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ウチは、ウチだし、あなたは、あなた。


ウチは、ものっすごい人見知りだった。もう、これは保育園の頃からの筋金入りだ。園内でも緊張するのか、すみっこの方で三角座りをして、ずっと周りの友達や先生の顔色をうかがっていたんだとか。


もはや、ここまでくると人見知りというよりも、人間恐怖症の気配があるが、ウチとしては「人見知り」という認識で、やり過ごしてきた。


人見知りは「性格であり、個性」だと思うようになったのは、中学生くらいの頃からだ。小学校の頃から大きく環境が変わり、新たに出会う友達と馴染むまでに時間がかかった。それが悩みになっていたのだが、その時、「これは性格だ」と思うようになった。


性格なんだから、悩んだって仕方ない。時間をかけて人間関係を構築していけばいい。無理に仲良くする必要はない。だからこそ、「はじめまして」の経験が本当に苦手でイヤだった・・・。


それが今では、まるで人見知りをしなくなった。むしろ「はじめまして」を求めている節すらある。相手とコミュニケーションを重ねていきながら、関係を深めていくことにちょっとした快楽を覚え、楽しんでいる自分がいるのだ。


チビだった自分に見せてあげたいくらい、社交的な人間になったと思っている。驚くべき変化だ。もちろん仕事をする上で、人見知りをしていたら話にならないという、不可抗力的なモノもあったと思う。だが、ウチの中にも「キャラ変しよう!」という強い意志があった。


大学デビュー、という言葉があるが、アレに近いんじゃないかしら。大人になるのをキッカケに、ウチは新たなキャラクターを作り上げ、デビューさせたのだ。


その時、ウチが選んだキャラクターは、「人生を一番楽しんでいた時代の自分」だった。


本当だったら「ONE PIECEの、ルフィみたいになる!」といった具合に、具体的なモデルを作った方がよかったのかもしれない。「ルフィならこうするだろう」という思考を持つことができるし、なにより分かりやすくて動きやすい。でも、情けないことに、ウチは、そうした合理的な脳みそを持つことができなかった。


そして、「人生を一番楽しんでいた時代の自分」という抽象化された自分を探すために、己と向き合う日々を過ごすようになった。


向き合うといっても、普段の生活や恋愛を通じて、「自分はこんなことを考えているんだ」という現状認識から始めるしかない。そして、自分を俯瞰するためにも、他者と関わりを持っていくことに。


そうこうしているうちに「楽しんでいた時代は、今を楽しもうとしていた」という結論に辿り着き、「じゃあ、今を楽しむキャラになればいいんだ!」と、そのキャラクターに近づこうとしていった。そうして、人見知りを完全に克服するようになったのだ。


ウチは、「今を楽しむキャラ」になった。


この「今を楽しむキャラ」が、自分にピッタリはまった。自己分析の結果だったのだから、ハマらないわけがないのだが、無理なくできたことが大きな収穫だった。


もし自分の素質とは全く違ったキャラクター設定をしていたら、どこかで無理がたたってしまったかもしれない。そして、無駄な自己否定を繰り返していた可能性もある。そう考えると、設定キャラを「自分」にしたのが良かったのだと思う。


人間は変わらない、という。友達も似たようなことを言っていた。多くの人が言っていた。どうやら、その人の本質部分は幼少期に形成されてしまうようで、それは大人になろうが変わらないんだとか。


でも、それは、一部分でしかないと思う。


変わらない部分は確かにあるが、変わる部分の方が多い。


ウチは「大人デビュー」してそう思った。だって、ウチは大きく変化したから。そして、変わらない部分というのは、遺伝子レベルのものだと思っている。それは、つまりは「変わらなくていいもの」でもある。


ウチはウチだし、あなたはあなた。


それは絶対に変わらないし、間違えようもない。内面を変えたって、外見を変えたって、ウチはウチだし、あなたはあなた。そういうこと。


人見知りがなくなったって、ウチはウチ。


変化しているようで、変わっていない。


ウチはあなたになれないし、あなたはウチには絶対なれない。


そういうふうに考えていくと、「人間は変わらない」って言葉の深さが変わってくるね!


ウチはウチだし、あなたはあなた、なんだよ!


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