時計が喋った!
ウチの部屋にある壁掛け時計は、たまに喋る。一時間ごとに「ケロケロ」とカエルみたいな声をあげるのだ。時計の中心には、小さなカエルの絵が刻まれており、喋る時には目を光らせる。
いつからこの時計がウチの部屋にあるのかは覚えていない。自分の部屋を与えられたのは小学校高学年の頃だったけど、たしか、その頃からカエルは部屋にいた。それから一人暮らしを始めても、カエル時計は一緒にいる。ずっと一緒だ。
カエルは、ウチの青春の全てを知っている。失恋した時に、部屋で涙を流しながらギターをかき鳴らす姿も見ていただろう。朝までゲームに没頭する姿も、恋人とイチャイチャする姿も。何もかもを知っている。
ウチは、カエルのことを「ミドリ」と呼んでいた。いや、実際には呼んでいない。心の中で名付けただけだ。時計自体がライトグリーンだったし、カエルも同じく緑色だから、そのまま「ミドリ」にした。それに爬虫類の名前で呼んでしまうと、どうしても気持ち悪い本物の姿を思い出してしまうから「ミドリ」と呼んだ方が自分の心がラクだった。
ミドリは、たまに喋るけど、たまに電池切れになる。「ケ・・・、ロケ・・・」と干からびた声を出す。エスディージーズだし、環境について考えると、電池を使い切ってから交換した方がいいに決まっている。でも、ミドリの声を聞いていると、自分のことを「食べ物を与えていない凶悪な人間」のように思ってしまうため、ウチは電池を変えてしまう。
ただの時計だし、ただの物質だし、生き物でもなんでもない。なのに、同情するなんてイケテナイ。だから、ウチは部屋に友達を入れたことがなかった。
その日、雨が降った。黒く染まった入道雲は空高くのぼり、ゲンコツを振り下ろすみたいな大粒の雨を落とした。
ウチはダンススタジオからの帰りで、危険だと分かりながらも公道を自転車で爆走していた。目を細めるようにしてペダルを漕いでいたが、コンクリートの表面に雨水の膜が張るほどの大雨だったので、ウチはとうとう自転車を降りることにした。ずぶ濡れになりながらも、スマホや財布が濡れないようにと、リュックを抱きしめるようにしながら自転車をおす。
やっとの思いで家の近くの下り坂までくると、坂の麓に立つ教会の前で一人の男の子が立ち往生しているのが目に入った。小学生くらいだろうか。野球のユニフォームみたいなTシャツに、ミリタリー柄の半ズボン姿で、男の子はじっと地面を見つめながら、ビジョビジョに濡れていた。
「大丈夫?」
ウチは気になって声をかけた。すると男の子は、小さく頷いた。
「教会の人?」
男の子はブンブンとかぶりをふる。
「傘は?」
男の子は、こちらをじっと見つめた。お前と同じだよ、と言ってるような気がした。
「お父さん、お母さんは?」
「ここで待ち合わせしてる」
男の子の声は高く澄んでいた。ウチは咄嗟に「もしかして女の子かな?」と思ってしまった。
「そっか。そこにいたら、風邪ひいちゃうよ」
「カエル」
「・・・え?」
「カエル見てるから平気」
そう言うと、男の子は地面を指差した。見ると、そこには親指ほどの大きさのカエルが静かに佇んでいた。
「わっ」
ウチは思わず叫んでしまい、危うく自転車を倒しそうになった。その様子を見て、男のはニヤリと笑った。大人みたいな笑い方だった。
「カエル嫌いなの?」
小馬鹿にするような男の子の問いに、ウチは恥ずかしさを隠すようにツンとした表情で答える。
「だって気持ち悪いじゃない」
ウチの言葉に男の子は、またニヤリとした。髪も服も濡れているというのに涼しげに言った。
「あんただって、ずぶ濡れになりながら知らない子どもに話しかけてる気持ち悪い大人だよ」
突然の少年の反撃に、裏切られたような気分になった。心配して声をかけたつもりだったのに、まさか悪口を言われるとは思ってもみなかった。そして、話し方もやけに利発的で、愛嬌のカケラもない。イヤなガキだな、と反射的に思ったが、だからといって立ち去ってしまったら、それこそ大人気ない。ウチは、苛立ちを雨で流すように、顔に微笑みを浮かべながら、最後にもう一度、声をかける。
「いつ親のお迎えくるの?」
「あれ、うそ。本当は迎えになんて来ないよ。家に帰りたくないだけ」
「は?」
その時、カエルが泡を潰したような声をあげた。
「家どこなの?」
「教えるわけないじゃん」
正直、話しかけなければよかったと思った。なんて面倒なガキなんだろうか。きっと両親も面倒なタイプなのだろう。厄介ごとに巻き込まれるのはイヤだった。それでも雨粒は容赦なく、ウチらを襲い、その勢いは増すばかり。
「じゃあ、傘持ってくるから、ここにいて!」
そう言うしかなかった。これで終わりにしたかった。
ウチは自転車にまたがり、強くペダルを踏む。男の子は、ウチのことなど気にする素振りも見せず、再びカエルをじっと見つめていた。
一分もかからないで家に辿り着くと、急いで服を脱ぎ、浴室に飛び込む。タオルで水分を拭き取り、部屋着に着替えてから、タオルと傘二本を持って玄関を飛び出した。その間、ずっと頭の中で「イヤなガキ、イヤなガキ、イヤなガキ」と念仏のように唱えていた。
「ほら!」
傘を男の子に握らせると、ウチはタオルで彼を拭いてやった。嫌がると思ったが、男の子は微動だにしない。髪の毛をわしゃわしゃと揉むと、懐かしいような子ども独特の汗の匂いがした。全身を拭きあげると、男の子は小さく「ありがと」とこぼした。
「タオルも傘もあげるから。ちゃんと家に帰りなよ?」
「・・・本当に帰りたくないんだ」
勘弁してくれよ。男の子が急に目に涙を浮かべたことに、ウチはつい、ため息を漏らしてしまった。
「何時までに帰らなくちゃいけないの?」
「5時」
スマホを確認すると、あと45分もあった。
「じゃあ、ウチの家すぐそこだから。ちょっとだけ雨宿りしてく?」
というか、なんで通りすがりの人は、誰もこの子に手を貸さないんだよ! と胸の裡で叫びながらも、ウチは大人らしく優しい声を出す。でも、どうせこのガキは嫌味ったらしく断るだろう。・・・ところが。
「うん」
マジかよ。
ということで、ウチは彼を自宅に招くことになった。
明らかにサイズ感がおかしいが、タンスの奥にしまってあった弟の服を引っ張り出して、着せてやった。これで風邪なんて引かれたらたまったもんじゃない。着ていた服は、急いで乾燥機にぶち込み、倍速モードに設定した。
「なにか飲む?」
「いらない」
「お菓子は?」
「聞く前に出せばいいんじゃない?」
クソガキが。なんでコイツは、こんなに偉そうなんだろうか。一瞬だけ見せた寂しげな表情は嘘だったのか? ウチは騙されているのか? コイツは何者なんだ? 新手の詐欺師か? なんなんだ? 吹き荒れる猜疑心に、ウチは彼から目を離すことができなかった。
「ようこそ!」
聞き慣れた声がした。機械がカチャカチャと動くような音だ。全身に鳥肌が立ち、目の前が真っ暗になったような気がした。
「質素な部屋だけどさ。まあ、ゆっくりしてってよ!」
男の子は、声の出どころを見つけ、壁掛け時計に向かって叫んだ。
「カ、カエルが、しゃべった!」
ウチは大きく、ため息をつく。
「カエルじゃないよ。私にはミドリっていう立派な名前があるんだから。ミドリって呼んでくれる?」
ミドリは、楽しそうに「かえるのがっしょう」の音色を鳴らし出した。12時を告げる時計本来が持っている鐘の音だ。家の外から聞こえる雨音と、愉快な音楽が歪に混ざり合う。男の子は、ウチの顔を見て「なんで?」と顔で訴えている。
「あなた、お名前は?」
ミドリは男の子の動揺に構わず、話し始めた。
「あ、えっと・・・、アオ」
「アオ? 私はミドリ。青と緑だなんて! なんだか奇遇ね! ちなみに、その人はアイ。藍色のアイだから、みーんな色の名前ね。ケロケロ」
暴走するミドリにウチは閉口してしまった。なにから説明したらいいのか分からない。
「・・・ミドリは、ヒトなの?」
アオは疑いながらも、好奇心を抑えられないらしい。
「あなたバカなの? どう見ても時計でしょ? ケロケロケロケロ」
「だ、だって、時計が喋るわけないじゃん」
「そう言われてもね」
「じゃあ、カエルか!」
「カエルが喋るんだったら受け入れられるってこと?」
ミドリは、慌てるアオに対して、冷静に受け答えを繰り広げる。
「アオって面白いね。ケロケロ」
「こんなの、ありえないよ!」
「・・・じゃあ、あんたは誰と喋ってるのよ」
ウチはたまらず口を挟んでしまった。
「ケロケロ!」
ミドリが加勢する。
「アオは子どものクセに、大人みたいに考えるんだね。やっぱり、人間は信じたいものだけを見ようとするんだわ」
「そうね」
「アイも、ちゃんと説明してあげなきゃ!」
「あんたが勝手に喋り出すからこんなことになってるんでしょ!」
「だって急に人を連れてくるもんだから興奮しちゃって。しかも初めての子どもだし!」
ウチとミドリが言い争ってる様子を見て、アオはとうとう観念したかのように、顔の筋肉を緩めた。
「あんたたち・・・、最高だね」
「は?」
「アオ、あなた、目上の人にはちゃんと敬語を使った方がいいわよ? オタマジャクシですら、カエルに憧れや敬意を持ってるんだからね?」
「お願い。オレの父親を追い出して!」
アオは土下座をするように頭を下げた。その声に茶化すような色はなく、真剣で誠実な懇願だった。
「オレの母ちゃん、あいつに騙されてるんだ!」
・・・こうして、ウチとミドリとアオの不思議な夏休みが始まった。
っていう物語があったらいいな!
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