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JW153 三上山降臨伝説

【孝霊天皇編】エピソード8 三上山降臨伝説


紀元前285年、皇紀376年(孝霊天皇6)となった。

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)こと、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとに・のみこと)(以下、笹福(ささふく))が政務に勤しんでいると、一人の人物がやって来た。

笹福の叔父、和邇日子押人(わにのひこおしひと)(以下、ひこお)である。

ひこお「エピソード148以来の登場ぞ。」

笹福「叔父御(おじご)・・・如何(いかが)したのじゃ?」

ひこお「うむ。なにゆえ拙者(せっしゃ)が参ったか・・・。それには、まず三上山(みかみやま)について語らねばなるまい。」

笹福「三上山?」

ひこお「淡海国(おうみ・のくに)の山じゃ。」

笹福「淡海とは、二千年後の滋賀県のことじゃな?」

ひこお「左様。その山は、二千年後でいう、滋賀県野洲市(やすし)の三上(みかみ)にある山じゃ。標高432mじゃぞ。」

三上山(標高432m)

笹福「それがどうしたというのじゃ?」

ひこお「その山に・・・。その山に、神が降臨したのじゃ!」

笹福「昨年は鹿で、今年は神と申すか!?」

ひこお「鹿?」

笹福「昨年、白き鹿が舞い降りたのじゃ。次は、神か・・・。して、如何(いか)なる神ぞ?」

ひこお「聞いて驚け! 天之御影神(あめのみかげのかみ)じゃ!」

笹福「す・・・すまぬ。どういう神なのじゃ?」

ひこお「仕方ないのう。こう言えば分かるか? 倭鍛部天津真浦(やまとのかぬちべ・の・あまつまら)! 通称は『カヌー』じゃ!」

笹福「なっ!? 『カヌー』とは、エピソード77で登場した神ではないか?! 確か、二代目様が兄君の手研耳命(たぎしみみ・のみこと)を討ち取られる件(くだり)で・・・。」

するとそこに、件(くだん)の神様がやって来た。

倭鍛部天津真浦(やまとのかぬちべ・の・あまつまら)(以下、カヌー)である。

カヌー「へい! あっしが『カヌー』でやんす。天岩戸(あまのいわと)伝説にも登場する神様でやんすよ。」

笹福「確か、製鉄や鍛冶(かじ)の神と言われていたような・・・。」

鍛冶(イメージ1)
鍛冶(イメージ2)

カヌー「その通り! ただ、天津真浦ってのは『神』という文字が付いてないんで、鍛冶集団の総称じゃないかって説もありやすがね・・・。」

ひこお「同じ製鉄の神である、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の別名とも言われておられまする。」

カヌー「さすがは、ひこお殿! 勉強してますねぇ。」

笹福「なにゆえ、目が一つなどと言われておるのじゃ?」」

カヌー「おお! そこに気付いてくれたんでやんすか? 二代目も神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)も、全く関心がなかったんでやんすよ。」

笹福「そ・・・そうなのか?」

カヌー「では、解説致しやしょう。この名が付いたのは、片目を失明する鍛冶の職業病から付いたといわれてるんでやんす。」

笹福「鍛冶とは、片目を失明するものなのか?」

カヌー「高温に熱せられた鉄を見ていると、そうなるんだと思うんでやんすよ。」

ひこお「他にも、鍛冶が片目をつぶり、鉄の色の変わり具合から、温度を確かめる・・・という動作から、名付けられたともいわれておるまするぞ。」

カヌー「さすがは、ひこお殿。勉強してるでやんすねぇ。」

笹福「なるほどのう。して『カヌー』様。一体、何用(なによう)で参られたのか? 我(われ)には、討ち取る相手などおりませぬぞ。」

カヌー「嫌だなぁ。あっしは、暗殺が専門じゃぁ、ありやせんぜ。」

笹福「では、なにゆえ参られたのか?」

カヌー「降臨したかったからでやんすよ。」

笹福「か・・・神とは、気まぐれで降臨なされるのか?」

カヌー「まあ、そこで、地元の民(おおみたから)は神社を創建したんでやんす。」

ひこお「それが御上神社(みかみじんじゃ)じゃ。」

御上神社(三上山山頂の奥宮)

カヌー「その通り! 三上山に磐境(いわさか)を設けて、山を祀(まつ)ったんでやんすよ。」

笹福「山が御神体というわけか・・・。」

カヌー「これを神奈備(かんなび)と呼ぶんでやんすよ。」

ひこお「その後、西暦718年、皇紀1378年(養老2)に社殿が造営されたようじゃ。」

御上神社(地図)
御上神社(鳥居)

カヌー「さすがは、ひこお殿。ちなみに、本殿は国宝になってるんでやんすよ。」

御上神社(本殿・国宝)

笹福「国宝とな? 養老二年より、二千年後も建っておると申すか?」

カヌー「残念ながら、そうではないんでやんすが、それでも鎌倉時代後期の建物でやんす。」

ひこお「神社だけでなく、寺院などの様式を混ぜ合わせた、独特の様式となっていることが、国宝指定の理由のようですぞ。」

カヌー「さすがは、ひこお殿。本当に、よく勉強されてますねぇ。」

ひこお「ま・・・まあ、こう見えても、大王の叔父ですからな。((´∀`))」

笹福「それは、全く関わりないことじゃと思うが・・・。」

ひこお「ち・・・ちなみに、その独特な様式から『御上造(みかみづくり)』という名称で呼ばれることもあるそうですぞ。」

カヌー「いやぁ、本当に、よく勉強してるでやんすねぇ。」

ひこお「ま・・・まあ、叔父・・・的な? ((´∀`))」

笹福「此度(こたび)は、叔父御のための回であったような気がするぞ。」

カヌー「では、大王。あっしは、これにて、御免!」

こうして『カヌー』は三上山へと帰っていったのであった。

つづく

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