苦手な人。
すごく苦手な男性がいる。その人は、いつも自分が上位に立っているかのような挙動をとる。マウントを取る、というやつだ。そして、求めてもいないのに、勝手にアドバイスをぶつけてくるし、なにより言葉の一つ一つが乱暴で受け取るたびに、ズンと重いパンチをもらったような衝撃が走る。それが本当にイヤで、できれば一緒にいたくないし、離れたい気持ちはあるのだが、仕事上、そうもいかない時がある。
飲み会の時だった。中華料理屋で紹興酒をチビチビやりながら、同僚のクイズオタクであるショウコが作った「会社クイズ」なるものに答えているときに、彼はやってきた。
「おつす、おつす」
「お疲れさまです」を短略化した謎めいた言葉を、唾でも吐くように発しながら入ってくると、彼はウチらを見下ろしニヤリと口角を上げた。そして荷物置き場を見つけると、ショルダーバックを投げつけ、一番端の席にドッカリと腰を下ろす。
「ビールで」
誰に聞かれるわけでもなく、店員さんを呼ぶでもなく、彼は目の前に広がる食事に向かって、注文の声を上げた。すぐさま最年少のシン君が注文ボタンを押し、店員を呼んだ。
「いやあ、負けたわぁ」
彼は大きな声で言った。場を支配するかのようなダミ声が響く。
「どうしたの?」
目の座ったショウコが聴く。
「バレーボール見てきたんだけどさ。ダメだったねぇ」
飲み会に遅れてきた理由を自ら明かすような口ぶりで、彼は虚空を見つめながら顎ひげを撫でる。
「え、今までバレー観に行ってたの?」
ショウコが腕時計を確認しながら笑った。時計の針は、21時を回っていた。男は、ショウコの話を無視して、メニューを開いて「腹減ったなあ」と呟いていた。すぐにビールが届くと、彼は「ん」と腕を伸ばし、乾杯するような仕草をみせ、慌ててみんながグラスを合わせる。
「いやぁ、やっぱさぁ。タカシさんって、ダメだね」
ビールを飲んだ途端、彼は一息つく間もなく、上司の悪口を言い始めた。タカシはプロジェクトリーダーで、社内でも評判が高い優秀な上司の一人だ。
「効率ワリィよ、アレ。まず俺だったら、準備にあれだけの時間はかけないね。無駄じゃん。学校じゃねえんだから、わざわざ時間割いて皆でやることじゃないでしょ!」
「実は俺もそう思ってましたわ」
年齢は上だが、後輩のヨシダが同調する。コイツは強そうな人間がくると、すぐに尻尾をふり、ヨダレを垂らす。首から下げたワイヤレスイヤホンが、尻尾を象徴するかのようにプラプラと揺れていた。
「な。あとさ、説明わかりにくくない? なんであんなまどろっこいい言い方すんの? リーダーなんだから、伝え方とか、もっと勉強した方がいいでしょ!」
男の文句は止まらない。コイツが店に入って来てから、ずっと独壇場になっている。これは飲み会に限ったことではない。コイツはいつも声が大きく、高圧的で、人を不快な気にさせる天才だ。基本的に上司に文句のないウチだが、唯一あるとしたら、この男を同じプロジェクトに加えたことに尽きる。なんで、こんなヤカラのような男を同じチームに入れたのか・・・。
「いや! ジョン! ボクはそうは思わないな」
同僚のシゲが通る声を上げた。ちなみに、ジョンというのが、ウチの仇敵の名前だ。牧田・ジョン・マコト。学生時代に海外生活をしていたらしく、その時に名前を変えたとか言っていた。
反論するシゲは、愛嬌のあるチームのムードメーカー的存在だ。この場を支配しようとするジョンの空気を遮るべく、シゲはジョンに負けない大きな声で話す。
「タカシさんが作ってくれた、あの準備の時間があったからこそ、ボクらは楽しく明るく、ここまで深い関係になったんだと思うけどね!」
「おっとー! これはジョンさんは、思うところがありそうだぞ!?」
腰巾着のヨシダが解説者のように騒ぎ、わざわざ油を注ぐようなマネをする。話を振られたジョンは、シゲを一瞥して、不適な笑みを浮かべた。
「別に楽しくなくたって、ギャラは変わんないだからさ。だったらもっと効率よく働いて、余った時間で、別の仕事したり、自分の時間にあてた方がよくね? みんなだって、家族と過ごしたいだろうし。なあ?」
「ボクは違うなー!」
シゲは自分の姿勢を崩さないが、ジョンの視線の先にいるウチやショウコは、「どちらの言い分も分かるけど」といった態度で、愛想笑いを浮かべるだけだった。
「シゲだって、家族と過ごす時間が長いほうがいいだろ?」
「ソレはソレ。コレはコレだよ。ボクは時間かけたいタイプだし、実際、タカシさんのおかげで現場環境は良くなってるんだから。悪口は言えないな」
「いや、あのな、シゲ。これは悪口でもなんでもなくて」
そう前置きをしたジョンの表情には、少しの憤りが滲んでいる。シゲの言葉が琴線に触れたのだろうか。
「彼のせいでオレらの労働時間は伸びてんだよ。でも、別に金がもらえるわけでもねぇだろ? これがアメリカだったら、キッチリ時間が決まってるし、もし延長するんだったら間違いなく金も増えるぞ? ただでさえ日本なんて曖昧な労働契約なのに、彼はそこにつけこんで、やりがいだけで仕事させようとしてるだけなんだよ」
ジョンの話を聞いていると、都市伝説でも聞いているかのような気分になる。たしかに、言い分は分かる自分がいるのも間違いない。でも、捲し立てるような話し方は明らかに喧嘩腰で、上司を「彼」と呼んでいることで、正当性が失われていっているようにも思えてしまう。
「それだけじゃなくてさ、アイツのヨシダとかショウコとかシンに対する態度もイヤなんだよね・・・」
ジョンはシゲとの会話を強制的に終了させた上に話を変え、自分の意見だけをひたすらに述べていく。そして、とうとう上司を「アイツ」呼ばわりする始末。シゲは「お手上げだ」とでもいうかの如く天を仰ぎ、紹興酒をグイと喉に流し込んだ。
ジョンが店に来てから、明らかに飲み会の空気が変わったのが分かる。そして、ずっと一つの話題で盛り上がっていた席が、隣の人や目の前に座る人との会話が増え、同時多発的な会話が広がっていった。
ジョンのネガティブな話に加わりたくないと思う人がほとんどなのだろう。それぞれの小さなグループで、好きな話題で盛り上がっている。そのことに関して、ジョンは反応を見せていない。
もしかしたら・・・、上司はコレを狙ってジョンをチームに加えたのか?
異物的な存在を混入することによって、それぞれが自主性を持って動くようになる。ジョンがいるからこそ、個々の団結力が増している可能性もある。ウチは、お酒でぼんやりする頭で、ずっと考えていた。
「いいチームだったよね」
ずっとウチの隣に座り声を出さなかったミカコが囁いた。
「そう?」
「うん。すごく個性豊かな多様なチームだと思う。先輩後輩なく、お酒に酔って、自由に意見を交わす。もちろん、衝突はあるかもしれないけど。でも、それがなかったら、逆に気持ち悪いよ」
綺麗な声だった。川のせせらぎのような心地のいい声だ。
「ジョン君は、少し子どもっぽいところはあるけど。でも、みんなのことを考えてくれてる、いい人だよ。みんながみんな、シゲ君みたいな情熱があるわけでもないと思うし。心の中ではジョン君と同じことを考えている人も多いと思うよ」
ウチはミカコの声を聞きながら、テーブルを見渡した。ウチの苦手な男、ジョンは、みたことがないくらい楽しそうな笑顔を浮かべていた。ヨシダも、その他の人たちも、みんな笑っている。気持ちよさそうに酔っ払い、意見を交わし合っている。
たしかに、いいチームなのかもしれない。
ウチは一方的に苦手だと決めつけて、ジョンの話を聞いていた。でも、ミカコの視点からは違う景色に見えている。では、ヨシダの視点から見たらどうだろうか。シゲの視点、シンやショウコの視点だったら・・・。
「・・・よし、じゃあ、行ってくるね」
ミカコにそう宣言すると、ウチは空いたグラスに紹興酒をなみなみと注ぎ、ジョンの隣の席へと向かった。
なにごとも、複数の視点で物事が見ることができるようになったら、きっと今よりカラフルな世界を眺めることができるかもしれない。
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