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邪馬台国は見つかっていた【19】古代中国には高度な数学知識があった

おじ:
では帯方郡使の計算方法を・・・・・・。

ゆい:
ちょっと待って。倭人伝には百里とか千里とか書かれているけど、そもそも大昔の人がどうやって距離を測ったの?その距離は本当に正しいの?

レン:
確かに、帯方郡使の書いた距離が間違っていたら、データとしては使えないですね。

おじ:
帯方郡使はちゃんと距離を計算した上で、百里や千里と書いたはずだよ。 

ゆい:
本当に?どうやって?

おじ:
では、古代中国の数学について少し説明しよう。古代中国人は我々が想像するよりも、はるかに高い数学知識があったんだ。

ゆい:
そうなの?

おじ:
秦の時代に成立した中国最古の数学書「九章算術」には、田畑の面積や土木工事等の計算問題が全部で246問収められていた。内容は非常に高度で、三角形や台形の面積計算、分数、鶴亀算、連立方程式、円周率などの高等数学がまとめられていたんだ。

レン:
秦の時代というと紀元前1~2世紀頃ですね。それなのに内容は僕たちが勉強している数学と同じだ。驚いたなあ。

ゆい:
田畑の面積や土木工事の計算ということは、当時の官僚が使っていたの?

おじ:
そうなんだ。中国という巨大統治国家で、官僚は行政の重要な役割を担っていた。租税の徴収、灌漑事業、運輸等を統制する上で、数学は官僚にとって必要不可欠な知識だったんだ。

ゆい:へー!

おじ:
だから、帯方郡使も距離の計算が可能だったとぼくは考えている。実際「九章算術」の中には距離計算の問題も載っているよ。2人も算数の時間に「追いつき算」を学んだことがあるだろう?

ゆい:
あるある!忘れ物をした弟を兄が自転車で追いかけて、どの地点で追いつくでしょうかっていう問題ね。あの問題は2000年以上前からあったのね。すごい!

おじ:
倭人伝を書いた帯方郡使も優秀な官僚集団の一人だから、船の速度から進んだ距離を計算する位の数学知識はあったはずだ。

ゆい:
なるほど。倭人伝に書かれた距離は、ちゃんと数学的裏付けがあったのね。もう一つ質問させて。倭人伝の「邪馬台国までの道程を計算してみると」が、どこからどこの道程を計算したのかが、いまいちピンと来ないんだけど………。

計其道里 當在會稽東冶之東
(その道里を計るに、当に会稽の東冶の東にあるべし)
訳:邪馬台国までの道程を計算してみると(その位置は)会稽の東冶の東に相当する。

おじ:
これまでにわかったように、帯方郡使が実際に訪れたのは不弥国(佐賀平野)までだった。この区間は距離と方角が倭人伝に記されており、帯方郡使が計算する必要はない。しかし、佐賀平野から邪馬台国までは「船で30日」という倭人の情報しかない。彼が邪馬台国の位置を正確に自国へ報告するためには、具体的な距離を求めなければならない。そこで船の進む速さと日数をもとに邪馬台国までの距離を計算するという作業が必要になる。結果、彼は邪馬台国の位置を「会稽東冶の東」だと断定した。つまり倭人伝の言う「計算」の内容とは、「船で30日」という情報をもとに不弥国(佐賀平野)から邪馬台国までの距離を算出することだったんだ。

ゆい:
なるほど。速度×時間(日数)=距離の公式ね。よくわかった。

レン:
それで、帯方郡使は佐賀平野から邪馬台国までを何kmだと算出したんですか?

おじ:
会稽東冶は現在の中国福建省にあたる。そこから東に線を引き佐賀平野までの距離を測ると直線距離で約800kmだ。帯方郡使は何らかの方法でこの800kmという距離を算出したことになる。

図表36

ゆい:
じゃあ、この距離をもとに投馬国と邪馬台国が探せるね。

おじ:
うん。倭人伝に隠された素晴らしい数値が発見されたと言える。では、この800kmという距離を彼はどうやって計算したと思う?     

レン:
単純に考えれば、1日の航行距離から求めたんじゃないでしょうか。彼は帯方郡から船で九州まで来たのですから、船が1日に進む距離を把握できたはずです。

ゆい:
なるほどね。帯方郡使は1日の航行距離を26.7kmだと把握していた。それに航行日数を掛けて800kmを算出したというわけね。
 
26.7km/日 × 30日 = 800km
 
おじ:
なかなかいい回答だが2つの疑問点がある。1つは1日の航行距離が短すぎる点。船の速度が26.7kmというのは一見妥当性があるように思えるが、このスピードでは狗邪韓国(釜山)~対馬間の60kmおよび対馬~壱岐間の47kmは1日で渡り切れない。もう1つは800kmが航行距離だという点。通常、出発地点から到着地点までの距離を誰かに伝える場合、航行距離ではなく直線距離で説明するものだ。「会稽東冶の東に相当する」という説明も地図を使った説明の仕方であり、航行距離で説明されるはずはない。

レン:
だとしたら800kmは航行距離じゃなくて、直線距離だったんですか?

おじ:
うん。直線距離であれば1日の航行距離は27kmよりもずっと長くなるし、距離の説明の疑問も解消する。800kmは航行距離ではなく直線距離だったと考えるべきだ。

レン:
航行距離なら船の速度さえわかれば計算できるけど、さすがに直線距離までは計算できないと思います。当時の技術では、直線距離を調べるのは不可能です。

おじ:
それが、直線距離を求める方法があるんだよ。

2人:
えっ!?どうやって?

【20】につづく


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