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邪馬台国は見つかっていた【22】邪馬台国までのコースは4つのパターンがある

おじ:
佐賀平野から邪馬台国までの距離が1240kmとわかったところで、船のコースに話を戻そう。

ゆい:
大隅半島を東へ方角変更してどこに向かったか、だったね。

おじ:
ここまでにわかった点をまとめてみたよ。

  1. 不弥ふみ国(佐賀平野)から投馬とま国まで船で20日かかる

  2. 投馬とま国から邪馬台国までは船で10日、陸路で1ヵ月かかる

  3.  2 のことから、投馬とま国と邪馬台国は陸続きで、水路と陸路が並行している

  4. 倭人伝の計算値では、佐賀平野から邪馬台国は船で約1240kmである(ただしある程度の幅を持たせる)

  5. 不弥ふみ国から投馬とま国の距離は1240kmの3分の2、投馬とま国から邪馬台国は残り3分の1となる
    不弥ふみ国~投馬とま国:船で20日 1240kmの2/3 ⇒ 825km
    投馬とま国~邪馬台国:船で10日 1240kmの1/3 ⇒ 415km

図表45

おじ:
これらの条件を日本地図にあてはめてコースを検討すると、考えられるのは次の4つのコースだ。


図表46

A 四国外海コース
 四国の太平洋側 → 徳 島
B 四国内海コース
 四国の瀬戸内海側 → 徳 島
C 瀬戸内海コース
 瀬 戸 内 海 → 大 阪
D 日本海コース
 日 本 海 → 出 雲

ゆい:
邪馬台国の候補地が、徳島・大阪・出雲の3つに絞られたね。

おじ:
2人は、どのコースだと思う?

レン:
日本海コースは遠回りすぎて合理的じゃないですね。

ゆい:
四国外海コースと四国内海コースは目的地が同じ徳島なら、四国内海コースの方が安全だと思うな。

おじ:
そうだね。日本海コースは出雲が登場するのでかなり魅力的だが、九州を1周して不意に日本海に出て行くのは不自然さが強く残る。また四国外海コースもあえて波の高い太平洋岸を通るよりも、波が穏やかで安全な 瀬戸内海コースを通ったはずだ。コースA、Dの可能性は低いだろう。

ゆい:
残るは B 四国内海コース と C 瀬戸内海コース ね。

おじ:
ここで条件④、⑤の 倭人伝の計算値を活用してみよう。ここからは投馬国の位置がポイントとなる。

不弥ふみ国から投馬とま国   825km
投馬とま国から邪馬台国  415km  
合   計     1240km

おじ:
この計算値をもとに投馬とま国の位置を考えると、以下のパターンが想定される。

図表47
図表48

レン:
投馬とま国の候補地が各コースに2つずつありますね。

おじ:
まず四国内海コースの投馬とま国の候補地は長浜(現大洲市)と宇和島が考えられるが、1つ問題点がある。どちらも合計距離は大差ないが、区間ごとの距離が大きく不足してしまうんだ。

ゆい:
長浜だと投馬とま国~邪馬台国の距離が足りないし、宇和島だと不弥ふみ国~投馬とま国の距離が足りなくなる……。あちらを立てればこちらが立たずね。

レン:
どちらも倭人伝の計算値との差が100km以上ありますね。これでは距離が一致しているとは言えないですね。

おじ:
一方、瀬戸内海コース の投馬とま国の候補地は徳山と防府が挙げられる。こちらは区間ごとの距離も合計距離も、ぴったり一致するんだ。徳山の方が倭人伝の計算値により近いが、防府は古くから山口から九州に渡る拠点として利用されていて歴史的な実績がある。

ゆい:
これは明らかに瀬戸内海コース に分があるね。

おじ:
以上を踏まえると、邪馬台国までの道程の条件①~⑤を満たしているのはCコースだけだ。最も妥当性の高いコースは C 瀬戸内海コース になる。

図表49

ゆい:
じゃあ、邪馬台国の位置は?

おじ:
その後、日本を統一した大和政権が奈良盆地にあったことを考えれば、邪馬台国は大和にあったと考えるのが最適だ。投馬とま国は徳山か防府辺りということになる。

レン:
いやいや、ちょっと待ってください!異議ありです!

【23】につづく

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