。あの子は不思議な子。あの子自身は気づいていなかったけれど、無意識に私の想いを受け取るの。タミィが私の願いに必要なものを全部、いいえ、それ以上のものを手に入れてきてくれたわ」
「花とジャムとチリン」
「ええ。親切な双子と珈琲と焼き菓子までね」
 二人は、ふふふと笑い合った。
「だからこそ奇跡が起きたのよ…タミィがいたから、ユーリは帰ってこられたの」
 サラが大きなケーキを運んできて、ユーリとタミィが歓声を上げる。ソフィはトマスの肩に頭を乗せてその様子を見ている。ああ、なんていい情景なんだろう…。こんなに嬉しいことがあるかしら…。

「そういえば、マーシャルも元気でうれしかったよ。マーシャルは昔から君のことが好きだったよね…」
 トマスがウィンクする。
「トマスったら…」
「ほんとのことさ。ああ、僕もマーシャルのジャムを食べたかったなぁ」
「ええ…。光桃のジャムがなかったら私は死んでいたかも。国王さまには申し訳ないけれど」
「いいのさ。マーシャルも言ってただろう。最もふさわしい人の口に入るべきなんだよ。ジャムに限ったことじゃないけれど」
 トマスはちょっと口をとがらせて、フンと鼻をならした。

「それから私、ラララ屋さんのミモザのおかげでずっといい夢を見ていたのよ。あなたが結婚を申し込んでくれた時の夢も…ふふ」
「僕も同じ夢を一緒に見ていたんだよ。君の見た夢の中にいたのは、ほんとうの僕さ。赤ちゃんのユーリを抱いた。成長を見ることができた。あの二十年は本当に一緒に生きているみたいだったね…。五人でテーブルを囲んだことも」
 トマスがしみじみと言った。

「そうだったの…。あなたは現実では帰ってこなかったのにね…。実際に私たちが一緒に暮らしたのは一年足らずだったもの…。私は一人でユーリを生んで、一人で育てた。そしてやっと大人になったユーリが優しいサラと結婚して。それなのにタミィが生まれる前にまた…」
 ソフィの声が震えて、トマスはソフィをぎゅっと抱きしめた。

「でもユーリは『ほんとうに』帰ってきた。その現実を作ったのは君だ…」
「そしてあなたはここに来てくれた…鈴の中だけど」
「僕は君と一緒にいられればいいんだ。…君は僕の永遠のひとだから」
 トマスがソフィの亜麻色の髪にキスをする。

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 とぅりん、とぅりん。

 鈴の音がふたつ、重なって鳴った。
「ねぇ、ここにはおばあちゃんだけじゃなくて、トマスおじいちゃんもいるんじゃないかな。あたし、そんな気がする…」
タミィが鈴にそっと触れながら小声でつぶやく。
「そうかもしれないわね…」
 サラも手を伸ばしてタミィの手の上に重ねる。
 ユーリも鈴の上に重ねられた二人の手に自分の手を重ねる。そして、きっと本当にそうだ、と思う。
「とうさん、かあさん…これからはみんな、ずっと一緒だよ」

 とぅりん、とぅりーん。
 ピンク色の鈴が三人の手の中で、重なって鳴る。

 その音は消えることなく銀河の果てにまで届き、満天の星々がそれに応えるようにきらきらと瞬いた。


おわり

(2023/6月 作)

前編はこちら

スピンオフ作品もあります(*´ω`*)
その1『祈り』↓

その2『サラの夢』↓


・・・自己紹介はこちらですー↓


おもしろい!と思っていただける記事があれば、サポートはありがたく受け取らせていただきます。創作活動のための心の糧とさせていただきます☆