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古代の工場を見学 新池(しんいけ)ハニワ工場公園

前回投稿した高槻市の今城塚古墳から歩くこと30分、新池しんいけハニワ工場公園に着きました。
この遺跡はマンションや一戸建ての立ち並ぶ住宅地の一角にあります。
現在は公園として整備されています。

古代なのに工場こうばとはどういうことでしょう?
園内を進んでいくと目の前に埴輪を焼く窯が現れました。

復元された窯

公園内に展示された埴輪を見ながら「ハニワ工場館」に入ります。

ハニワ工場館


内部には当時の窯がそのまま展示されていました。
窯の全長は10m位でしょうか。
1500年前の物とは思えない大きくて立派な窯です。
この中に埴輪がぎっしり並ぶ様は、さぞかし壮観だったでしょう。

窯の中に残された埴輪片も一緒に見ることができますよ。

公園の全体図です。(パンフレットより)
窯が18基、工房3棟に加え、工人たちの住居7棟が発掘されています。

確かにこれは「工場」という名にふさわしい立派な施設です。
新池埴輪工房はおよそ100年間にわたって操業を続け、今城塚古墳だけでなく近隣にある古墳の埴輪も製作していたそうです。

復元された工房

この工房で工人20名ほどが生成作業をしていたのだそう。
職人たちが忙しく埴輪を作る様子が目に浮かびました。

公園の斜面には植え込みがたくさんあります。

これらはすべて窯の跡です。
当時斜面を利用して作られた窯を、植え込みで再現しているのだそう。

「12号窯」
展示パネル

展示パネルの説明を抜粋します。
埴輪を作り始めた西暦300年頃は野焼きで作られていました。
しかしこの方法では焼きムラも多く大量生産はできません。
そこで430年頃から窯を使って埴輪を焼くようになりました。
すると焼きムラなく大量生産ができるようになったのです。

なるほど。
これはトヨタもびっくりの生産性向上、業務効率改善です。
大量生産と品質向上によって、今城塚古墳のかわいくて豊富な種類の埴輪が製作可能になったのですね。

530年頃に生産のピークを迎えた新池埴輪工房ですが、550年頃には近畿地方で前方後円墳が造られなくなり、同時に埴輪生産も終了しました。
日本は仏教の時代へと移り変わります。

しかし同時期に関東や地方の豪族たちが古墳を作り始め、それに伴い関東での埴輪づくりが盛んになっていきました。
埴輪の文化はさらに50年間続いたのです。

今城塚古墳のかわいい埴輪たちは、立派な「古代の工場」で生み出されていたことがわかりました。
現代の工場見学と同じく、楽しくて勉強になる新池ハニワ工場公園でした。

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