カフェでの一コマ
エスプレッソを追加した濃いめのソイラテが胃に落ちる。ドクンドクンと心臓のポンプが活気出した。駅徒歩0秒をうたうカフェのカウンター席でキーボードをタイプしていると、店内から生活の声が聞こえてくる。耳をそばだてる必要もなく、丸い声と四角い声が耳に入ってくる。
「この前の月曜と火曜でさ、久々にアキとヨーコと休日とってディズニー行って来たんだけど、ほんっと最高だった」
丸い声は、泡が弾けるみたいな話し方で喜びを表現している。
「でも、疲れがヤバくて。帰ってきてから、マジでずっと寝てたよね!」
「みたみた。インスタあげてたよね。そんで翌日から会社でしょ? ほんと体力すごいわ。アタシ、もうしばらくそういうとこ行ってないけど、たぶん、もう無理かもなあ」
四角い声は、乾燥した石ころみたいに淡々としている。
ウチは四角い声に同意。テーマパークなんて、いい大人が行く場所ではないとすら思っている。ただ疲れて、お金を使って終わるだけだ。
「なんでよ! 夢の国なんだから、たまには夢をみてきなよ!」
丸い声の炭酸みたいな爽やかな反論。しかも、恐ろしくグサリとくる。
「たまには夢をみてきなよ」
言われてみれば、ウチはいつから夢みることを億劫に思うようになったんだろうか。マグカップをグイと傾けると、ダブルショットのソイラテがさっきよりも苦味を増した気がした。
「失礼な! 別にテーマパークに行かなくても夢はみれるから!」
四角い声がツッコミを入れると、丸い声はキャハハと笑った。水辺で水を掛け合っているような陽気な雰囲気だ。
「だって、今はチケット代も高くなったし、グッズとか食事代とか、もろもろ含めると結構な金額使うでしょう? そういうの考え出したら、余計に現実の輪郭がクッキリしない?」
「まあ、たしかにイカツイくらいお金使ったわ!」
「・・・いやー、だから、ほんとにすごいと思う」
四角い声には羨望と同時に、微かな「嫉妬」が混じっている気がした。言葉には出さないが、「そんな余裕はないよ」といった、切羽詰まった緊張感がある。やはり、ウチは四角い声に同意をしてしまう。
「でもさ、アタシはカナと違って、遊ぶために働いてるようなもんだからね! カナは、そういうとこ、すっごいしっかりしてるじゃん」
「しっかりしてるというか。まあ、たしかに現実を直視しすぎてる感はあるね」
「そっちの方がすごいよ。アタシは目を逸らしてばっかりだから! てか、カナ、どんだけお金貯めるのよ! キャハハ」
丸い声は自分で言って、自分で笑った。まるで嫌味がなく、子どものような純朴さがある。
「貯めてないわ!」
四角い声は、また水をかけるようなツッコミを入れた。タイプの違う二人だが、ピッタリ呼吸が合い、声だけでその仲の良さが伺える。
「カナってさ、散財したこととかあるの?」
「ないない。怖くて使えないよ!」
「え、じゃあ、今度一緒にUSJ行こうよ! 一緒に散財しよ!」
「じゃあ」の意味が分からなかった。
「いや、『じゃあ』の意味が分からんわ!」
ウチの心の声を四角い声が言い放ってくれた。丸い声は、かまわず続ける。
「アタシ、この前、思ったのよ。疲れと散財が、人生を満たしてくれるんじゃないかって!」
「なにその、ギャンブラーみたいな発想。ヤバいよ!」
「ちがうちがう! キャハハ! そういうんじゃないから! カナってほんと最高!」
丸い声のトーンが一段上がった。
「あのね、遊んだ次の日、めっちゃくちゃ疲れたし、しばらく節約しなきゃなあって思ったんだけど、そんな消耗こそが人生のクオリティを上げてるような気がしたのよ」
「言わんとしてることは、分からんでもないけど・・・」
「え、じゃあさ。カナは、どんな時に人生のクオリティが高いって感じる?」
丸い声は、意外と確信めいたことを聞く。
人生のクオリティか。
ウチにとってはなんだろうか。
「それ考えたことあるけどさ。アタシは、そんな高額を使わなくても、こうやって友達と一緒に過ごしたり、家族と食事してるだけで、満足なんだよね」
「キャハハ! そんなの当たり前じゃん! その先の話よ!」
「そのさきぃ?」
「そうだよ! それは大人の意見すぎる! アタシはさ、遊びすぎて死ぬほど疲れて、お金も無くなって、それで現実みたときに『生きなきゃ!』って思ったのよ!」
「うん」
「これって、人生のクオリティ高くない?」
「だからギャンブラーと同じなんだよなー!」
二人は議論になるわけでもなく、阿吽の呼吸で笑い合いながら平行線をたどり、いつしか話題は仕事の愚痴へと移っていった。
ウチは、ぼんやりとカフェのガラスに映る通行人を見る。駅を行き交う人に溢れている。学生、カップル、子連れ、子ども、マダム、外国人・・・。
みんな、夢を持っているのだろうか。みんな、どんな時に人生のクオリティが高いと感じるのだろうか・・・。
その時、ガラスの向こうで小学生くらいの少年が盛大に転んだのが見えた。持っていたトートバックの中からカラフルなクレヨンが散らばった。広がったクレヨンは、行き交う人々の足元を鮮やかな色で染めていく。
毛穴がゾワっと逆立ち、ウチはすぐにでも助けに行きたい衝動に駆られた。
しかし、すぐに少年の周りには大人が集まり、彼のケアを始めた。スーツ姿の女性が、タイトなスカートを巧みに捌きながら手際よくクレヨンを集めていく。大学生くらいの男性も、マダムも、外国人も一つずつ拾った。駅で待ち合わせをしていたらしい若いカップルは、少年を抱きかかえ「大丈夫?」と声をかけている。野次馬らしきチビたちも、心配そうに少年を見つめていた。
あっという間に少年もクレヨンも元通りになった。少年は恥ずかしそうに周りに向かってペコリと頭を下げると、走ってその場を去って行った。
あの子は、きっとこの経験を絵に描くだろう。助けれてくれた人たちの優しさに触れて、恥ずかしさに塗れて、少しずつ大人になっていく。そんなことを想像しただけで、ウチの胸には不思議な温もりが生まれていた。
ウチは、苦味が薄くなったソイラテを飲みながら、床に残ったクレヨンのカスを眺めていた。
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