誰かと思考する、ということ。
っていう、メモをスマホに残していた。正直な言葉だなと思った。とっさにメモ書きに殴りつけるようにして入力したんだろうね。
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この日、ウチは飲み会に参加していた。以前から飲みの約束をしていたらしい同僚チームと、たまたま帰宅タイミングが重なったことで、「軽くいく?」とノリで誘われたのだ。
一人で過ごすことの多いウチは、飲み会に参加することなんて滅多にない。でも、ここのところ、一人で思考することの限界を感じ始めていたので、数名での飲み会は、自分にとってのインプットの場所になる予感がした。そしてなにより、誘われるうちが華だ! ウチは、即答で「いく」と言った。
飲み会だというのに、空気も読まずにソフトドリンクを注文して、グラスをチャリンと響かせる。同僚の男は「のまないんかいっ!」と笑いながらツッコミを入れてくれたが、その瞳の奥には「飲まないなら来るなよ」というメッセージを見た。ウチは目を逸らすように、手元にあったピスタチオの殻を割り始めた。そして、モゾモゾと考え事をする。
本を読んでいても感じるが、ウチは本に書かれた文章を使って思考していることが多い。本に書かれていることに対して、自分の意見を浮かべてみたり、そこから着想を得て文章を書いてみたりすることもある。
それはつまり、自分一人で物事を考えているわけではない、ということではないだろうか。ゼロから自分が生み出したものは一つもない。アイディアや着想は、必ずなにかの影響を受けている。そう考えると、実はウチは、他人の頭を借りながら思考しているのでは・・・。
「あんたはさ、家に帰ってからなにしてんの?」
同僚の女が後輩に質問する。
「なんですかね、料理をしながらお酒を飲んで、Netflixとかみたり・・・」
「そうじゃなくて、仕事を家でしたりする?」
「あー、わたし、家に仕事を持ち帰りたくないんで。仕事が残ってたら、会社終わりにカフェとかに行ってやっちゃうんですよ」
後輩がこんなに流暢に喋っている姿を初めてみた。顔をほのかに赤く染め、黒目が大きくなっている。酔っ払うと、こんなにも愛嬌が増す子だったんだ。
「ちょー偉いじゃん! 俺も見習わないとなあ」
男が鼻の下を伸ばしながら笑う。
「さすがね。いつも仕事が丁寧だしミスも少ないから、家でどんな生活してるのかと思ってたら。まさか、カフェで終わらせてたとはね」
女は微かなライバル心を抱いているかのように、片方だけの口角を上げる。
「そうなんですよお。家ではスイッチオフになっちゃうというか。グテーっとしちゃいます。会社用のスマホも電源切っちゃうし!」
後輩は顔の中心にシワを寄せるように屈託ない笑顔を浮かべた。まるでなにも考えていないような無邪気な表情をしているが、後輩の仕事の美学を目の当たりにして、ウチは感銘を受けた。
家に仕事を持ち込まない・・・、か。ウチなんて、持ち込みまくっている。仕事のことばかり考えてしまうし、寝る前にも次の日の朝にすることを確認してから眠りにつくほどだ。「切り替え力」のなさに、自分でも嫌気がさしていた。
切り替えができるということは、きっと脳内が整理されているのだろう。いくつかの引き出しがあって、なにをどこに振り分けているか正確に把握できているのだ。それが要領のよさにもつながっているのだろう。ウチは、常にとっ散らかっているような状態だ。脳内の全てのものが細い糸が結びつき、ぐちゃぐちゃと絡まり合ってしまっている。だから、要領が悪いのだ。
もしかしたら、後輩のように「仕事は家に持ち込まない!」という確固たる美学を持てば、少しは整理がうまくなるのだろうか・・・。
考え事をしている間に、とっくに話題は変わっていた。
「てか、部長変えて欲しいんだけど。なんなの、あの差別主義者!」
「激しいなっ! でも、俺も賛同するわ。ありゃ、ヒドイ」
「自分のお気に入りの子以外、完全に眼中にないじゃん。あんなのアリ?」
気付けば愚痴大会になっていた。気のいいチームの裏側を見てしまったような気になり、ウチはますますピスタチオの殻剥きに精を出す。
「でも、偉くなるって、そういうことなんじゃないですかね?」
後輩があっけらかんと口火を切った。
「やっぱり偉くなると仕事内容も変わるわけですし、それまでのやり方とは違う打ち手も考えないといけないわけだから。そういう意味では、明らかにチームに変化の兆しが現れているので、わたしは、そういうもんなんだなあ、って思ってました!」
今度は同僚二人に熱がこもる。
「そんなのは分かってるんだけど、にしても変化の仕方がおかしくない? ってこと!」
「そうそう。やっぱり偉くなった時に問われてくるのが人間性というかさ。部長がいかに世間知らずで、人の気持ちとか考えられないってことに、俺らは嫌気がさしてるんだよ!」
「ほんとソレ。あんな人を部長にしてる時点で、この会社の将来が不安になるね!」
「・・・そう、なんですね」
両者の言い分は分かる。でも、部長から被害を受けたことがないウチからすると、特に問題のない「アツい上司」に見えてしまう。内にいるか外にいるかで人の印象はずいぶん変わるらしい。
ウチだって、会社にいる時や飲み会では口数が少ない方だが、家に帰って日記やnoteを書くときは、言葉が滝のように流れ出してくる。視点によって、物事の見え方や、世界は大きく変化するということだ。
「お前はどう思う?」
男がウチに箸を向けながら聞いてきた。失礼なやつだ。
「ウチは、後輩ちゃんに賛成かな。偉くなったら仕事内容と共に、人も変わらないといけないんだと思う」
「人も?」
後輩ちゃんが、目をキラキラさせながら聞いてきた。
「だって、偉くなったのに、いつまでも平社員とベラベラ話すような人だったら、こっちも気をつかうでしょう? あなたは偉いんだから、少しは周りの目も気にしなさいよって思っちゃう。偉い人は、偉そうに振る舞わなくちゃいけないんだよね。それも役目というか。だから、部長さんも、そんなことで試行錯誤してるのかなって」
後輩ちゃんは、「なるほど」と深く頷いてくれた。本当に、こんなに気持ちのいい子だとは知らなかった。
「お前は部長のことをなにも知らないから、そういうことが言えるんだよ!」
「たしかに一理あるとは思うけど、あの部長にかぎって、そんなことは一切考えてないね!」
なにも知らないからこそ、フラットに意見を出したつもりなのに。なんで、この人たちは、真っ向からウチの意見を否定するのだろう。
「あの部長って、どっか男尊女卑的な思想があるというか。まだ昭和を引きずってる部分が多すぎるんだよ。どっかで絶対、女には仕事を任せられないと思ってるし」
「それは間違いないね。あたし、それで担当のクライアント外されたからね!」
「は!? どういうこと、ソレ!」
「なんかね・・・!」
気付けば、ウチの話は忘れ去られ、次なる愚痴に移行していた。その後、ウチは大したことを喋っていない。出される料理に対して「美味しい」とこぼし、後輩と目配せするばかりだった。結局、自尊心だけ傷つけられ、散々愚痴を聞かされるだけの会となっていた。
他人の頭をお借りして「思考する実験」をしてみたかったし、なにかしらの楽しいインプットを期待していたが、面倒な時間に終わってしまった。唯一の救いは、超優秀な後輩ちゃんと出会えたこと。ろくな会話はできなかったけど、そのポテンシャルに触れることができたのは、せめてもの救いだった。
そして、ウチは帰りの電車の中でメモをしていた。
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