JW516 落ちたところ
【垂仁天皇編】エピソード45 落ちたところ
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前15年、皇紀646年(垂仁天皇15)8月。
ここは、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)の元に、驚愕の報せが届いた。
妃に選ばれなかった、竹野媛(たかのひめ)(以下、たかのん)が自害したというのである。
イク「う・・・嘘でしょ? そ・・・そんなこと・・・。」
「イク」の面前には、涙を堪(こら)える、尾張倭得玉彦(おわり・の・やまとえたまひこ)(以下、玉彦)が・・・。
玉彦「まことのことだで・・・。『たかのん』は・・・。自らを恥(は)じて・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ここで「たかのん」の姉たちが吼えた。
すなわち、日葉酢媛(ひばすひめ)(以下、ひばり)。
真砥野媛(まとのひめ)(以下、マー)。
渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ)(以下、バタ子)。
薊瓊入媛(あざみにいりひめ)(以下、あざみ)である。
ひばり「あんまりです・・・。どうして『たかのん』が・・・(´;ω;`)ウッ…。」
マー「大王(おおきみ)の所為(せい)よ! 大王が、あんなことをしなければ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
イク「そ・・・そうだね・・・。僕の所為だ・・・。僕の我儘(わがまま)が『たかのん』を追い詰めてしまった・・・(´;ω;`)ウッ…。」
バタ子「も・・・もう『たかのん』には会えないのね・・・(´;ω;`)ウッ…。」
あざみ「酷(ひど)い! 酷すぎる・・・(´;ω;`)ウッ…。」
そのとき、大臣(おおおみ)で、玉彦の父、尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)が尋ねた。
ケモロー「ところでよぉ『たかのん』が命を落とした、葛野(かずの)とは、どこになるんだ?・・・(´;ω;`)ウッ…。」
玉彦「二千年後の地名で言うと、京都府京都市の辺りになるんだけどよぉ・・・。」
ひばり「だけど?」
玉彦「『たかのん』が落ちたところだけ、新たな地名が付いたんだがや。」
マー「落ちたところ?」
玉彦「堕国(おちくに)と呼ばれるようになったんだがや。ほんで『記紀(きき)』が編纂(へんさん)された、奈良時代には、弟国(おとくに)と呼ばれるようになったんだがや。」
ケモロー「葛野から分かれたんで、弟国となったみたいだがや。」
バタ子「葛野が兄で、堕国が弟ってことですか?」
玉彦「まあ、そんな感じだがや。」
ケモロー「ほんで、その後、カッコいい名前に変更することになり、乙訓郡(おとくに・の・こおり)と呼ばれるようになるんだがや。」
あざみ「全くカッコ良くないんだけど・・・。」
ケモロー「そんなこと言われても、仕方がないが!」
ひばり「ところで、二千年後の地名で言うと、どうなるのですか?」
玉彦「二千年後の地名は、大山崎町(おおやまざきちょう)だがや。」
ケモロー「それだけじゃないでよ。『古事記(こじき)』では円野比売(まとのひめ)という名前で登場しとってよぉ、輿(こし)から身を投げる前に、木の枝に取り懸(さが)って『死のう』と宣(のたも)うたんで、その地を『懸木(さがりき)』と呼ぶようになったそうだがや。」
玉彦「その通り! それが、後に相楽郡(さがらか・の・こおり)と呼ばれる地域になるんだで。二千年後の地名で言うと、京都府南部の笠置町(かさぎちょう)、和束町(わづかちょう)、精華町(せいかちょう)、南山城村(みなみやましろそん)になるがや。」
バタ子「たかのん・・・。そこまで、思い詰めてたなんて・・・。」
イク「僕の所為なんだね・・・。僕が、あんなことさえしなければ・・・。」
あざみ「大王・・・。泣いても『たかのん』は帰ってきません・・・。」
ひばり「『あざみ』の言う通りです。それよりも『たかのん』に謝ってくださりませ。『たかのん』の御魂(みたま)を安んじめてくださりませ。」
イク「ごめんよ。たかのん・・・ごめんよ。」
こうして、悲劇と共に、妃が定められたのであった。
つづく
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