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JW497 稲城籠城

【垂仁天皇編】エピソード26 稲城籠城


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前25年、皇紀636年(垂仁天皇5)10月。

狭穂彦王(さほひこ・のきみ)の謀反(むほん)が発覚した。

垂仁天皇の甥、八綱田(やつなた)(以下、つなお)は軍兵を従えて出陣。

狭穂彦の館を目指す。

この動きは、狭穂彦の耳にも届いていた。 

系図(狭穂彦)
系図(つなお)

狭穂彦「おのれぇぇ。『イク』めぇ。我(われ)の動きに勘付いたのか?!」 

そこに、和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)がやって来た。 

系図(くにお)

くにお「狭穂彦様。もはや、これまでにござる。大王に降(くだ)られよ。」 

狭穂彦「何を言うか! 我(われ)は諦(あきら)めぬぞ。館に立て籠(こ)もるまでじゃ!」 

くにお「館に立て籠もったところで、ひとたまりも有りますまい。無駄なことを・・・。」 

狭穂彦「館の周りに、稲の藁(わら)を積み上げ、防御壁(ぼうぎょへき)とすれば、しばらくは保(も)つであろう。その間に、我(われ)の兄弟たちや、物部(もののべ)や尾張(おわり)に反感を持つ豪族たちが、兵を挙げてくれれば、勝つことも能(あた)う!」 

くにお「何を愚(おろ)かなことを申されまするか・・・。藁束(わらたば)を重ねたところで、火矢(ひや)を射かけられれば、あっという間に燃え尽きてしまいますぞ?」 

狭穂彦「土を被(かぶ)せば、火矢にも耐えられる。そんなことも知らぬのか?」 

くにお「解説、かたじけのうござりまする。これは、読者のためを慮(おもんばか)ってのこと。」 

狭穂彦「そうであったか・・・。では、さっそく、藁束を積み上げ、籠城(ろうじょう)するぞ!」 

くにお「これを稲城(いなき)と申しまする。ちなみに『記紀(きき)』においては、場所の特定はされておりませぬが、狭穂(さほ)の地ではないかと、作者は考えておりまする。」

地図(狭穂)

狭穂彦「狭穂の地は、母上の実家が治める地・・・。そこ以外には、考えられぬな・・・。」 

くにお「では、拙者(せっしゃ)は、これにて、御免仕(ごめん・つかまつ)る。」 

狭穂彦「なっ!? 共に戦ってくれるのではないのか?」 

くにお「かつて、狭穂彦様の父君、彦坐王(ひこいます・のきみ)こと『イマス』様は、こう仰(おっしゃ)いました・・・。『記紀』に書かれておらぬことに、しゃしゃり出るなと・・・。」 

とにもかくにも、籠城戦が開始された。

館を包囲する「つなお」の軍と、立て籠もる狭穂彦の軍による睨(にら)み合いが続いたのである。

そのまま、戦況は膠着(こうちゃく)し、気が付けば、11月に入っていた。

この状況に、涙する人が・・・。

すなわち、大后(おおきさき)の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)である。

系図(さっちん、狭穂彦)

さっちん「嗚呼・・・。私は、大后・・・。その大后の兄が謀反を・・・。兄上が討たれてなお、大后として、生きていけるだろうか・・・。天下に面目(めんもく)が立つであろうか・・・。」 

ついに「さっちん」は決断した。

息子の誉津別(ほむつわけ)(以下、ホームズ)を連れて、兄の籠(こも)る稲城(いなき)に入ってしまったのである。

その報せは「イク」の元にも届いた。 

イク「なっ! なんだって!? どうして『さっちん』が?!」 

つなお「我(われ)にも分かりませぬ。なにゆえ、大后が、稲城に入られたのか・・・。」 

イク「とにかく、奪い返すんだ! 忍者の御先祖様の大伴武日(おおとも・の・たけひ)! 汝(いまし)に命を与える! どうやってでも『さっちん』と皇子(みこ)を城から出すんだ!」 

武日「忍者のような勤(つと)めとあれば、大伴の出番やじ! 任せてくんない!」

系図(大伴氏:武日)

つなお「武日殿! もしもの時は、城中に火を・・・。さすれば、大后も出るほか有りますまい。」 

武日「かしこまったっちゃが。やれるだけのことは、やってみるじ!」 

こうして、作者オリジナル設定で、大伴が動いたのであった。 

つづく

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