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N美は高校卒業後、姉との約束通りA市の大学に進学した。女子寮には数人が共有するガス焜炉や洗面所がありN美は3人の友人と1つの部屋を共有した。いずれもN美と比べれば都会の出身で、それぞれが持つ目標の具体性に驚かされた。それはちょっとした環境の違いが与える世界認識の違いに他ならなかっただろう。いずれは呼吸するように簡単になる、ある種の想念、それは現代の社会通念であったはずだが、僻地育ちの彼女はそれにも疎く、長く劣等感として残った。
Y美とは頻繁に連絡を取り合い、互いの寮を訪ねることもあったのだが、その頃ちょっとした事件があった。学生団体のなかでも過激な男子学生が女子寮に乗り込みオルグと呼ばれる団体取り込みの運動を始めたのである。彼らは一様に、声が大きかったがそれは女子寮の物珍しさとついぞ嗅いだことのない女の匂いに対する関心を悟られないためであった。N美は同室の女子学生たちとともに連れ去られ、寮内の食堂でその団体の理念について、延々聞かされるはめに陥ったが、最後まで理解できなかったN美は、わからないという理由で断り続けた。それは彼女らしい、劣等感と、反面父親ゆずりの頑固さが相まった懐疑主義と言えるものだった。見たことのないものは信じない。理想的な社会とは何かを考えるときに、社会とは何かを知る必要がある。僻地から出てきたばかりの彼女に理想を語るだけの知識はまだないのだった。
夜が白み始めたころには団体の男子学生も数人は眠っていたが、N美は最後まで質問を続けた。あまりにも素朴で根源的な質問は相手をたじろがせるのは、それが、ある前提に則っている場合、前提を揺らがせるからであるが、彼らは彼らの論法、相手の無知を突いてそれを糸口に懐柔していく手段が、彼女の場合まったく使えないことがわかった。彼女は無知を自身の内部に取り込むことで、彼女自身の判断を手引きするすべを知っていたのであり、それは他人から見れば議論においては鎧のように強固なものに映った。
すごすごとその団体が帰っていったあと、残された女子学生たちは口々にN美の勇気を讃えたが、彼女にはなんのことだかわからなかった。しかし結果としてこのオルグ失敗のニュースは学生たちの噂となりN美は望まぬ形で学内の注目を集めた。
Y美もまた女子寮に入っていたが、2年目には既に会計を任され順当に看護学生として実習をはじめていた。実習先の病院内での経験は彼女に新しい知識を与えた。それは見た目や、身の廻りを清潔に保つということで周囲に与える影響であった。事実N美がY美に久しぶりに会った時には、N美の目には随分と垢抜けて映ったのであるが、その内面はやはり気丈な姉であったので少なからずほっとした。姉は既に学費の助けのために駅前のフルーツパーラーで給仕のアルバイトをしており、N美が訪ねていって仕事の終わりまで待って一緒に帰る。そこで寄り道をして最近の動向をあれこれ話すのであった。それは一緒に住んでいたときには想像もつかないような関係であった。パーマをあてた姉は美しいとN美は感じ誇らしかった。五月になってようやく暖かくなってきたA市の繁華街は喧騒に満ちていたが、N美はY美といるときだけは、楽に呼吸ができると感じる。姉さんと私だけはこの街で、あの農場のことを知っている。あの鉄棒は雪解け後にはボルトが緩むから、そろそろRが使う頃だし、使う前にボルトを締めるよう手紙を書こう、、、。

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