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邪馬台国は見つかっていた【25】倭人伝に最も忠実な「九州南回り航路 大和邪馬台国説」

おじ:
航路の疑問点は全て解けたかな?

レン:
はい。航路も、船の速度も、矛盾がないと思いました。

おじ:
ここまでの検証で、改めて「九州南回り航路 大和邪馬台国」がほぼ確定したと言っていいだろう。これまでの長い検証の結果、邪馬台国は大和だと特定できたんだ。

邪馬台国 大和(奈良盆地)

投 馬 国 徳山 又は 防府(山口県)

図表49(再掲)

ゆい:
つまり、おじさんの説は「畿内説」なのね。

おじ:
そうだね。最終地点は畿内だが、既存の畿内説とはルートが大きく違うよ。従来の畿内説のルートは主に次の2つだった。

  1.  福岡県-瀬戸内海-奈良

  2.  福岡県-日 本 海-奈良

図表55 従来の畿内説のルート

おじ:
これらのルートを通るためには、倭人伝に書かれた方角を修正する必要があった。しかし「九州南回り畿内説」ならば、距離も方角も修正の必要はない。「倭人伝に最も忠実な解釈」と言えるだろう。

ゆい:
「新しい畿内説」ってことね。

おじ:
改めて最初から振り返ってみよう。たくさんの難解な謎を解き明かしながら一歩一歩、邪馬台国に近づいてきたね。

図表56

おじ:
レンくん。第1章で「邦訳魏志倭人伝」の訳文が本当に正しいかどうか、まだ保留のままだったね。

レン:
はい。「水行十日陸行一月」も「連続説」も、従来の説とは違っていたので、にわかには信じられなかったんです。

おじ:
その疑問は解消したかな?

レン:
おじさんの訳文をもとに倭人伝を読み解いていったら、本当に邪馬台国を見つけることができました。ここまでの内容にも納得できたし、あの翻訳は正しかったんだと今は思えます。

おじ:
これまでは倭人伝だけで邪馬台国の位置を特定するのは不可能だと言われてきたが、倭人伝の真の内容を理解し疑問を丁寧に解決することで、邪馬台国問題を究明できたんだ。

ゆい:
ついに日本史最大のミステリー、邪馬台国の謎を突破したね!


【22】~【25】のまとめ

  • 不弥国以降、船は九州を南に回り、瀬戸内海を東に進んだ

  • 九州南回り航路は後世にも利用されていた

  • 古代の船は1日に40kmの速度を出すことができ、瀬戸内海を10日で航行した

  • 投馬国の位置は徳山又は防府である

  • 邪馬台国の位置は大和である


【26】につづく

三輪山から見た奈良盆地

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