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「イメージュ」を追い越したい!


人間に与えられた最も優れた能力は「想像力」だと思ってる。イマジネーションだ。たとえば小説を読んでる時は、登場人物の姿、形、声、姿勢、歩き方などをイメージしながら読み進める。すごい能力だと思う。頭の中の世界には限界がなく、どこまでも想像力の世界は広がっていく。


もちろん、人間であるウチの中にも想像力はある。でも、実は「想像する」という行為にたどり着く前に出来上がってるような、もっとぼんやりとした、でも、確かに存在する「イメージ」があったりする。これをウチは、「イメージュ」と呼んでいる。


そんな「イメージュ」を、自分自身の行動と照らし合わせてしまって、ガッカリすることが多い。ウチの人生、そんなんばっかりだ。「理想と現実のギャップが激しい」と、一文でまとめてしまうこともできるが、その一文だけでは足りない感じがしてならない。


「理想を抱く」とか「想像する」ことは、ある程度の時間を要する作業だ。あれこれ思考した結果、作り上げていくもの。でも、ウチのいう「イメージュ」は、もっと瞬間的であり、感覚的なものなのだ。


「この資料、まとめといて!」と頼まれた次の瞬間には、完成した「イメージュ」は浮かんでいる。それは現実的にまとまったファイルデータなどではなく、もう少し観念的なもの。文章でもらったデータを、数式で表現してしまうような、そんな「イメージュ」を持ってしまうのだ。


「いや、数式にするなんて逆にめんどくさいわ!」とツッコミを入れたくなるが、瞬間的に浮かんでしまうのだから仕方ない。「イメージュ」は《現実的に可能かどうか》を度外視したものなのだ。


自分の中に、絶対的な「イメージュ」が湧き起こり、そんな「イメージュ」と自分が重ならないことに嫌気が差す。頭の中だけで広がる世界なのだから、現実と重なる部分が少なくなるのは当然なのにね。


「イメージュ」から「想像」を膨らませ、「理想」を作り上げて、現実へと近づけていく。「イメージュ」は、無意識に近いような、根源的なものなのだ。


なのにも関わらず、ウチはどうしても「イメージュ」に近づきたいと思ってしまう自分がいる。


これは、幼少期から漫画をたくさん読んできたことが影響しているのだと思う。特に少年漫画を多く読んできてしまったウチは、《現実的じゃないもの》に惹かれる習性があった。雲に人が乗ったり、相棒のモンスターがいたり、手のひらから光線を出したり。大人だったら「ありえない」と思ってしまうことを、本気で信じていたし、好んでいた。


だからこそ心の中で、絶対に実現不可能な「イメージュ」に近づきたいと思ってしまう。それは漫画のキャラクターになりたい、という欲望にも近いかもしれない。漫画のキャラクターになんてなれっこない。頭では分かる。大人なら分かる。でも、体は理解をしてくれない。やっぱり、近づきたいと叫んでいる。


誰かが言った。


「理想は叶えられないからこそ意味がある」


理想は高すぎてもいい。本気で理想を抱いているなら、それでいい。そうすれば、そこへ近づこうと学び、挑戦するようになる。叶わないかもしれない。でも、本気で抱いた理想のためなら、人は動くのだ。そして、理想に届かなかったとしても、現実をしかと受け入れる。それが成熟へとつながる道だ。


この文章だってそうだけど、やっぱり最初に頭に浮かんだ「イメージュ」には追いつかない感じがする。全然、思ってたんと違う文章が出来上がってしまった。なにをしたってそうだ。自分の「イメージュ」に、現実は追いつかないかもしれない。それでも、やっぱり、ウチは「イメージュ」を追いかけ続けたい。


そして、いつかは「イメージュ」を追い越したい!


がんばろ!


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