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「ジョーンと雷の思い出」

ジョーン先生は勢いよく扉を開けて教室へ入ってくると、教科書をパーンと教壇の上に放って言った。「コンナノヤッテテモ、オモシロクナイ。Right?(そうだろ?)」と。それは語学学校の初日の授業でのことだった。

体格のいい30代の外国人男性が物を投げると迫力がある。緊張をしている生徒たちの笑いを取りにいったものだったのだろうが、私たちは皆10代と若かった。教室はシーンと静まり返った。
ジョーン先生はすべった、と気づいたのだろう。みるみるうちに色白の顔が赤くなっていった。そして咳払いを一つすると、「私は寿司が好きなオーストラリア人だ」という非常にシンプルな自己紹介をした。
床に滑り落ちた教科書をさっと拾い上げ、名簿を取り出すと、ジョーン先生は生徒の名前を読み上げていった。名前を呼ばれた者は、小さく手を挙げて「ハーイ」などとみんなモジモジしていた。
次は私の番だったが「かすみ」という名前の発音が難しいようだった。先生は「カツ…、カッテュミ…?…カッツーミ!」と眉間に皺を寄せながら一生懸命に私の名前を呼んだ。
「I have a dog, his name is SHISHIMARU.(私は犬を飼っていて、彼の名前はししまるです)」とたどたどしく自己紹介をすると、先生は顔をぱっと輝かせて「ししまるとは実にいい名前だ」と犬の名前だけはスラスラと発音して褒めてくれた。

季節は夏に近づいたが、私はジョーン先生に「カッツーミ」と呼ばれ続けた。
その日はひどく退屈していたので、休み時間にソニーの白い電子辞書で思いつく限り知っているエロスな言葉を和英翻訳していた。
授業が始まるとその日は抜き打ちの単語テストがあったので、皆が文句を言いながらも真剣に紙に向き合っている時だった。
教室をウロウロと歩き回っていた先生は、机の端に置いていた私の電子辞書を眺めると、「いい色だね」と手に取った。勝手に蓋を開けたり閉めたりしている。私は「それ以上はやめろ!」と心の中で叫んだが、先生にはその声が聞こえたのだろう。彼は迷わずに履歴ボタンを推した。あまりにも一瞬の出来事だった。
ジョーン先生はイチゴぐらい真っ赤になって、Hahahahaha!と大声で笑った。他の生徒たちは何が起こったのか分からずに皆キョトンとしていた。私はすぐにでも逃げ出したいくらい恥ずかしかったが、次の瞬間、救いの天使が現れた。相田みつをさんの『人間だもの』という有名すぎる詩の一節が脳裏をかすめたのだ。そうだ、私は人間なのだ。絶対に恥ずかしがったりなんかしないんだ。勝手に人の調べものを見てきた先生の方が悪いんだ!
私はその後の授業はいつもより精悍な顔つきで、クラスメイトの発言には逐一笑顔と相槌を絶やさず、人一倍大きな拍手をして授業を終えた。

別の日のことだった。ジョーン先生は実際にあった話だ、と深妙な面持ちをすると、雷に3度も打たれた男の話をしてくれた。1度目は外を歩いている時、2度目はテニスをしていた時、そして3度目は家の中で食器洗いをしていた時。水道の水を通じて雷が侵入してきたのだと言う。いずれも雷の程度は弱く、命に別状はなかったが、男性はその1年後に亡くなってしまった。その理由は何だと思うかい?と。
私たちは考えた。雷が身体に与えただろう影響を推察し、「心臓が悪くなった」や、「癌になってしまったのではないか」など答えたが、先生は首を振ってNOと言うばかりだった。そして静かに、「He died by his own hand.(彼は自らの手で亡くなったんだ)」と言った。いつ何どき、雷がやってくるか分からない、その恐怖に耐えられなくなったのだと。
私は涙が溢れ出そうになり、下を向いた。ちょうどその頃、私には抱えている病があったからだ。簡単には治りそうのないものが、人生の中で暗く横たわっていて、これからもそれと生きていかなければならない時、希望などそう簡単には持てなくなる。
ジョーン先生は授業の終わりに私の前を通ると、「カッツーミ。今の気持ちを忘れないで」とだけ、小さな声で言った。

冬休みが明けると、個別の英会話のテストがあった。
私はパルコで買ったふわふわ毛並みの茶色いバッグを持って教室に入った。
するとジョーン先生は鞄を見るなりとても悲しそうな顔をして、「シシマル……?」と言い、鞄の表面を優しく撫でた。
きっとオーストラリア人だから動物愛護の精神がより強いのかもしれないと思い、慌てて「No, No, フェイク。フェイクファー!」と言うと、先生は大げさに胸を撫で下ろし、「シシマル、イキテル、ヨカッタ」とギャグかギャグじゃないのか分からないことを言った。
その後私は、間違いだらけの英語で会話のテストを終えたが、成績は94点となかなかの高得点を取ることができた。
最後は春休みに、回転寿司で女性と顔を赤らめながら話をしているジョーン先生を一度見たきりで卒業を迎えてしまった。
自分のことを全く語らない、不思議な外国人だったけれど、私にとっては忘れることのできない素敵な先生だ。


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