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Y美は順調に高校に進学した。Y美が進学するときに、S夫は一等大きな鶏を絞めて調理したが、その姿は絶対に子どもには見せなかった。好奇心の強い末の弟Rは密かに近寄っていこうとしたが、母親のかつてない厳しい態度に驚かされた。K美には、本質的な生の超克を知るのは、まだ先のことに思われたからだった。自ずと繰り返される日常のなかで刷り込まれる生の循環と、その理への畏怖こそが、理そのものを維持する力とつながる。無口な彼女には、態度だけで相手に気持ちをわからせることができるという執念にも似た思い込みがあって、姉妹が喧嘩をして、それは妹が姉に対しての嫉妬めいた態度を、姉に見せたときだったが、K美はただ黙ってN美の視界にはいるぎりぎりのところに座る。その姿を認めて時間が経つとN美は姉に謝りにいくのだった。それぞれが学業成績が概ね良かったのは、Y美の模範的な態度以外には見本がなかったからであるほか、実直なS夫の方針でもあった。子どもには自分のような重労働はさせたくなかったのであり、まして息子たちも体躯に恵まれてはいなかった。この頃S夫は農場のはずれに体操用の鉄棒を作った。それはパイプを組み上げた簡素なものであったが、二人の弟たちはそこで、多少なりとも肉体の、労働とは違う鍛錬を学んだ。姉があくまで順調な進路を進んでいたころ、N美はY美との違いに悩まされることになる。学業はさほどの問題はなかったが、彼女には、そのころ人口が増えて学校のある市街に住む友人も少なくなかった。そこで借りてきた漫画や小説の類いを隠れて読むのだが、町の子たちとの付き合いも早々に切り上げて農作業の手伝いをすることになる。その際も漫画や小説のことが気になってくるのである。一度だけN美が読んでいた漫画をS夫が取り上げて捨てようとした。そのときN美の懇願に炎のような色をはじめて認めたS夫はしかし、それ以外の方法がわからず土間に投げやってしまった。K美はそれを拾い上げるとN美に渡してS夫に何も言わずについてまわるのだった。Y美はそのような場においてもあくまで冷静であったが、高校でA市の看護学校の入学が決まった頃、帰りが遅くなることが増えた。色白で端正な顔立ちのY美は学内でも評判の優等生だったことは両親も承知していながら、そのことには一切触れず、たまに色黒なN美の恨み言をそっと嗜めるだけだった。S夫のY美への注意は農作業の手伝いをしないことに対しての小言から始まったが、やがてY美の反論は、Y美が初めて吐露するこの生活への批判へと変貌し、そのときS夫はY美の頬を叩いた。ようやく電柱がきて格段に明るくなった部屋の電球が揺れて影が振り子のように揺れる中を抜けて、Y美は外へ駆け出していった。二月の北海道である。あとを追いかけていったのはN美であった。そうして、さして遠くにも行けず雪を踏み固めた道にうずくまるY美の肩を、N美が恐る恐る触れた。Y美には妹への面子もあったがそのとき初めて、姉妹の協力関係が築かれたようである。立ち上がったY美はつとめて明るくしようとした。そして二人そろって帰宅するとき、N美にもA市に来るよう伝えたのである。

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