邪馬台国は見つかっていた【21】佐賀平野から邪馬台国までの距離は船で1240km
ゆい:
はぁ・・・・・・。私の苦手な数学の問題で、頭がこんがらがっちゃった。
おじ:
一息ついたところで悪いけど、距離の計算はまだ終わらないよ。
ゆい:
え?まだ何かあるの?
おじ:
邪馬台国までの距離を見事に計算した帯方郡使だが、その距離は実際の地図と比べてどの程度正しかったのか気にならないかい?
レン:
確かに、地図上の距離と帯方郡使が把握していた距離に大きな差があったら、邪馬台国までの800kmと1120kmも正しいとは言えませんね。
おじ:
帯方郡使の距離計算の根拠は帯方郡から佐賀平野までの航行実績だった。幸い倭人伝にはこの区間の距離と方角が書かれている。そこで、これらの距離にもし誤差があれば、先ほどの800kmと1120kmを修正する必要がある。
レン:
邪馬台国までの距離の精度を、もう一段階上げようというわけですね。具体的にはどうするんですか?
おじ:
次のように検証と調整をするよ。
帯方郡から不弥国(佐賀平野)までの倭人伝に書かれた距離から南北の距離の合計を出す。ただし、行程の中で「東南」など斜めに進んだ部分は、1.4 で割って南北の距離に修正する。……(A)
1と同じ区間の距離を現代の地図で確認する……(B)
(A)と(B)の差 (C) を直線距離800kmに加える
航行距離1120kmも同様に修正する
おじ:
では、早速始めよう。
1.倭人伝の帯方郡から不弥国(佐賀平野)までの南北の距離の合計を出す
381km ~ 395km …… (A)
2.1 と同じ区間の距離を現代の地図で確認する
帯方郡(韓国の仁川)から不弥国(佐賀平野)までの地図上の南北の距離
475km ・・・・・・ (B)
※500万分の1の地図で計測
3.(A)と(B)の差 (C) を800kmに加える
(A)381km ~ 395km - (B)475km
=(C)-80km ~ -90km
800km + (C)80km~90km
= 880km~890km
誤差修正後の直線距離は880km~890km
4.1120kmも同様に修正する
880km~890km × 1.4 = 1232km ~ 1246km
誤差修正後の航行距離は1232km ~ 1246km
おじ:
計算結果をまとめると帯方郡使が把握していた距離は、実際の地図と比較して80km~90km不足していたことがわかったんだ。修正結果は以下のようになるよ。
佐賀平野から邪馬台国までの距離の修正結果
南北の距離: 800km ⇒ 880km ~ 890km
航行距離: 1120km ⇒ 1232km ~ 1246km
おじ:
今後は、この1232km~1246kmという航行距離をもとに邪馬台国を探していく。ただ、数値に幅があるのは後々計算が面倒になることから、1240kmとしておくよ。
ゆい:
つまり、佐賀平野から船で1240kmの場所に邪馬台国があるわけね。
おじ:
うん。ただし、この距離はあくまでも朝鮮半島での航行がベースになっている。日本の船の速度や海の状況とは当然異なるだろう。その可能性も考慮して、ある程度の幅を持たせてアプローチをしていく。以上で検証と調整は終わりだよ。
ゆい:
邪馬台国までの正確な距離もわかったし、これで投馬国と邪馬台国探しの続きができるね。
おじ:
従来の邪馬台国研究では「会稽東冶の東」が南の海上になることから、九州以降の距離と方角を修正したり、放射説が登場したりと、様々な解釈が生まれた。遂には誤った記述と見なされ、あまり注目されないようになった。しかし、その内容をひも解くとピタゴラスの定理を使用した、驚くような計算方法が判明した。もちろん帯方郡使が邪馬台国の位置を正確に表示しようとした努力の賜物だが、その背景には偉大とも言うべき中国の文化が感じられるんだ。
レン:
やっかいな「会稽東冶の東」という説明は、実は邪馬台国の位置を究明する大きな手掛かりだったんですね。
ゆい:
ようやく「会稽東冶の東」問題を突破したね。
【18】~【21】のまとめ
帯方郡使は「南に船で30日」という情報から、邪馬台国の位置を「会稽東冶の東」と算出した。
航行距離から直線距離を算出するためにピタゴラスの定理が用いられた。
「船で30日」の倭人伝の計算値は1240km。
【18】~【21】の参考文献
「世界の名著12 中国の科学」 薮内清 責任編集 中央公論社
「古代中国数学『九章算術』を楽しむ本」 孫栄健 編・著 言視舎
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