2-3

農耕馬として、フランス原産のブルトン種と北海道産馬との混血の馬を二頭購入したS夫は1ヘクタールの土地の耕作をはじめた。N町の職員からはしきりに酪農を勧められたが、それは頑なに断った。彼には水牛のことが思い出されたのである。見た目は明らかに違っていても、この土地の牛たちのその瞳を見ると、水牛のことは否応なしに思い出された。代わりに養鶏をはじめた。これはE県に居た頃からのことで、小さな檻に二羽、放しておく。
やがてY美とN美という娘が誕生した。長女のY美はよく二つ下のN美の手を引いて連れまわし耕作地をくまなく歩いた。N美は時折立ち止まって、ある一点を見つめることがある。それは雲であったり家まで続く砂利道の石の隙間であったりする。そうした時にはY美がむりやりにでも引っ張って揺り動かし帰路につかせなければならなかった。夕方の凪いだ風のなか、草むらにひとり座って、N美の関節はまだ非常に柔らかく、奇妙な座り方で空中を見つめながら言葉を発しているのをY美は時折見た。そういう時Y美には見えていないなにかと、N美だけが関係しているように感じられて、無理にでも自分に気づかせようと彼女はやっきになるのだった。それはK美から常々言い聞かせられる言葉から、N美への責任感を否応なしに持たせられた結果であったようだ。事実夫婦には娘たちへの充分な時間は与えられていなかったから、Y美の存在は初めからある種の労働力として考えられていたのである。開拓は過酷なものであった。広大な痩せた土地を受け渡された時から、S夫とK美は自然と格闘した。土は生まれ故郷のE県とも、あの南国とも違って、寡黙な老人のように、反応の薄い肌を相手にしているようなものである上に、気候は刻々と変化し、一進一退を繰り返しながら適応を拒むようなところがある。やがてS夫はこの気性の荒い天気と、それに耐えられず寡黙を貫くようになった土地の対応関係に気づいた。土に対しては静かに働きかけるしかないようである。それは放っておけばすぐに元通りになってしまう荒地に水を含ませる作業であった。やらなければ何も起こりはしない。背中の水牛の吐息が近づくたびにS夫は気を奮い立たせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?