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Kの住む地域は川縁の長屋で放課後には子どもが路地にたむろする。さきの大戦による放射熱のような日本人民の動員はその破綻ののち、人民の質自体を熱変性させたようである。ましてや敗戦後である。発破で岩盤を崩したあとの土壌に微生物が増殖し草が生い茂るように、緊張を取り払われた空間には人間の息遣いが溢れた。それは自由と呼べるやうな代物ではなく、駆り立てられた人々は先を争って生きることを優先した。家族もまた然り、夜もまた熱気を帯びて、毎夜、夫婦喧嘩の皿が本当に宙を舞うのである。窓ガラスや陶器の割れる音とすすり泣き、絶叫、罵声、人々はまさに眩暈を感じるほどの感情の海を泳いでいた。
Kの友人が両親の喧嘩から避難してKの家に来ることもあった。北海道といえど盆地に位置するA市では夏30度を超える日もよくある。昼間の暑さの残る夜、玄関先で切実な戸を叩く音がする。M季が出て行くと先ほど別れたばかりの友人が、腕から血を流して立っている。母親が包丁を持ち出して父親を刺そうとした。止めようとして手が切れたと言う。R子とM季が彼の腕を手当てして、Kは冷蔵庫にあったアイスクリームを、それは自分の分だったが渡した。
お前の家はいいな、と友人が言う。酒飲む親父が居ないから。まあ確かに、とKは思った。路地に溢れる夜ごとの熱気は、女親と妹とだけ一緒に居ると玄関口より先には入り込んでこないから、Kの家は扇風機がなくても涼しかった。Kには、昼間の冒険の後、家に帰っても少なくとも肉体的には脅かされないから、家事をやっていても、その日の冒険を記録し、次の探索地を考えるだけの余裕は確かにあったのだ。
残暑の厳しい年であった。照りつける日差しは舞い上がる土埃すらはっきりと浮かび上がらせ、もはや昼の隠されるものはなにもないかのように見える。それは逆に建物や人々の輪郭をぼやけさせた。友人たちと学校の帰り道である。雨が少なく川面も低いがそこに水牛が水浴びに来ている。Kたちは橋をわたりながら、帰った後に秘密基地の改築について相談している、と車道を挟んだ向こう側から魚を積んだリヤカーを引いた女が歩いてくる。母であった。身体はやや傾き、リヤカーの重みに耐えている。車道の端をゆっくりと歩きながら、乱暴な車に何度も脅かされて橋を上がっていた。
Kはその姿をみとめながら、声をかけることができなかった。Kは急に黙った。その姿を水牛が眺めている。

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