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自分がもったいないと思うとき

「もったいない」っていい言葉だけど、たまぁにもったいないという言葉との影響と考え方ゆえにあんまり物事が発展しないなぁと思うことがあります。

たとえば、料理とかしている時に大胆にやると上手くいくってことがあるのですが、こぼしちゃダメなんだとか、容器に付いた液体だったり、骨に付いた身がまだ食べられるとかの考えが邪魔して上手くいかないってことがあるんです。

もうちょっとこぼれたものはしかたないな、ぼろっと取れる身だけでいいやな。と考えられると楽しいのです。
ちょっとケチケチしたところが僕ら(おそらく日本人)には備わっていて、それをうまいこと「もったいない」といい具合に言っているだけなんだと思うんです。

だから、お刺身なんかを作る時に、あんなに大きな魚だったのにこれっぽちしか残らないの?なんて思ったりするんですよね。ああいう気持ちです。だけどお刺身なんてのは鮮度が命です。温度が上がってぬるくなったお刺身なんてそもそも美味しくないでしょ?だから、骨のところを避けながらスパスパっと切ると、あんな感じになるんだと思います。


魚とか野菜や果物もそうなんですが、ひとつ買って、それがまるまる全部食べられるものってそう多くはないと知っておいて、それが普通なんだと心に留めておいた方が良いのです。だって、もったいないなんて言ったら、スイカでもバナナでもみかんでも、メロンやキウイだって、わりと何%かは皮にお金を支払っていることになるんですよ。皮なんて生ゴミにしかなりませんからね。でもそこはもったいないとは思いません。そんな感じで思う方が楽なのです。


スポーツでもそうです。
1点を取るのに、どうしようどうしようと悩んでいるとなかなか点なんて入りはしません。
ここぞって時に思いきりジャンプしたり、思いきり投げたり、ブン!と振ってみたり、いっぽ前に踏み込んでみたり…そういう思い切った行動がうまくいくための行動になるのですよね。



何が言いたいかって、もしかすると不安だなぁとか、大丈夫かなぁと考えて自分という自分を出し惜しみしていると、お刺身になる前に鮮度が落ちちゃうよって話です。楽しむはずだった本番を逃してしまします。


僕自身もそうだったのですが、自分の家族の中にいて、なんだか居心地が悪いとか、友達の話の中で何かベクトルがズレているとか、恋人との考え方の違いから価値観がそもそも違うんだなと思ったりして自分を相手に合わせて、例えるなら四角い箱の中で風船を膨らませるみたいな状況になることがあるんです。


もっと膨らませたいけど膨らませられないし、なんならパン!と弾けることすらできないでいます。
自分を押さえつけて、これがいいの、これがいい子でいる秘訣なの、これがおもしろいの、これがいい生活、これがいい友達…
なんて自分に言い聞かせてしまっているんです。



あるとき気づきました。


そんなのはひとつもおもしろくない。


僕はもうちょっと膨らめるし、なんなら弾けるくらいまでに大きくなれるんです。

家に帰ってひとりになると、何でこうでなきゃいけないんだろうか?
自分はおもしろかったの?
もしかすると楽しんでいる友達を見て楽しんでたんじゃない?


それはもしかしたら、本当の意味で楽しんでいないんじゃないかな?

なんて考えながら横になって天井を見上げたりして…


と、そんな感じだったりしたこともありました。


好きなものを好きって気持ちで行動できるから、いい友人や家族ができるのかもしれません。今度からはそうやって行動していこう。


君の好きを聞いてみよう、これからの僕は。

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