喜納

一人壁打ち日記。

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最近の記事

ハッピーハッピー教団

 私は古い人間なので、ハッピーハッピー教団と言うと某有名ぽえーんゲームを思い出すのだが、SNS等で良く見かけるポジティブ発言を見かけると、何とはなしにハッピーハッピー教団信者だな、と思ってしまう癖がある。  常にポジティブ発言をし、意識的に、無意識的にネガティブ情報をシャットアウトしている団体を見かけると、ある種の宗教のようだと思ってしまうのである。  ここで大事なことは宗教は決して悪ではないと言うことだが、戦争は正義と正義のぶつかり合いで起こるし、負けたら強制的に悪になり、

    • 結局、「おひとりさま」を主張できるのは強弱だけ。

       こんにちは、こんばんは。  底辺に暮らす40代独身女性です。  おひとりさまの教祖と言われた人が結婚していた話題を見つつ、ただただ素直に納得したのでした。結局、声がでかいのは強弱だけ。おひとりさまを主張できるのは強き者だけ。  ネットの中にはファッション非モテの多いこと多いこと……。弱者男性商法も宗教じみているしなぁ。体力も知力も若さもコミュ力もない底辺女性なんて見えていないんだろうなぁ。目に見えた障害もないので、透明になるばかり。  本当の弱者は透明なまま息を潜めて生きて

      • 自己啓発本による自己肯定感低下のお知らせ。

         こんばんは、こんには。  40年間自己肯定感低めで卑屈に生きている独身女です。話題に対して真っ先に否定的な感想が思い浮かび、それを素直に言ってしまい、毒舌と言われた過去を持つため、他人との会話は常に思い付いた言葉を飲み込み、それが相手にどう伝わるかシュミレーションした後、無難と思われたものを吐き出すようにしています。  その為、会話に時間を要し、「あ、ええと、あ、その……」と穴埋めの繋ぎの言葉だけが増えていき、あっという間にコミュ障の完成です。  ポジティブ人間から自己肯定

        • ネガティブ人間の生存権

           私は根っからのネガティブ思考である。  親に愛され、環境にも恵まれたし、目に見えてわかるいじめにも遭遇しなかったし、成績は5段階評価中4くらいの微妙な立ち位置に居続けた、自己肯定感最低レベルの人間である。  親も兄弟も隙あらば私を褒めてくれる優しくて愛に溢れた人間だが、彼らに愛されれば愛されるほど、そんな人間にはなれない、恋人も友人もいない自分に絶望し、自己否定を繰り返してきた。  親が不仲だから結婚願望がない、友人がいるから結婚しなくても良い、一人が好きだから一人で生きて

        ハッピーハッピー教団

          喪女、マタニティウェアを買いに行く。

          こんにちは、こんばんは。 彼氏いない歴40年、友達もいないぼっち属性の独身女性です。 先日、人生初の西松屋へ行き、ベビー用品売場への精神的圧力を若干下げてしまった結婚して子供産みたかったな願望のあるおばさんです。 平日の月曜日に挙動不審になりながら西松屋でゲットしてきた戦利品は、マタニティ用の下着上下1組と、ワンピース1枚。これを数日着回していたのですが、ものすごく楽。 下着の上はノンワイヤーのブラジャー(後ろホック)、下は股上深めの締め付けないパンツ(縫い目外側)。ワンピー

          喪女、マタニティウェアを買いに行く。

          コミュ障ぼっちの分解

          こんにちは、こんばんは。 40歳、独身、一人暮らし女性です。 40年間恋人がいたこともなく、友達もいない超絶コミュ障ぼっち人間です。 この前提に大切な情報を加えるとすると、「別に一人が好きなわけでもない」と言うことです。好きでぼっちをやっている訳ではなく、ぼっちなのでぼっちで生きていくしかないだけで、根底には人間と関わりたい欲が脈々と流れており、それを頼りに仕事に行き、こうしてインターネットの片隅で呟いています。 さて、なんでこんなにぼっちなんだろうかと自分自身を考察すると、

          コミュ障ぼっちの分解

          彼氏いない歴40年、西松屋へ行く。

          こんにちは、こんばんは。 彼氏いない歴40年、結婚願望があり、夫婦で協力して子育て出来るようになりたいなぁと思いながら19歳で結婚相談所に登録し、休みの日は街コン等に行きながらも、超絶コミュ障のおかげで40年間ぼっちで生きている喪女です。 ちなみに友達もいません。いじめられたとかそんな過去もありません。いや、気付けるようないじめがなかったのかな……コミュ障過ぎてわからんだけかもしれぬ。 いつか家族のように何気ない日常会話が出来るような相手が欲しいなぁと思いつつ、それも出来ない

          彼氏いない歴40年、西松屋へ行く。

          40歳、独身。

          独身のまま40歳になると気が狂うらしい――と言うのを、どこかで見かけた気がする。SNSだったか。 私は先月、独身のまま40歳になったところだ。さてさて、どれくらいで気が狂うのだろうか。むしろ、気が狂った方が楽しく生きられるのではないかと思う始末。 結婚願望があり、子供も望んでいるが、一度も男女交際したことがないまま40歳に至る。 40歳までくると、ようやく、自分は出来ない人間なんだな、と言う諦めを受け入れられるようになってきたところである。 まあ、35歳あたりから諦めつつある

          40歳、独身。

          発熱外来を病棟から眺める。

          相変わらずの深夜の帰宅。そして相変わらずの夜中の目覚めである。 今日も1日お疲れ様。いや、昨日も1日お疲れ様か、今日も頑張らねば。 職場の急性期病棟はいつだって忙しい。コロナ前でも、コロナ禍でも。 最近、中等症の肺炎の患者さんの急変が続いていてバタバタ。心臓と呼吸は転がり落ちるように悪くなる時があるので本当に怖い。挿管まで待ったなしの展開もよくある。脳外の悪化も怖いけど(血圧上がり続けるとか眼球上転して痙攣してるとか)、それよりも心臓と呼吸は止まったらすぐに死ぬので、ほんと、

          発熱外来を病棟から眺める。

          格差拡大。~そして取り残されていく氷河期世代~

          若年世帯で格差が拡大している。年収500万以下の世帯では子育て率も低下しているーーと言う記事を見かけて、あぁ、すっかり25~34歳の若年層と呼ばれる世帯ではなくなったなぁとため息を吐いた。 高校から大学にかけて。リーマンショックのあおりを直撃し、父のリストラを理由に退学していった学友たち。なんとか乗り越えて卒業したものの、入社した会社が倒産したり、夜逃げしたり、就職できなくて派遣と言う働き方でしか世に出られず、それでも、契約更新されずに、1~2年後には実家に戻ってきている同世

          格差拡大。~そして取り残されていく氷河期世代~

          限界人間の晩餐。

          疲労困憊。 帰宅した瞬間に頭に浮かぶ四文字熟語はそれである。気力だけでシャワーを浴びて、いつもの部屋着になった時、ようやくゾンビ状態から人としての何かを取り戻したような気がする。 店に寄り道する気力もなかった時、もしくは、少しだけ早く帰宅できた時は、焼き鳥をつまみに缶チューハイをちびちびやるのがお気に入りだ。 焼き鳥と言っても串に刺さったアレではなく、鳥もも肉を焼いただけの鳥焼きだ。 鳥もも肉のぶつ切りを、フライパンに並べる。皮目を下にして弱火でじっくり焼く。フライパンの鍋底

          限界人間の晩餐。

          マスク推奨年齢?

          二歳以上マスク推奨と言い出し、年齢削除した政府のお偉いさんは、「二歳未満が熱中症や窒息のリスクがあり、マスクを推奨しない。」と自ら言っているのに、二歳になった瞬間にそれがなくなると思っているのだろうか。 自分の誕生日を考えて欲しい。 誕生日を迎えた瞬間に身体能力が劇的に変わったことがあっただろうか。 あるわけがない。そもそも、成長発達には個人差があり、子供の性格や性質もある。一律に年齢で線引きできる発達段階じゃない。 本当に子育てしたことがない、テレビに出てくる子供や、大人に

          マスク推奨年齢?

          節分だった。

          三日坊主の三日目は来なかった。 日々徒然と。愚痴の溜まり場的な、文字の吹きだまり場所を作ろうと二月から始めたnoteもやはり毎日は続かなかった。 いや、ほんとうに。 毎日ブログを綴っている人は本当にえらい。 昨日……昨日はなんだ? 節分か? そう言えば節分だ。 いつものように残業し、スーパーにふらりと寄って、すぐに目に入った節分のPOP。意外に高い恵方巻が夜九時を過ぎても値引きもされずに強気に居座っている。 980円。海鮮巻き。 さも豪華で、中身のわりにはお得だと謳っているが

          節分だった。

          目覚めはいつも夜明け前。

          目が覚めるのはいつも深夜二時から三時の間。 つけっぱなしの電気の下、自由と孤独が気ままに踊るワンルームで私は目覚める。 咳払いを一つ。 つけっぱなしのエアコンのお陰で寒くはないが、酷く乾燥していて、喉が痛い。 比較的最近購入した折り畳みマットレスの上に長年愛用してつぶれた布団が敷かれていて、その上に羽毛布団と綿毛布にくるまった私が乗って、咳をしている。 布団の横には一人用の炬燵。スペースが足りなくて炬燵布団を購入しないまま、ただの机として使っている炬燵が存在感を主張し、机の上

          目覚めはいつも夜明け前。

          気が付いたら二月。

          気付いたら二月だった。 去年末、十二月二十八日に三十九歳になるので、じゃあ、そこから日記でも始めてみるかと思い立ち、noteに登録してみたものの、年末は慌ただしく過ぎて日記どころではなく、正月休みをゲット出来た年始はダラダラしているうちに正月休みが終わり、また仕事が始まったと思ったらもう一月が終わっていた。 早い。 時間の経過が早すぎる。 このまま、あっと言う間に老いて死んでいくのだろうか。 三十九歳、女性、一人暮らし。 良くも悪くも特別な変化が起きないまま過ぎていった月日は

          気が付いたら二月。