書きながら考えてるんだわ!
ものごとを論理的に考えられる人に憧れがあった。喋る時も「結論から申し上げると」などと言える人になりたかった。だから、努力した。会話をする時も、一度、頭の中で整理をして喋ったり、台本を作るような感覚で自分の意見が短くストレートで伝わるように工夫した。実際に、台本を作ったこともある。頭の中だけでなく、文章も論理的な構成にしようと、アレコレ試してみた。
でも、無理だった。
まとまっているようでゴチャゴチャになった。文章にしたって、喋ることにしたって、出てくるのは決まってウチの感情や感覚的な部分だった。喋ることを決めているのに、その場で脱線してしまって、話の内容がわからなくなってしまったり、文章だって、あっちゃこっちゃと話が切れてしまうことが多い。
そこで、ウチは、ある答えに辿り着いた。
人間には二種類ある。
「論理タイプ」と、「感覚タイプ」だ。
もっと身近な言葉で言うなら、「文化系」と「体育会系」といったところ。
そして、どうやらウチは「感覚・体育会系タイプ」らしい。
正直、認めたくはない。やっぱり論理的な人間でありたいと思ってる。だって、どうしたって「感覚・体育会系タイプ」の人間は、「アホ」に見えてしまうから。たまに「天才」も生まれるが、そんなことは滅多にない。基本的には「アホ」が量産されている。
考えるより先に動いてしまう。なにも考えずに、反射的に受け答えしてしまう。おかげで、どれだけ人に迷惑をかけてきたことか。自分のことを制御し、コントロールすることができないがゆえに、自己嫌悪に陥る日々を過ごしてきた。
そして、ウチみたいな人間が、カッコつけて論理タイプに見せようと思うほど、アホらしさは増していく。もう、どうしようもない。だからこそ、どこかで踏ん切りをつける必要があるのかもしれない・・・。
人間をタイプ別で分ける、といった類のモノが好きではないんだけど、たぶん、昔から日本人は、人間を二種類で分けていたと思う。その象徴が、「文武両道」という言葉なんじゃないかしら。
「文」と「武」
どちらか一方だけに特化していては、頭でっかちの人間になってしまったり、反対に粗野な荒くれ者になってしまったりと、バランスの崩れた人間になってしまう。だからこそ、「文」と「武」が循環するような関係にある状態が、文武両道なんだと。
そう考えていくと、ウチは「武」に寄った人間なのかもしれないなぁ。
とはいえ言葉を変換するだけで、最初と印象は変わってくる。
感覚人間 → 体育会系 → 「武」の人間。
どれも伝えたいことやニュアンスは同じなのに、印象が違う。どうせだったら、好印象であるに越したことはない。ウチは、「武」の人間だ!
では「武」人間は「文」人間にはなれないかというと、そうではない。文武は「循環関係」にあるのだ。インプットとアウトプットの関係と言ってもいい。偏ることはあったとしても、欠落することはない。
そう考えると、ウチは、インプットがヘタクソなのかもしれない。インプットしたものを、噛み砕く前に吐き出してしまっている。アウトプットまでの時間が短すぎるのだ。もっともっとインプットしたものを熟成させて、考える練習をする必要がある。もしくは、インプット量を増やすか・・・。悩みどころ。
ほら、ね。
書いているうちに、ワケがわからなくなっている。文章前半では、人間には二種類があり、どれだけ努力してもウチは「体育会系だ!」と言っていたのに、後半になると、「いやいや、循環関係にあるんだ!」なんてことを書いている。
自分の中に潜む自分が、自分を否定しようともするし、肯定しようともしているのが分かる。そして、書きながら、どんどん気持ちが変化してしまっている。やっぱり、自分をコントロールできていない。
でも、一つわかった。
ウチ、書きながら、考えているんだわ。
創作に励みになります!