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光る君へ 第三回の感想〜武衛が出てるのに〜

第三回、観ました。

武衛が出てるのに

第二回から、道長さんは、武官として登場していますが、その役職について、しっかりと触れられていない気がします。

私が見逃しているだけかもしれませんが、道長さんは、右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)なんですよね。

これを聞いて「鎌倉殿の13人」を観ていた方は、ピンと来られたかもしれませんね。

源頼朝公が「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた理由。

それは、彼が「右兵衛佐」だったからです。

そうです。現在の道長さんと、同じ役職だったんです。

「鎌倉殿の13人」では、上総広常(かずさ・ひろつね)さんが「おい! 武衛(ぶえい)! おまえも、こっち来て飲め!」とか言っていましたが、兵衛府(ひょうえふ)の役人の中国風の呼び方が「武衛」なんですね。

二年の時を経て、本物(頼朝さんが、偽物というわけではありませんが)の武衛を観る事が出来たわけです。

NHKさんも「鎌倉殿の13人」ファンに向けて、説明してくれても良いのに・・・と思った次第です。

ちなみに、道長さんは「権佐(ごんのすけ)」です。

定員一名の役職ですが、臨時で、もう一人追加した場合には「権(ごん)」の字が付きます。

すなわち、道長さん以外に、最低でも、もう一人、佐(すけ)がいるわけですね。

出世街道の出発地点として、この役職に就く、上級貴族の子弟が多かったとの事なので、実際は『右兵衛佐(仮)』といった感じで「権」が付かない右兵衛佐の傍で学んでいたのかもしれませんね。

そうなると「権」が付かない右兵衛佐の責任は重大ですね。


初の女子会

ヒロインが、初の女子会に参加していましたね。

漢字当てカルタが、面白そうでした。

今風で言うと、マウントを取っていたヒロイン。

周りの女の子たちは、笑っていましたが・・・怖い。

ここで登場していたのが、赤染衛門(あかぞめえもん)さん。

大江匡衡(おおえ・の・まさひら)さんの奥様です。

大江と聞いて、ピンと来た「鎌倉殿の13人」のファンの方もいらっしゃるかと思いますが、大江広元(おおえ・の・ひろもと)さんの御先祖様になる御方です。


父への想い

女子会から帰ってきたヒロインに、父の為時(ためとき)さんが尋ねます。

左大臣家の姫に、結婚の話とか無かったか?

ここでヒロインは、自分が、父親の出世の道具に使われたと気付きます。

もしかしたら、気付いていたのかもしれません。

そうではないと信じたかったのかも・・・。

父親から、女子会に言ってみないかと言われた時、ヒロインは、戸惑いつつも、少し嬉しかったのでしょう。

だからこそ、漢字カルタで、マウントを取っているとも気付かず、ハメを外しまくっていたのかもしれません。

でも本当は、父親を疑って、ワザとマウントを取り、姫様に嫌われようとしていたのかもしれませんが・・・。

どちらにせよ、結論としては、出世の道具でしかなかったわけです。

弟の方ばかり見て、自分の事は見てくれていないという寂しさ。

ただ、道具として見られているという悔しさ。

やるせない感情が涙となって表現されます。

そのとき、ヒロインの視線の先には、母が愛した琵琶が・・・。

権力者の勝手な都合で、非業の死を遂げた母。

その母の無念を出世のために切り捨てた父。

そして、自分も母と同じように・・・。

憎しみからなのか、父親への嫌がらせなのか、ヒロインは、その後の女子会でも、あからさまにマウントを取るという行動に出ていましたね。

赤染衛門さんの歌が合っているとか、わざとらしく、嫌な女を演じてましたね。


今回は孟子だった

貴族の子弟たちの勉強会の場面もありましたね。

孟子(もうし)をやってましたね。

人の不幸を見過ごせないのが、人ってモンだよ・・・みたいな話。

幼い子供が井戸に落ちそうになっていたら、危ない!助けなきゃ!と思って行動しますよね?

でも、そのとき、子供の両親に恩を売ろうとか、良好な関係を築こうと思って行動するわけではないですよね?

友人たちから褒められたいと思って行動するわけでもないですよね?

自然と動いてしまうんですよね。

この感情というか、感性のようなモノが、相手を慮(おもんばか)る行為として、礼や義に通じ、最終的には、仁に通じると説く話です。

現代でも、こういう教育をすれば良いのにと思ってしまいましたね。

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