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東大院卒と働く中卒が学業を放棄するまでの話①/⑨

東京都教育委員会による最新の公表では、
2021年度の高校への進学率は98.53%
文部科学省による学校基本調査では
2022年度の大学進学率は56.6%となっている。

日本に生まれ育った人間が高校へ進学するのは
おっさんの肥満率よりも高く、
男子がドラゴンボールを読むくらい
通過儀礼というか当たり前ってことなんだろう。

高校に入学すらしていない
私のような真正の中卒は、
なかなかレアなようだ。
そして東大院卒やシンガポール国大卒に
能力を認められて協働し、異国人の同僚と
英語でミーティングできる中卒ってのも
レアかもしれない。

「勉強はやれば誰でもできる」

この言葉はある程度、正しい。
しかし人には向き不向きってのがあるわけで
不向きな中高生が青春時代の貴重な時間を
学業に費やしたところで東大に合格するのは
難しいと言わざるを得ない。

学業に向いている人間も
向いていない人間と同様に
寝る間も削って学業に
打ち込んでいるのだから優劣の差は縮まらない。

底辺高校から東大合格、ギャルが慶應大へ、
なんて話は学業に向いていたが、
これまでやらなかった学生

効率的で自分に合った勉強法を
実践した結果
なのである。
結果よりも、その過程が重要だったりするんだけど
その話は後々のネタのためにしないでおこう。

とにかく学業に限らずスポーツでも芸術でも
努力が通用するほど甘くはないのだ。
才能というものはある人にはあるが、
ない人には残酷なほどにない。
私には明らかに学業の才能がなかった。

学生のころに学業に打ち込んだ記憶が
ほとんどない。
向いている、向いていない以前に
自分に学業が必要なのか疑念を抱いていた。
テストなど短期的でなく、もっと長期的な
目標や目的が見えず努力ができなかった。

たとえば中学時代の数学。
授業についていこうと微力な努力をしたものの
テストでは赤点を取り続け、挙句の果てには
「誰がやっても正解がひとつなら俺がやらなくてもよくないすか?」
などと屁理屈を宣い、教員にぶっ飛ばされる始末。

そんな私だが親のおかげで小学校受験に成功し、
いわゆる「MARCH」と括られる私立の付属校で
ぬくぬくとお坊ちゃん育ちをしていた。
「MARCH」は凡人が努力で合格できる
限界ラインだろう。

なお私はどんなに学業を頑張っても
それらの大学受験に成功する自信はない。
付属校というのはチートに近い
大きなアドバンテージだった。

今、思い返すとあの学校はよい環境だったと思う。
ほかの学校に通ったことないけど、たぶん。
男子校だったことを除けば、だが。

無理をして高額な学費を私の将来に
「投資」してくれた両親に感謝である。
ありがとう、親父と母ちゃん。

さて何故に「良い環境だった」と思うか。
その理由は私の母校に入学する生徒には
三種類の人間がいたことである。

付属小学校からの内部進学の生徒。
他の小学校から受験に合格した生徒。
帰国子女枠の試験に合格した生徒。

それらの生徒がランダムに振り分けられ、
一学年6クラスを形成していた。

帰国子女の生徒たちは父親の仕事の
都合で英語圏の国で育ち、帰国して間もない連中。
募集枠が何人ほどだったか明確ではないが、
クラスには英語ペラペラの奴が三人はいた。
クラスに漏れなく三人はいたのだ。
中学一年生の時点である。

制服のズボンを腰で履く彼らは
いわば日本国籍の異邦人。

何の躊躇いもなく教員や先輩に
タメ口でコミュニケーションを取る。

我々とは別の部分に設置されているような
怒りのスイッチが入れば自然と英語になり、
FまたはSから始まる4文字の単語を吐き散らかす。

聴いている音楽は90年代初頭には
日本にそのシーンすら一般的でなかった
ヒップホップやメタル。

そのころは、まだアメリカという国と
その文化が日本よりもカッコよかった時代。
彼らは私の興味をくすぐり、異文化への
憧れから比較的、話しやすそうな級友に
アメリカでの生活や流行を
根掘り葉掘り質問していた。
さぞウザかったことだろう。

そして中二の一学期。
クラス替えである。

あろうことか私は同じクラスとなった
身長180cm体重100kgはあろうかという
屈強な体躯のシカゴ帰りのBボーイ、
しかもバスケ部レギュラーのバケモノに
目をつけられてしまった。

「おい!おまえの家、うちと近いな!一緒に帰ろうぜ!」

彼からのファーストコンタクトがこれだ。
なんというボーダーレスな感覚だろうか。
「家が近いから」という実に安直な理由で
ひと言も話したことのない奴と一緒に帰ろうとは
小学校三年生くらいの発想ではないか。

これがアメリカ的なノリなのか?
日本人がシャイなのか?
それより私なんかと一緒に帰って
彼に何の得があるというのだ?
手懐けてパン買ってこいとか
ジュース買ってこいとか、
そういう関係性を築くつもりか?

などと翌日からはじまるかもしれない
地獄の日々を勝手に妄想した。

しかし私に断るという選択肢などなかった。
なんせ相手が悪すぎる。デカいんだもん。

恐怖と同時にスクールカーストの上位にいる
彼からそのように声をかけられたのは
カースト制度の中の下くらいに甘んじていた
当時の私には嬉しく誇らしく感じたことも
否定できない。

退屈な始業式が午前中に終わると
少しの開放感と明日から開始される
サービス精神の欠片もない教員たちによる
授業に対する憂鬱を同時に抱きながら
学生や営業のサラリーマン行き交う都心から
東京北部にある自宅への帰路につく。

リズムの裏拍を取るようにのしのしと歩く
併設された大学の応援団員と言っても
誰も疑わないような見てくれの同級生と並んで。

彼との出会いが今後の自分の人生に
よくも悪くも大きな影響を与えるとは露知らず。

その大きな影響については次回に。

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