はにワンコ

アマチュア歴史研究家だった父の著書を要約し、紹介しています。いまだに解決されない邪馬台…

はにワンコ

アマチュア歴史研究家だった父の著書を要約し、紹介しています。いまだに解決されない邪馬台国の謎を、楽しくわかりやすく解き明かします。

最近の記事

  • 固定された記事

邪馬台国は見つかっていた【目次】

▼ 目次 1. 邪馬台国問題は半分に整理できる 2. 倭人伝の漢文読みをやめると真の意味がわかる 3. 邦訳「魏志倭人伝」(主要部分) 4. 「倭人伝」の正しい訳で「水行十日陸行一月」問題は解決した 5. 誰が倭人伝を書いたのか?正しい部分と誤った部分の線引きをする 6. 梯儁でも張政でもない第3の帯方郡使がいた 7. 各国の説明を比較すると、どこまで足を運んだかわかる 8. 邪馬台国を訪れていない証拠は倭人伝に書かれていた 9. 倭人伝の「秘密の距離」 10. 「秘密の

    • 古代の疫病流行に思いを馳せる、花鎮祭(はなしずめのまつり)

      ※写真は2023年の物です 今回は奈良県桜井市にある大神神社の「花鎮祭」を紹介します。 花鎮祭は毎年4月18日に大神神社とそのすぐ隣の狭井神社で病気の鎮圧を祈願して行われる祭祀です。 関西地方の製薬会社や医療関係者が多数参列し医薬品が奉納されるので、別名「薬祭り」とも言われます。 午前10時半になると神職の方々が入場します。 薬草や酒、野菜などが次々と奉納されます。 このお祭りの特徴は、1700年もの長い歴史があるという点です。 日本書紀では「花鎮祭」についての記録

      • 古代の工場を見学 新池(しんいけ)ハニワ工場公園

        前回投稿した高槻市の今城塚古墳から歩くこと30分、新池ハニワ工場公園に着きました。 この遺跡はマンションや一戸建ての立ち並ぶ住宅地の一角にあります。 現在は公園として整備されています。 古代なのに工場とはどういうことでしょう? 園内を進んでいくと目の前に埴輪を焼く窯が現れました。 公園内に展示された埴輪を見ながら「ハニワ工場館」に入ります。 内部には当時の窯がそのまま展示されていました。 窯の全長は10m位でしょうか。 1500年前の物とは思えない大きくて立派な窯です。

        • カワイイがいっぱい!今城塚古墳

          今回は大阪府高槻市の今城塚古墳を紹介します。 今城塚古墳はJR摂津富田駅からバスで10分ほどの場所にあります。 バスを降りて公園内に入ると、たくさんの埴輪が並んでいました。 古墳の手前には、家、動物、人物など190点の埴輪がずらりと並び、壮観です。 発掘された位置に復元、配置され、埴輪のお祭りが再現されています。 ここ今城塚古墳の埴輪は、とてもかわいいんですよ。 みんないい表情。 お墓につきものの、しめっぽい雰囲気は感じられません。 見ているこちらも自然に笑顔になりま

        • 固定された記事

        邪馬台国は見つかっていた【目次】

          「卑弥呼さま」に会える、大阪府立弥生文化博物館

          10月の終わり、大阪府和泉市の「大阪府立弥生文化博物館」通称「弥生博」を訪れました。 大阪駅から最寄りの信田山駅まで電車で約45分、駅から徒歩10分ほどの場所にあります。 こちらの弥生博では弥生文化に関する資料が幅広く展示されています。 実物の出土品だけでなく、レプリカやジオラマ、人形などをとおして歴史について学習できる弥生時代専門の博物館なんです。 建物は広々として、明るい雰囲気です。 館内では家族連れや、熱心に音声案内を聞くお子さんの姿が見られました。 そして、この

          「卑弥呼さま」に会える、大阪府立弥生文化博物館

          大きさにびっくり、景色に感動!五色塚古墳

          10月のよく晴れた日、神戸市の五色塚古墳を訪れました。 最寄り駅は山陽電鉄霞ヶ丘。 駅から歩いて5分ほどの場所にあります。 住宅街を抜けると突然、目の前に巨大な古墳が現れます。 全長194m。兵庫県で最大の古墳です。 草木の生い茂るこんもりした古墳はよく目にしますが、葺石が敷かれた巨大古墳は初めて見ました。 斜面にはソフトボール大の石がびっしり積み上げられています。 葬られた人の絶大な権力がうかがい知れます。 てくてくと階段を上ると…… 目の前に美しい海が広がります。

          大きさにびっくり、景色に感動!五色塚古墳

          はにワンコのあとがき

          本作品は、平成7年に父が自費出版した「邪馬台国シンフォニィ」を要約して作成しました。 しかしその原点は、もう少し時代をさかのぼります。 昭和41年~43年に兄 房弘と共著で発表した小論文「邪馬台国への道―その地理的考察―」です。 日本歴史地理学会が発行する「歴史地理」に2回に分けて掲載されました。 ページ数の違いこそあれ、主旨は平成7年出版の著書と大差ありません。 連続説の採用、100里=5kmの換算率、佐賀を経た九州南回り航路、瀬戸内海での航行シミュレーションなどは、昭和

          はにワンコのあとがき

          邪馬台国は見つかっていた【26】おわりに―「空白の世紀」解明に向けて―

          おじ: 外が暗くなってきたね。僕の長い話を聞いてくれてありがとう。 レン: おじさんの話はこれまでの説とあまりに違ったので、最初は驚きました。でも、絶対に解けないと思っていた邪馬台国の謎が次々と解けて、時間があっという間に感じました。 ゆい: 邪馬台国問題は難しすぎて私にはよくわからないって思っていたけど、おじさんと一緒に筋道を立てて考えてみたら、意外と簡単に解けた感じがしたな。 おじ: 邪馬台国の謎のうち、どれか一つでも間違った答えだったら位置を突き止めることはできな

          邪馬台国は見つかっていた【26】おわりに―「空白の世紀」解明に向けて―

          邪馬台国は見つかっていた【25】倭人伝に最も忠実な「九州南回り航路 大和邪馬台国説」

          おじ: 航路の疑問点は全て解けたかな? レン: はい。航路も、船の速度も、矛盾がないと思いました。 おじ: ここまでの検証で、改めて「九州南回り航路 大和邪馬台国」がほぼ確定したと言っていいだろう。これまでの長い検証の結果、邪馬台国は大和だと特定できたんだ。 邪馬台国 大和(奈良盆地) 投 馬 国 徳山 又は 防府(山口県) ゆい: つまり、おじさんの説は「畿内説」なのね。 おじ: そうだね。最終地点は畿内だが、既存の畿内説とはルートが大きく違うよ。従来の畿内説の

          邪馬台国は見つかっていた【25】倭人伝に最も忠実な「九州南回り航路 大和邪馬台国説」

          邪馬台国は見つかっていた【24】航行距離1日40kmは十分可能

          レン: 九州南回り航路が実際に利用されていたのはわかりましたが、もう1つ疑問があります。不弥国から邪馬台国までの全行程1240kmを30日間で航行したということは、1日あたりの航行距離は約40kmですね。 1240km ÷ 30日 = 41.3km レン: 船の速度が速すぎませんか?当時の船が1日に40kmも進むことができたんでしょうか? おじ: いい質問だね。では古代の船の速度について検証してみよう。少し古いが、1975年に対馬海峡を渡った古代実験船「野生号」の航

          邪馬台国は見つかっていた【24】航行距離1日40kmは十分可能

          邪馬台国は見つかっていた【23】九州南回り航路は存在した

          レン: 異議ありです!このルートにはまだ疑問が残っていますよ。邪馬台国が大和にしろ、徳島にしろ、瀬戸内海方面に行くならどうして関門海峡を通らないんですか。 ゆい: 本当ね。なぜこんなに遠回りをするの? おじ: 確かに、九州の南端を回るこれらのコースは非常に遠回りだ。本当にこんな航路があったのか、2人が疑問に思うのも当然だね。けれどこの効率の悪い航路は、当時実際に利用されていたんだ。 レン: 九州を南に回る航路が存在したと言える根拠はあるんですか? おじ: うん。邪馬台

          邪馬台国は見つかっていた【23】九州南回り航路は存在した

          邪馬台国は見つかっていた【22】邪馬台国までのコースは4つのパターンがある

          おじ: 佐賀平野から邪馬台国までの距離が1240kmとわかったところで、船のコースに話を戻そう。 ゆい: 大隅半島を東へ方角変更してどこに向かったか、だったね。 おじ: ここまでにわかった点をまとめてみたよ。 不弥国(佐賀平野)から投馬国まで船で20日かかる 投馬国から邪馬台国までは船で10日、陸路で1ヵ月かかる 2 のことから、投馬国と邪馬台国は陸続きで、水路と陸路が並行している 倭人伝の計算値では、佐賀平野から邪馬台国は船で約1240kmである(ただしある程

          邪馬台国は見つかっていた【22】邪馬台国までのコースは4つのパターンがある

          邪馬台国は見つかっていた【21】佐賀平野から邪馬台国までの距離は船で1240km

          ゆい: はぁ・・・・・・。私の苦手な数学の問題で、頭がこんがらがっちゃった。 おじ: 一息ついたところで悪いけど、距離の計算はまだ終わらないよ。 ゆい: え?まだ何かあるの? おじ: 邪馬台国までの距離を見事に計算した帯方郡使だが、その距離は実際の地図と比べてどの程度正しかったのか気にならないかい? レン: 確かに、地図上の距離と帯方郡使が把握していた距離に大きな差があったら、邪馬台国までの800kmと1120kmも正しいとは言えませんね。 おじ: 帯方郡使の距離計

          邪馬台国は見つかっていた【21】佐賀平野から邪馬台国までの距離は船で1240km

          邪馬台国は見つかっていた【20】「会稽東冶の東」はピタゴラスの定理を使って算出された

          レン: 佐賀平野から直線距離で800kmという数値を、一体どうやって算出するんですか? おじ: 2人はこの図を覚えているかい? レン: 海岸沿い航法の図ですね。帯方郡を出発した船が「南に行くかと思えば急に東に行く」というように、ジグザグに向きを変えながら狗邪韓国まで進んだんですよね。 おじ: この図が直線距離の求め方と深~い関係があるのさ。さあ、ここからは数学の時間だよ。この図を簡略化すると下のような直角二等辺三角形になる。 おじ: 青の点線は帯方郡から狗邪韓国までの

          邪馬台国は見つかっていた【20】「会稽東冶の東」はピタゴラスの定理を使って算出された

          邪馬台国は見つかっていた【19】古代中国には高度な数学知識があった

          おじ: では帯方郡使の計算方法を・・・・・・。 ゆい: ちょっと待って。倭人伝には百里とか千里とか書かれているけど、そもそも大昔の人がどうやって距離を測ったの?その距離は本当に正しいの? レン: 確かに、帯方郡使の書いた距離が間違っていたら、データとしては使えないですね。 おじ: 帯方郡使はちゃんと距離を計算した上で、百里や千里と書いたはずだよ。  ゆい: 本当に?どうやって? おじ: では、古代中国の数学について少し説明しよう。古代中国人は我々が想像するよりも、は

          邪馬台国は見つかっていた【19】古代中国には高度な数学知識があった

          邪馬台国は見つかっていた【18】「会稽東冶の東」は重要なヒントだった

          ゆい: それで、佐賀平野を出航して大隅半島で東に方角変更した船はどこに向かったの? おじ: それは「船で30日」がどの位の距離なのかによって、大きく左右されるんだ。次の投馬国は「船で20日」だが、距離が短ければ九州域内かもしれないし、長ければ中国地方も含まれる。 おじ: 投馬国と邪馬台国を探すためには、正確な距離の算出が必要不可欠だ。邪馬台国までの「船で30日」が具体的に何kmだったのかを解明しなければならないんだ。 ゆい: けど、「船で30日」だけでどうやって距離を算

          邪馬台国は見つかっていた【18】「会稽東冶の東」は重要なヒントだった