見出し画像

ハッピーハッピー教団

 私は古い人間なので、ハッピーハッピー教団と言うと某有名ぽえーんゲームを思い出すのだが、SNS等で良く見かけるポジティブ発言を見かけると、何とはなしにハッピーハッピー教団信者だな、と思ってしまう癖がある。
 常にポジティブ発言をし、意識的に、無意識的にネガティブ情報をシャットアウトしている団体を見かけると、ある種の宗教のようだと思ってしまうのである。
 ここで大事なことは宗教は決して悪ではないと言うことだが、戦争は正義と正義のぶつかり合いで起こるし、負けたら強制的に悪になり、だいたいは数の正義に負けていることが多いと言う歴史がある。
 世は弱肉強食だし、優劣はしっかりあるからこそ、上部や口先で平等や弱者救済を叫ぶ必要があるのだが、過度なポジティブ信者は極限までネガティブ情報を削ぎ落とすため、結果として下層のネガティブ思考人間の存在を抹消しているように思えてならないから、個人的には嫌悪感が拭えないのである。
 自然に生きていれば光と影が出来るのは当然だと思っているのだが、ポジティブ人間は四方八方から光を当てて、無影灯の下でキラキラ笑いながら生きているような不自然さを感じる。それがどうにも怖い。さらにポジティブ人間は似たような人間と固まって似たような言葉を投げ合っている姿を見かけるので、さらに怖いのである。私にはそれがある種の宗教のように見えるから、彼らを心の中でハッピーハッピー教団信者だな……と思いながら見ているのだが、あの宗教団体に見つかると私のようなぼっちネガティブ人間はあっという間に焼き付くされるような気がして恐怖を覚える。
 悪意がない。それがわかるから反抗もできない。笑顔でネガティブな思考の人間は性格を変えろと言ってくる彼らに対して出来ることは、なるべく近寄らず、遭遇したら曖昧な愛想笑いで逃走するのが最善だ。反論しても長引くし、わかりあえない。宗教感の違いだ。わかりあえないのは当たり前で、それぞれ存在を許しあえたらとは思うのだが、存在すら許してくれない場合があるので、息を潜めるしかない。
 生きづらい。
 なんとも生き辛い。
 多様性を主張するのはLGBT的なハッピーハッピー教団だし、身体障碍を伴うハッピーハッピー教団だし。まあ、基本的にネガティブ人間が声高に何かを主張することがないし、何かを主張する気力もないのでそうなるんだろうけれど。
 眠れない真夜中。SNSでポジティブトレンドが目に入ってしまい、ひっそりnoteに吐き出す。大丈夫、今日もネガティブに、低燃費に生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?