JW599 品部の部の字
【垂仁経綸編】エピソード21 品部の部の字
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
西暦10年、皇紀670年(垂仁天皇39)10月。
ここは、纏向珠城宮。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)は、大連や大夫たちと共に、詰問していた。
尋ねる相手は、皇子の五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)である。
イク「・・・ということで『ニッシー』? どうして、一千口の剣を造ったのかな?」
ニック「せやで。謀反の疑いを持たれても、しゃぁないことをしてるんでっせ。」
ニッシー「だから、僕は、丈夫の道を歩んでるんだよ? 剣が要り様なのは、父上も御存知でしょ?」
くにお「して、忍坂邑に納めたるは、如何なることにて?」
ニッシー「戦になったら、すぐに要り様になるんだよ? ってことは、国中(奈良盆地)に無かったら、意味無いよね?」
オーカ「ちなみに、忍坂邑は、奈良県桜井市の忍阪にあらしゃいます。」
ニッシー「補足説明、ありがとう。」
イク「そうか・・・。『ニッシー』は、そこまで、ヤマトのことを想ってるんだね・・・。」
ニッシー「当たり前でしょ? 僕は、皇子だよ?」
カーケ「して、大王? 此度のこと、どうするのかね?」
イク「『ニッシー』が、勝手にやったこととはいえ、国を想ってのことだ。不問にしたいと思う。」
ニッシー「ちょっと! 父上? 不問って、そもそも『記紀』に、こんな、やり取り、書かれてないでしょ? 作者のオリジナル設定じゃん!」
武日「じゃっどん、『記紀』の記述を、どう、ひっくり返しても、大王の命によって・・・と書かれちょらんのや。というコツは、皇子が勝手にやったとしか、考えられないっちゃが。」
ニッシー「いいじゃん。勝手に造ったって! 僕は、丈夫の道を歩んでるんだよ?」
イク「そこまで言うのなら、『ニッシー』に、多くの品部を与えよう。」
ニッシー「えっ? 品部?」
ちね「職人集団のことやで。」
オーカ「エピソード487にて、絹を織る、倭文部という職人集団が紹介されておりますぅ。」
イク「それだけじゃないよ。エピソード533では、僕が、鳥取部、鳥養部、誉津部を定めてるよ。」
ニック「鳥取部は、鳥を取る職人・・・狩人ですな。」
くにお「鳥養部は、鳥を飼育する職人・・・養殖業者ですな。」
カーケ「誉津部は、誉津別こと『ホームズ』様の身の回りのお世話をする人たちのことなんだぜ。」
ちね「舎人とか、采女といった人たちのことやな。」
ニッシー「『ホームズ』義兄上の世話役については、知ってるよ! ちなみに、僕の世話役たちは『川上部』って言うんだよ。」
オーカ「前回、紹介されてますなぁ。」
ニッシー「でも、ちょっと、おかしいよね?」
ニック「どこが、おかしいんでっか?」
ニッシー「義兄上の場合は『誉津部』で、僕の場合は『川上部』になってる。同じ『部』って文字なのに、読み方が違うんだけど・・・。」
くにお「そもそも『部』を『とも』と呼んでいたようにござるな。それゆえ、誉津部は『ほむつのとも』だったと思われまするが・・・。」
ニッシー「変わちゃったってこと?」
武日「じゃが。『部』という文字は、海の向こうの大陸から、やって来た文字っちゃ。」
ニック「せやから、初めは『とも』に『部』の字を当ててたんやないかと思います。」
カーケ「そして、『部』の大陸風の読み方が、ヤマトで広がっていくうちに、『とも』を『べ』と呼ぶように変わっていったんだと思うんだぜ。」
ニッシー「なるほど・・・。後の世に、新しい読み方が、入ってきたってわけか・・・。だから、僕の名代部の川上部は、川上部とも読めるわけだね?」
ちね「そういうことやね。せやから、名代部についても、名代部と読めるってことやな。」
イク「そして、そんな職人集団のことを、まとめて品部って呼んでいたんだよ。」
ニッシー「それで、僕に与えてくれる品部って?」
イク「それについては、次回、お伝えするね。」
ニッシー「ええぇぇ??!!」
紙面の都合で、次回となったのであった。
つづく