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高校生編#3:運命の出会い編【とあるバンドマンの軌跡】第5話

どうもー。キクでーす

イラストは怒りを表現された方のを使わせて頂きました。余談で親父のことを表します。


第1話「プロローグ」

前回の記事↓話数をつけてないですが4話です。

第4話
「私は難病です。楽器をやる全ての方に向けて。

はじめましての方にも読んでもらえるよう、わかるように努力します。

ただ、物語はずっと繋がってるので1話から読んでくれると嬉しいです。



私は今現在30代です。今まで、ある音楽シーンを紹介しなかったり。伏せて話してました。

私達の世代はいわゆる

ハイスタ世代。インディーズ世代。メロコア世代とも呼ばれています。

何故話さなかったのか。

その辺も踏まえて話します。

今回は少し音楽の話しがあるのですが、興味ない方にも読んで頂けたら嬉しいです。

では



【第5話】



いつも冒頭に私が聞いてた、物語の時代の音楽を紹介するのですが、今回は運命の音楽にも出会うので後で紹介致します。



高校生3年生。私は体の右半身に異常を感じてましたが、私はバンドをしたい気持ちでしかありませんでした。

そして当時10バンド掛け持ってたバンドは徐々に終わっていき、バンド数は少なくなってました。

そんな時、スタジオでたむろとしてると、いつもスタジオにいる一個上のベーシストの先輩が私に声をかけてきました。


先輩Ba「ねーキク。ちょっと助けてよ」

私「なんすか?」

先輩Ba「俺が入ってるバンドのドラムが怖くて。今度抜けるようにするから、キク入ってよ」

私「えー!あのチャラチャラしてるバンドっすか?まー…いーっすけど…」


みたいな感じでした。


そう。見た目がチャラチャラしてるバンドがいたのです。


彼達のジャンルはメロコアでオリジナルの曲をやり、年齢は私以外一個上。

私はまだ高校3年生で、彼達は19歳で大学には行ってませんでした。


当時(約15年前)。Hi-STANDARDやBRAHMANなど、インディーズシーンが主に流行ってたかと思います。

しかし、私はインディーズシーンには詳しくなかったのです。

なんか流行ってんなー。っていう認識でしかなく、レンタルCD屋でランキング上位のインディーズバンドは借りてました。


私がかけもってたバンドはコピバンが多く、椎名林檎さんやお化粧するバンドの方。オリジナルもありましたが、掛け持ちバンドの中でインディーズシーンの話題は話さなかったのです。高校生の私がポツンと一人いて、後は大人の方が多かったです。

それに、いつもたむろしてるスタジオもあまりいなかったので、情報が掛け持ちバンド内でしかありませんでした。

私自身はR&Bや洋楽のエモコア。ミクスチャーが好きでした。



↑で話した「彼達のバンド」の名称をチャラバンドと呼びましょう。

そんな、チャラバンドに入る事になりました。

チャラバンドは私が住んでる田舎近辺だけではく、県の中心部でも活動し活発的でした。

掛け持ちバンドの練習は疎かになり、ほぼチャラバンドの活動で私は動いてました。


内心


「あー。まさか、このままチャラバンドに永久に入ってる事なんてないよな」とも思ってました。

でも、チャラバンドは私が住んでる田舎周辺のライブハウスだけではなく、県の中心部でもライブをしたりして、活動が活発的でした。


私の掛け持ちバンドはチャラバンドを含め、4つぐらいでした。


そして


そのチャラバンドのボーカルにある時言われたのです。


チャラボーカル「あのさ。俺達、音楽の方向変えるから。今まで以上に動くから。お前が掛け持ちしてるバンド、全部辞めてくんない?」


心の中


「マジかよ。チャラバンド一本に?でも、まだ他にいいバンドいるかもしれないし…」


なんて思ってました。

※私は当時、仲間も大事でしたが、売れたい!と、だけしか考えていませんでした。今は一緒にバンドをする仲間の方が大事だと思います。当時の私の心情です。※



でも、県の中心部でも活動し、オリジナル曲でLIVEしたり。チャラバンドの行動力は魅力的だとも思ってました。

でも、迷ってました。このままチャラバンド一本なのか。


そんな事を思ってた矢先


とある日


私はチャラバンドのボーカルの家へ招待されました。



ボーカル「俺達、こんなバンドやってくからさ」

そうして、聞かされたバンド。

それが



the band apart

※15年前の公式のPVも、Spotifyもなかったです。↑のYouTubeは最近のPVですが、曲自体は15年前ぐらいの曲です。アコースティックVerだけど。


私は衝撃を受けました。

こんな素敵なバンドがいるのかと。


私が当時、出会った事ないジャンルのバンドでした。


そして、ボーカルは更に他のバンドも出してきました。


DOPING PANDA

↑最近のLIVEですが、当時の曲

ACIDMAN

BEAT CRUSADERS

だいたいこんな感じでした。

私はジャンルより、メロがいいって思えるようなバンドとやりたいと思ってました。

ボーカルが出してくるバンドや曲はまさに、私のツボでした。

そして、私が知らないジャンルでした。
(今の30代のインディーズ好きな人が知ってるようなバンドを、15年前の高校生の私はほぼ聞かなかったのです)


私はギャップ萌えしてしまったのです。


「え、今までチャラかったのに、急に男らしい。めっちゃ私のツボつくやーん。これは恋?」


と、なりました。そして、チャラバンドのボーカルが聞かせるバンドは、どれもメロディが私にとって美しく、私はそんな彼に魅了されました。


そして、私は決めたのです。



チャラバンドを本命とする!と。そう思いました。



そして、掛け持ちバンドには「他のバンドが忙しくて。すみませんが辞めさせてもらいます」と告げ、掛け持ちバンドは全て辞めました。


そして「チャラバンド」は

「私達のバンド」になりました。



こうして彼らと出会い活動していきます。


運命のバンドと出会った私は更に活動を増していきます。


高校を出て、私も19歳になります。

そして、人生は大きく動きました。

次回。とある対バンとの出会い



余談



私は高校の頃、田舎の2階建の一軒家に住んでました。

そして、ドラムスティックを持ち、ぶんぶん振り回してエアードラムをしてると

コロコロコロコロ…と落としてしまいました

たった一回。一回落としただけ。


私の部屋は一階

そうすると、二階から


ドドドドドド!


と、物凄い足音がしてきて私の部屋に誰かがやってきました。


親父です。


そして

親父「おい!てめぇ!何時だと思ってたんだ!」

私「23時だよ!」

親父「あぁん?てめぇ!こんな時間にドラムやりやがって!!」

私「俺にとっては『こんな時間』じゃねぇからそれに落としたんだよ!やってないじゃん!本物のドラムなんてないし!」

親父「ガキのくせになめやがって!」


と、言い放ち、私の部屋に都合よくある大量のダンボールを親父は蹴り、物凄い勢いで飛ばしてきました。

極真空手黒帯の力で。


本当、怖かったです。私も反抗期が抜けなくて生意気でした(理由は、親は一回離婚してるのです。親父が不倫して。で、また母と戻りました)

でも、私を物理的に殴ると言うことはしなかったです。

親父は空手をやってた人だから、格闘家シップにのり、物理的には攻撃しないという理性が働いたのでしょう。かね。

今考えると、親父は朝から夜まで働いてくれてて、有り難かったと思います。

終わり






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