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Kが帰宅した時には既にR子も帰宅し夕食の用意をしていた。妹は留守だった。Kは居間に座り、机の上に置いてあるざるの、きぬさやの筋を取り始めた。沈黙が長いこと続いた。母が自分の姿を見ていたのかは定かではなかったが、ともかくKには母に対して言いようのない申し訳なさを覚え、その場にただ居ることができなかったのである。と母は口を開いた。K、と声をかけるとR子はKの目の前に座った。母さんが働いている姿は友達に見せたくないかい?その言葉に非難の調子はなかったが、Kは絶句して首を振るのがやっとだった。R子がKの手を取ってそっと握る。R子の手は柔らかく暖かかったが、よくよく見るとそれは桜の枝のように節くれ立っている。その手触りは生来のものだった。それがこれほどまでに、疲弊してもなお瑞々しさを保っているのだった。R子はKの手を撫でながら言った。こんな柔らかくて小さな手ではまともな仕事に就けないかもしれないね。続けて言った。腕も細い。この言葉はKにとっては絶望的に響いた。成長し大人になることを否定されたという考えが、沈黙とともにのしかかってくる。それはきぬさやの筋を取るという労働も、そこから延長して考えられる仕事には断崖が待っていることを意味しており、もはやなんの意味も為さないという観念をKに植え付けた。暑さはいつのまにか過ぎ去り、あたりが暗くなった。窓を見ると水牛が窓をおおってこちらを見ていた。なんだ、水牛か、と思うが早いか妹が帰宅してきた。
内気な妹から見て、Kは近所の子どもたちの首領であったから、少しばかり誇らしく感じられたものだった。その兄が今縮こまっている。M季は訝しげに眺めながら、母と兄との間に新たに付加された、職に就くというまだ漠然とした前提によって新たに規定し直された親子関係を、真新しいものに感じた。
中学に上がるとKは新聞配達を始めた。このあたりの中学生はほとんど皆、新聞配達をして家計を助ける。その中にリーダーの高校生Aさんがいた。Aさんは成績優秀だが他の子たち同様、裕福ではない。家計ばかりでなく学費や参考書のためにも働いていたため、朝刊だけでなく、夕刊や集金も任されていた。KはAさんの配達区域を受け継いで、その分Aさんは朝刊の区域を狭め、多少の時間を勉強に回せるはずだった。しかしKが配達するようになると困ったことが起こった。Aさんが配るのでなければ新聞はとらないという家が何軒もあったのだ。そのたびにKは申し訳ないような、いたたまれない気持ちに囚われる。とはいえKには黙ってその屈辱を飲み込む以外にはない。相変わらず成績は悪かったが美術だけは優秀であるKは、他の子たちがAに勉強を教わっている姿を見て、おそるおそる近づき、そして勉強を教わるようになったのである。Aは路地の子ども集団と、社会を繋ぐ通行手形を持つ偉大な存在だった。
それまでの路地での、遊びの中で確立されていった正義の概念は中学に上がると、当時流行していた貸本漫画の忍者もののような作品のなかで新たな方向性を与えられた。それはただ肉体を鍛錬し荒唐無稽な忍法で敵に勝つという単純さから、なぜ戦うのかという動機を重視した漫画表現の拡大と同時にKたちの社会意識に影響を及ぼしたと考えるのは誇張ではない。生を受けたときからはじまる闘争は、その方向をどこに向けるのかによって生そのものを規定する。社会変革の波は爆心地の空白に確実ににじり寄ってくる国家権力の理不尽に対する人民による闘争であり、それは生まれ育った路地とは切り離せないものであった。

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