リトアニアより愛を込めて
1940年(昭和15)、リトアニアの日本領事館にいた杉原千畝。
当時、ナチスに迫害され、逃げてきたユダヤ難民は、さらなる迫害から逃れるため、国外脱出を望んでいました。
どこの国もビザの発給を拒む中、杉原は、本国外務省の指示に背き、ユダヤ人を国外へ逃すため、独断でビザを発給。
しかし戦後、命令に背いたことを理由に、杉原は外務省から追放され、その行いは、一切、日本では語られませんでした。
彼の名が広く世間に知られたのは、その45年後。
ユダヤ人の国イスラエル政府が、ノーベル平和賞に匹敵するとされる、ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)を授与した時でした。
リトアニアの首都では、彼の功績を称え、スギハラ通りと名付けられた道が、今も残されています。
実に、6000人ものユダヤ人を救い、その勇気ある行為から「東洋のシンドラー」と呼ばれているのです。