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JW383 船舶建造の詔

【崇神改革編】エピソード10 船舶建造の詔


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前81年、皇紀580年(崇神天皇17)6月29日。

ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、ある女人が参内(さんだい)していた。

ミマキの義理の母で、大吉備津日子(おおきびつひこ)の娘、包媛(かねひめ)(以下、カネ)である。

系図(カネ)

カネ「大王(おおきみ)! あれから五年も経ちます! 温羅(うら)の首塚は、どうにもならないのですか?!」

ミマキ「義母上・・・。分かってくだされ。わしは、吉備(きび:現在の岡山県と広島県東部)だけに、目を向けているわけにはいかぬのでござる。」

カネ「されど、もう五年ですよ?」

ミマキ「わしも、毎日、身を清めて寝ておりまする。されど、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、知らぬ存ぜぬの繰り返し・・・。武甕雷神(たけみかづち・のかみ)は、異国(とつくに)の者は専門外と・・・。」

カネ「はぁぁ(*´Д`)。父上や、ジョン殿が、首を長くして、待っているというのに・・・。」

ミマキ「お許しくだされ。わしには、他にも、やらねばならぬことが有りまするゆえ・・・。」

カネ「やらねばならぬとは?」

ミマキ「明日の7月1日に、詔(みことのり)を発するのでござる。」

カネ「7月1日? 今日は、6月29日ですよ?」

ミマキ「さすがは、義母上! 読者を慮(おもんばか)って、尋ねられたのですな? では、解説致しましょうぞ。太陰太陽暦(たいいんたいようれき)では、小(しょう)の月(つき)が29日で、大(だい)の月は30日なのでござる。」

カネ「それで・・・6月は、29日までしかないと?」

ミマキ「その年によって変わりまする。今年の6月は、29日までだったということにござる。」

とにもかくにも、紀元前81年、皇紀580年(崇神天皇17)7月1日、詔が発せられた。

ミマキ「船は、天下にとって、大切なモノじゃ。されど、今、海辺の民(おおみたから)には、船が無い・・・。そのため、運搬に苦労しておる。そこで、諸国に命じて、船舶(せんぱく)を造らせるように・・・。」

こうして、同年の10月に、初めて船舶が造られたのであった。

ミマキが船を眺める傍(かたわ)らで、大后(おおきさき)の御間城姫(みまきひめ)(以下、みぃ)が微笑む。

系図(みぃ)

みぃ「ようやく出来上がりましたね。」

ミマキ「うむ。これで、今までよりも、もっとたくさんの品々や人々を運ぶことが出来る。」

みぃ「これは、集められた調(みつき:税のこと)が有ったればこそ、造られたのですね?」

ミマキ「その通りじゃ。大きなモノを造るには、多くの人が要(い)る。そうなると、集住せねばならぬ。集住すれば、毎日、たくさんの食い物が要る。」

みぃ「集めた調のおかげで、長い間、作業出来るというわけですね?」

ミマキ「その通りじゃ。これは、まだ手始めに過ぎぬ。もっと大きなモノも造れるであろう!」

期待に胸を膨(ふく)らませる、ミマキなのであった。 

つづく

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