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【記憶を記録する】ある兵士の記憶④
取材でお目にかかったご高齢の方からうかがった「戦争体験」や「昔の商店街の賑わい」「祭りの華やかさ」などをまとめる【記憶を記録する】と名付けた活動をおこなっています。
今回の「記憶」は、以前取材させていただいた方のお父様の「戦争の記憶」です。戦地での手記の一部分の複写と投稿の許可をいただきました。
前投稿「ある兵士の記憶③」はコチラをどうぞ↓
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戦ひすんで隊伍を調ひ気のついた時遙かに宣昌の
【Hさんの記憶】戦中戦後の福島市〜いつも腹を空かせていた少年時代~校庭はイモ畑と防空壕に。白い軍服と進駐軍、母の苦労
今回昭和の記憶を語ってくれたHさんは、昭和9年、福島市内の清明町で生を受けました。国民学校初等科1年(現在の小学校1年)、太平洋戦争が開戦し、戦火のなか、少年時代を送りました。校庭でのイモ栽培や防空壕掘りの手伝い、町会の人びとがバラバラになった疎開のこと、白い軍服をまとった青年兵への子どもらしいあこがれ、玉音放送のこと、進駐軍のことなど、貴重なお話をうかがいました。
大工だった父は物心つく前に
【Kさんの記憶】昭和30年代の福島市〜まちには風情ある木造の建物が並んでいた
生まれてから30歳まで、現在の福島駅西口の三河町で暮らしていたKさん(昭和20年生まれ)の記憶です。
昭和59、60年頃まで福島駅西口には、国鉄の機関区があり、蒸気機関車の転車台が設置されていました。機関車の煙で真っ黒になった板塀が続く街で、かくれんぼやチャンバラで遊んだ少年時代のこと、国道13号と信夫山トンネルが整備される前の風情ある木造建築物や洋風建築物が並んでいた昭和30年代の福島市の風