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邪馬台国は見つかっていた【24】航行距離1日40kmは十分可能

レン:
九州南回り航路が実際に利用されていたのはわかりましたが、もう1つ疑問があります。不弥国から邪馬台国までの全行程1240kmを30日間で航行したということは、1日あたりの航行距離は約40kmですね。
 
1240km ÷ 30日 = 41.3km
 
レン:
船の速度が速すぎませんか?当時の船が1日に40kmも進むことができたんでしょうか?

おじ:
いい質問だね。では古代の船の速度について検証してみよう。少し古いが、1975年に対馬海峡を渡った古代実験船「野生号」の航跡をもとに、船の速さを考えてみる。この海域は潮の流れが非常に速く、渡るにはスピードが必要だ。島と島の間は停泊できる場所もないから、88kmなり60kmの距離をノンストップで渡り切らないといけない。

図表52

おじ:
「野生号」の航行距離をもとに計算してみると、船の速度は少なくとも時速5~6kmが必要なんだ。

ゆい:
3世紀の船がそんなに速いスピードを出せたの?

おじ:
実際、当時の人々は船で朝鮮海峡を渡り大陸の人々と活発に交流をしていた。九州で出土している数多くの大陸製の鉄器や銅鏡がそのことを裏付けている。当時の船は時速5kmを出せたと考えて、まず間違いないだろう。1日の航行時間が8時間だとしたら、1日40km進むのも十分可能だ。

ゆい:
古代の船は私たちが考えるよりも、かなり速かったのね。

レン:
不弥ふみ国(佐賀平野)から邪馬台国までの全行程1240kmを1日平均40kmで航行したとすれば、31日かかる計算ですね。
 
1240km ÷ 40km/日 = 31日
 
ゆい:
倭人伝の「不弥ふみ国から邪馬台国まで船で30日」という記述と、ちゃんと一致するね。

おじ:
不弥ふみ国(佐賀平野)から投馬とま国(山口県)までの九州沿岸部は1日に40km航行したと考えられるが、問題は瀬戸内海なんだ。

ゆい:
どうして?瀬戸内海は波が穏やかだから、九州沿岸より進みやすいでしょう?

レン:
瀬戸内海は九州沿岸と違って島が多いし、潮の流れも複雑だ。同じ時速5kmで航行できたのか、問題があるとすればこの点だろう。

レン:
倭人伝に書かれた「投馬とま国から邪馬台国が水行十日」が本当に可能なのか、検証する必要がありますね。

おじ:
うん。そこで、こんな試算をしてみた。時速5kmの船が瀬戸内海を航行したら「水行十日」で邪馬台国まで行けるのか?題して「10日間で行けるかな?瀬戸内航海シミュレーション !」

ゆい:
・・・・・・どこかで聞いたようなタイトルね。

おじ:
大阪から山口県まで瀬戸内海を航行した場合、船は10日間で到着できるのか。様々な条件を設定して膨大なシミュレーション計算をしたんだ。シミュレーションの詳しい条件は以下のとおりだよ。興味があれば読んでみて。

ゆい:
はいっ!文字が多すぎて読みたくありません。

おじ:
ハハハハ。簡単に言えば、潮の流れ、船の速度、航行時間に関して、できる限り細かく考慮し無理のない条件にしてあります、ということだよ。

10日間で行けるかな?瀬戸内航海シミュレーション


区間
浪速(大阪府大阪市)~中関(山口県防府市)

図表53

シミュレーションの条件

  1. 船の静水での速度を毎時5kmよりもあえて1km遅い4kmとする。

  2. 1日の航行時間は原則として夜明けとともに出港し、暗くなる前には入港していることとする。ただし、計算に当たっては昼間の時間が最も長い夏ではなく、より平均値的な春頃とした。

  3. 潮の流れに対しては原則として順潮を利用し、逆潮は避けることとする。それゆえ、夜明けと同時の出港、日没時の入港が原則であるが、逆潮時は出港を遅らせるなり入港を早めることとする。ただし逆潮時でも流れが船の速度の1/2以下であり、しかも逆潮から順潮に転じていく場合には出港するなり引き続き船を進めることとする。

  4. 船が岸を離れ、静水での順航速度である4kmに達するにはそれなりの時間を要し、その間の平均速度は4kmより遅くなるが、計算がさらに複雑になることから、全体の計算が終わってからこの点を配慮することとする。

  5. 船が潮の流れに乗る場合、例えば潮流の速さが4ノット(毎時4.852km)だとすれば、最初から船の速度に4ノットが加わるのではなく、徐々に加算されることとする。その方法も、y=xのようにリニアではなく、y=sinxのサインカーブで潮流の速度が加えられる計算をする。

  6. 風の影響については、追風、向い風の吹く度合いによって船の速度は変わってくるが、基本的に平等に影響したとして差引きゼロとする。ただし、横風はこれも全ての計算が終了してから考慮することとする。

  7. 船の航路の取り方としては、岸沿いの岬から岬を結ぶ線を原則とする。ただし、目で確認できる範囲とする。

  8. 当時の船の寄港地はわかっていないので、江戸時代の内海寄港地を目安にすることとする。

  9. 潮流の変化は『内海潮汐表』に従って計算している。

シミュレーション計算の結果

図表54

1日あたりの平均航行時間  9時間40分
1日あたりの平均航行距離    41km
       全行程日数     10日
      航行距離合計   415km

最後に「条件4. 船がスピードに乗るまでの速度」と「条件6. 風の影響」を考慮すると所要日数は9~12日となる

結論
瀬戸内海は「水行十日」で航行できた


おじ:
シミュレーション計算の結果、浪速~中関間の所要日数は9~12日となり、島が多く潮の流れが複雑な瀬戸内海でも確かに10日で航行できるということがわかった。倭人伝に書かれた「投馬国から邪馬台国が水行十日」は確かに可能だったんだよ。

ゆい:
倭人伝の「水行十日」がシミュレーション計算でも裏付けされたのね。

【25】につづく

瀬戸内海と瀬戸大橋


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