キナリ

日記風フィクションエッセイ。言葉が好き。

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  • エッセイを書きたかったけど、書けずに、行き着いた場所。

    毎週火曜と金曜と日曜に更新したい。フィクションです。

  • エッセイなのかなんなのか

    アーカイブです! 2021年に更新された、エッセイなのかなんなのか。フィクションです。

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最近の記事

【エッセイ】 やった感。

最近、本が読めていません。読もうと思って時間を作っているのに、集中力が続かないというか、色々なところに興味が移ってしまって。読み終わる前に次なる本に手を伸ばしてしまうんです。こういうことって、よくあることなのかしら。 これが恋愛だったら最悪だよね。乗り換え乗り換え乗り換えだもの。イヤ、二股、三股、四股、五股ってやつか。ハタから見ると破滅的だけど、相手が本だと話は変わる。本だと許されてしまう。いやいや、許すも許さないも通用しない世界ですからね! 読みかけにして放って置いても

    • 【エッセイ】 ムダムダムダムダ!

      音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだり、美術館に行ったり、動物園に行く。これほど楽しくて豊かで贅沢な時間はないと思う。 でも、ムダなことだとも思う。すごくムダだ。まるで社会の役に立ってないし、自分のためにもなってない。ディオに殴られそうだ。ムダムダムダムダー! そんな相反する気持ちが自分の中に混在する。こうして文章を書いてる時間だってそう。なにをしてても感じてしまうんです。ウチがしていることって、ぜーんぶムダなことだなあって。 きっと、こんなムダだらけの人生を送って

      • 【エッセイ】 寝違えた!

        おはようございます。朝起きると、まったく首が回りませんでした。お金が返せないとか、そういう意味ではなくて。寝違えた、ってやつです。 あたし、たまーに寝違えることがあるんですけど、この歳になってからの「寝違え」はなかなか堪えますね。 人間のカラダって想像以上に全身を使ってるみたいです。まずね、首を動かそうとすると背中が痛くなるんです。だから背中をカバーして腰からカラダを使わないといけない。立っている場合と座っている場合では、その使い方も変わってきて、立っている時は下半身も使

        • 【エッセイ】 枝豆のキャパシティ。

          自分のキャパシティは枝豆みたいなものなのかもしれない。ふさに収まるのは、三つくらいが限界。やりたいことが出来れば、すでにあるものを捨てなくてはならない。 本を読んだり、テレビやネットの世界を眺めていると、キャパシティなんて言葉を知らないみたいに才能に溢れた人が多すぎる。次から次へと才能を開花させ、「マルチ」なんて言葉が取り沙汰されるから、つい自分もナンデモデキルと思っちゃうんだけど・・・。 普通は無理なんだよね。 同時に色々なことなんてできないよ。 ウチの場合、せいぜい三

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          【エッセイ】 毎日が分岐点。

          定期的にタイムスリップしたくなる。静かな夜道を歩いている時なんて特に思ってしまう。「このまま夜の世界に飲み込まれて、気づいたら学生時代で・・・」なんてね。 夢みたいなことを考えながら歩いているからガードレールに膝をぶつけることもしばしば。あの時の痛さったらない。歯にくるんだよね、衝撃が。たぶん、現実的な痛みを使って神様が教えてくれてるんだよ。過去に行ったら今のお前はいなくなっちゃうぞーって。 考えれば考えるほど、今の自分は偶然の産物なんだなって実感する。無意識の選択の連続

          【エッセイ】 ムチを打て!

          最近、人と会っても自分の口から弱音しか出てこないことに驚いている。「将来が不安」だとか、「仕事を続けられるか分からない」なんて後ろ向きなセリフばかり。ぷらぷら帰り道を歩きながら後悔する。 一人で生活していても、そこまで不安に襲われることは少ない。自己批判の雨はやまないけれど、それは自分を奮い立たせるためのムチだ。ウチにはムチが必要なんだ。すぐに気が抜けるし、ズルをするし、ラクをしたがる性格だから厳しくしないとダメになる。だからビシバシとムチを打つ。自己批判、自己批判、自己批

          【エッセイ】 とおまわり。

          人間、同時にできることって少ないのかもしれない。ここ数年、ウチは色々なことに挑戦してきたが、そのどれもが続かなかった。文章、イラスト、ダンス、語学、ラジオ。自分の「関心」に従い、色々と行動を起こしたつもりだったけど、長持ちしない。けっきょくのところ、いつもの自分に戻ってきてしまう。 でも、そのどれもが微かなカケラとして今の自分に残っているのも確かで、時間の使い方が変わったりする。わざわざ時間をかけてイラストを描くことはないかもしれないけど、日記の隅っこに小さなイタズラ書きが

          【エッセイ】 テマの時代。

          「本を読めなくなった」 先輩は残念そうに言った。年齢を重ねるたびに、読書する体力が落ちてきてるんだとか。まるで足腰の筋力が弱っていくみたいに読書ができなくなっていくらしい。 先輩はお医者さんの家系に生まれた典型的な才女だ。天真爛漫に生きてきたのに、学校の成績は常にトップを誇るという、あたしには理解し難いほど、頭がいい。「友達は本だった」と断言するほどの読書家で、しかも速読だったらしい。1日に何冊もの本を読めたんだとか。 その力が活きているのか、今でも企画書などは時間をか

          【エッセイ】 いったり、きたり。

          「人には適性がある」という気持ちと「人は環境に合わせて変化しなければいけない」という思いがぶつかって摩擦を起こしている。痛くて痛くてたまらない。 シロクマが砂漠で生きていけないみたいに、人間にもそれぞれの適性があると思っている。どう頑張っても器用になれない人はいると思うし、コミュニケーションを取るのが苦手な人もいる。それは単なる適性の話で、適性が合わない人に、無理強いするのはかわいそうだよ。だって、住む場所を間違ってるだけなんだから! 「ここは砂漠よ? あなたが来てはいけ

          【エッセイ】 スキル。

          心の裡を言葉にできる人が羨ましくて仕方ない。 ここのところ自分なりに文章を書いているんだけど、どうしても自分と文字との間に距離を感じてしまうんです。書いてはいるけど、うまく表現できてないなって思ってしまう。 それでも、話すことよりはよっぽどラクなの。書くことのほうが、自分の気持ちを伝えられていると思っちゃう。会話の速度よりも、書いてる時のほうがうゆっくり時間が進むから、こんなウチでも言葉にできる。 でもね、それでも足りないって思っちゃうんだよね。これは人間のサガなのかなあ

          【エッセイ】 主役。

          静かな場所で本を読んでいると、ヒソヒソ話などの微かな会話が、やけに大きく耳に飛び込んでくる。聞きたくない、聞きたくない、集中しろ、集中しろ、と思うほど、会話は正確にウチの鼓膜を振動させる。 どうでもいい。本当にどうでもいい会話だ。興味も湧かない。なのに、耳にフタができないジレンマ。ヘンな話だね。 目はまぶたを閉じてしまえば、世界を遮断できるし、鼻も息を止めてることができる。口を結べば言葉は出てこないし、食べ物だって入ってこない。なのに、耳だけは、塞ぐことができない構造にな

          【エッセイ】 苦手な言葉。

          子どもの頃から、「勝てば官軍」という言葉が苦手だった。 初めてこの言葉を聞いたのは、中学校の社会の時間だったと思う。社会科の先生は、妙に俗っぽい人だった。 初めての授業の時、先生は「オレ、右手の薬指が麻痺してっから、字が汚ねぇんだけどよぉ、わりぃな」としゃがれた声で叫んだ。教師とは思えないほど言葉づかいが荒く、骨格もガッシリとしているせいか威圧感もあり、全体的にガサガサしていた印象だった。スポーツマンだったのか、それとも職人かなにかだったのか・・・。あたしの頭の中には、いく

          【エッセイ】 没頭できない人生。

          子どもの頃から、没頭できるものがなかった。なにをしても続かない。すぐに飽きてしまう。目移りしてしまう。そんな人生を送ってきた。 オモチャもあったし、ゲームもあった。本も漫画もそばにはあった。ピアノの習い事までさせてもらっていた。でも、続かない。途中で放り出して、ごろ寝。これが、あたし。 あまりにも没頭できないから、いつも頭の中には「ヒマ」の2文字が浮かんでた。途中から、「自分は没頭できないという病気なのではないだろうか?」とまで考えるようになっていた。 あたし、なにか

          【エッセイ】 家と風呂。

          学生時代から、自分の家に誰かを呼ぶことが苦手だった。それは仲が良いとか悪いとか、友達が多いとか少ないとかの問題ではなく、もっと純度の高い苦手で、きっとウチにとって、家という場所は、ココロの置き場所でもあったんだと思う。だから、家族の誰かが友人を連れてきた時は、毎回ドギマギしてしまっていた。 家の外に出る時は、コートを着るみたいにココロにも外套をまとう。だからニッコリ笑って挨拶ができたり、イヤなことがあったとしても感情を押し殺すことができた。でも、それが家の中だと上手くできな

          【エッセイ】 悪と闘う20歳。

          「悪ってなんですか?」 突然、20歳の女性にそう問われ、あたしは考え込んでしまった。どうやら彼女は《悪に対する耐性》がないらしく、テレビや映画に出てくるような悪役にでさえ拒絶反応を示してしまうらしい。悪と直面すると、身体が震え、抑えられないような怒りや悲しみが込み上げるんだとか。自分を制御できなくなってしまうことに悩み、でも、そんな自分を客観視するためにも「悪とは何か?」を様々な人に聞いているようだった。 「人を殴るような暴力や、罵ることは悪?」 「ポイ捨てはどうかな?

          【エッセイ】 好きと仕事と体力と。

          友達から「やっと本が好きだという気持ちに正直になれた」というメッセージが届いた。彼女は幼い頃から読書家で、夢であった出版社に入社したはずなのに、ここ数年、仕事のために本を読むことが苦痛なんだと悩んでいた。それが、この度めでたく、長年の悩みから脱することができたということだ。 これまでウチは、特にアドバイスもせずに「出版社に入れるなんて読書エリートだよお。羨ましいなあ」と無神経に言い続けてきた。だって、それが素直な気持ちだったし、助言なんて彼女には必要ないと思っていたから。そ