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渡海の血

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記事一覧

5-3

KとN美は晴れてA市から離れた、W市での教員に採用された。新任の頃に僻地に赴任しておけば数年後A市や、ほかの都市部に赴任し続けることが有利であるためであった。W市はA市よりさらに北に位置する港町で、二人は数年以内に結婚する予定であったが、それはあくまで二人の間だけでのことであり、新任の教員ふたりが既にできている、という噂は職場や狭い街の父兄に話題を提供することになった。Kは公然と校長以下先輩教員に

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5-1

既に残った事業者は少なく、そのいずれも農業以外の労働に従事しなければ生活は成り立たなかったが、それでもS夫の家はましであった。優先的にまわされる仕事に困ることはなく、むしろ農作業を圧迫する事態に陥っていたが、それでもなおS夫は農業にこだわった。それは単純に、そのほうが自分に合っていると感じていたのである。人間を相手にするときの摩擦は出来るだけ避けたかった。S夫は久しぶりに終戦後にはじめて顔を合わせ

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3-1

Kは北海道A市の、研究所に務める父親と、比較的裕福な家庭の長女との間に生まれた。頭が大きすぎて立ち上がるまでに少し時間がかかり、首が細いために自然と上を見るようになり、さらに口もよく開いていた。父親は酒造会社で蒸留技術の研究をしていたが、Kが小学校に入学したくらいの頃白血病で亡くなった。その頃は2つ下の妹M季の生まれた直後であり、Kもほとんど父親の記憶がない。母親のR子は美人で気が強い女だったので

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5-2

雪解けを待たずに今や市街の中心部に鎮座した最新建築であるN市庁舎に、開拓事業の停止が告示された。S夫は来るべきものが来たとして、JとRが寝たあとの居間でK美と話した。開拓事業者は目下国家最重要課題であるところの、鉄道敷設工事の職が保証されている、とのことである。しかしそれは家畜と土地を放棄することを意味する。また鉄道工事に従事する者には都心部の公営団地があてがわれる。S夫の工務店紛いでは市の入札に

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4-4

正月の間も家族の口数は少なかった。気を回して会話するK美とY美は二人ともN美の話題は避けたのだが、そのことがS夫には申し訳なく思えてきた。彼は決して娘たちに何かを強制するような人間ではなかったが、自分の考えを隠すこともなかった。議論に長けていたのではないのは当然だった。外部の状況を彼なりに把握して彼自身の論理で実行する。それが唐突であることが度々あるから人を驚かせるだけのことだった。いずれにせよ正

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4-3

S夫は農閑期には工務店のような仕事を請け負った。大工道具を持って来るべき冬に備え、トタン屋根の張り替えや、木材で道路の防風壁を建てる。それらは役場からの請け負いで、開拓で移住してきた者に優先的に割り当てられる仕事だったが、決して賃金が高いわけではない。収穫した芋の蓄えを少しずつ食べながら冬の終わりを待つことになる。農場の馬や鳥の世話はK美や息子たちに任せて、時には泊まり込みで仕事にあたった。市制施

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4-2

いよいよ現実味を帯びてきた学費値上げの噂は、学生たちにはまさに死活問題であった。Kが属する団体でも反対闘争を満場一致で可決したが、その実質的なリーダーが一つ学年が上のOであった。Oの風体はお世辞にも美しいとは言えない。垢じみたシャツを着て無精ひげを生やし、ぱっと見ると熊のような出で立ちだが、よく通る少し上ずった声で話していると相手は不思議と心が和んでくる。Kとは初めから気が合ったようだ。年下のKを

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4-1

N美は高校卒業後、姉との約束通りA市の大学に進学した。女子寮には数人が共有するガス焜炉や洗面所がありN美は3人の友人と1つの部屋を共有した。いずれもN美と比べれば都会の出身で、それぞれが持つ目標の具体性に驚かされた。それはちょっとした環境の違いが与える世界認識の違いに他ならなかっただろう。いずれは呼吸するように簡単になる、ある種の想念、それは現代の社会通念であったはずだが、僻地育ちの彼女はそれにも

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3-4

高校に上がったKは大いに青春を謳歌したようである。それは若い美術を受け持つ担任教師が持ち込んできた、自治の思想によるところが大きい。命令系統は存在しないという建前のもと、彼らは議論によって、何をすべきかを決める。例えば文化祭は何のためにあるのか、担任教師と学生はそこから考えなくては気が済まないのだった。我々学生の学費を支払う親たちのために、その活動の成果を見せるのがひとつ、これから高校を受験する生

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3-3

Kが帰宅した時には既にR子も帰宅し夕食の用意をしていた。妹は留守だった。Kは居間に座り、机の上に置いてあるざるの、きぬさやの筋を取り始めた。沈黙が長いこと続いた。母が自分の姿を見ていたのかは定かではなかったが、ともかくKには母に対して言いようのない申し訳なさを覚え、その場にただ居ることができなかったのである。と母は口を開いた。K、と声をかけるとR子はKの目の前に座った。母さんが働いている姿は友達に

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3-2

Kの住む地域は川縁の長屋で放課後には子どもが路地にたむろする。さきの大戦による放射熱のような日本人民の動員はその破綻ののち、人民の質自体を熱変性させたようである。ましてや敗戦後である。発破で岩盤を崩したあとの土壌に微生物が増殖し草が生い茂るように、緊張を取り払われた空間には人間の息遣いが溢れた。それは自由と呼べるやうな代物ではなく、駆り立てられた人々は先を争って生きることを優先した。家族もまた然り

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2-5

Y美は順調に高校に進学した。Y美が進学するときに、S夫は一等大きな鶏を絞めて調理したが、その姿は絶対に子どもには見せなかった。好奇心の強い末の弟Rは密かに近寄っていこうとしたが、母親のかつてない厳しい態度に驚かされた。K美には、本質的な生の超克を知るのは、まだ先のことに思われたからだった。自ずと繰り返される日常のなかで刷り込まれる生の循環と、その理への畏怖こそが、理そのものを維持する力とつながる。

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2-4

Y美とN美が小学校に入学する頃にはさらに二人の男児が誕生した。Y美はN美の手を引いて往復4キロメートルの通学路を毎日1時間半かけて歩いた。N美が時折立ち止まって草むらや空に目をやるので、そのたびにY美は手をひっぱらなければならなかったが、N美にはけが一つなかった。むしろ砂利道で転んでひざを擦りむくのはY美のほうで、それも大抵はN美をかばおうとする時のことが多い。町の通りのオートバイが近づいてきて、

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2-3

農耕馬として、フランス原産のブルトン種と北海道産馬との混血の馬を二頭購入したS夫は1ヘクタールの土地の耕作をはじめた。N町の職員からはしきりに酪農を勧められたが、それは頑なに断った。彼には水牛のことが思い出されたのである。見た目は明らかに違っていても、この土地の牛たちのその瞳を見ると、水牛のことは否応なしに思い出された。代わりに養鶏をはじめた。これはE県に居た頃からのことで、小さな檻に二羽、放して

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