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Kは北海道A市の、研究所に務める父親と、比較的裕福な家庭の長女との間に生まれた。頭が大きすぎて立ち上がるまでに少し時間がかかり、首が細いために自然と上を見るようになり、さらに口もよく開いていた。父親は酒造会社で蒸留技術の研究をしていたが、Kが小学校に入学したくらいの頃白血病で亡くなった。その頃は2つ下の妹M季の生まれた直後であり、Kもほとんど父親の記憶がない。母親のR子は美人で気が強い女だったので、夫に先立たれた後も実家に戻ることはなく、むしろ頑なに連絡を避けるところがあった。R子の兄弟たちは、心配して、気取られないよう、近くに来たついでに寄ったとか、遊びに来たといった口実でR子を訪ねるたび、それまでのはじけるような快活さと、長身痩躯で夫の酒造会社のビールの宣伝広告に写真を使われるような整って健康的な容姿に陰がさしていることを心配した。
KとM季はそうしたR子ひとりではどうしても目の届かない時に、近所の家に預けられ、日が暮れるまで玄関口で母の帰りを待つことが多かった。
兄妹は北海道内で急激に人口の増加してきたA市で、たくさんの同年代の友人たちと育った。友人たちの家に行くとその友人の両親は帰宅してくる。兄妹が帰宅してもまだR子は帰らないので家の前のアスファルトに落書きをして遊ぶのだが、薄暗い水銀灯の下に色付きのチョークで絵を描くと昼間とは異なる色に見える。水銀灯はその下に入れば自分の濃い影をつくるので、それを避けながら、妹から尊敬の眼差しを受けて、漫画の模写をしていると砂利の摩擦を含んだ乾いた足音が近づいてくる。その音が止まってしゃがんだまま見上げると、身なりのよい男が立っていた。しかし水銀灯がまぶしく陰になって顔は見えない。上手だね、と男は話しかける。Kは目を地面に戻して書き続けた。少しして顔上げるとその男は消えていた。立ち上がり通りの向こう側に目をやると母親が帰ってきたので駆け寄り、家まで歩いた。低い塀の向こうの家の明かりのなかで、食卓を囲む家族が見える。茶碗の音までが聴こえてくるように感じられる。
Kは学校が好きだったがそれは勉強が好きだというわけではない。近所の友人たちと会って、共通の話題を持つことに学校が不可欠だっただけである。折しもベビーブームである。すし詰めの教室でも似通った雰囲気を持つ者同士は集まって行動する。Kはその、6、7人の集団のなかで、独創的な遊びを生み出す首領であった。仲間には秘密の合図が要る。規範を生み出し、しかし例外に対しても寛容であった。彼らは各々時間が来れば労働力として、その細い腕で親を助けなければならなかったから、その労働の及ばない領域において自由でいたかったのだ。そして自由には枠組みが要る。空間をときには大海原に、ときには古城の石垣に見立てるとき、その見立てにおいてKの右に出るものはない。Kが見立てた海原を、友人たちは憧れをもって航海するのであった。
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