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減らない支出、辞められない労働と精神状態

 先日、夜に働くことで少しはお金に余裕ができたと書いた。それに伴って犠牲にしているものに関して書き綴っていたつもりなのだけど、今月のクレジットカードの支払い金額と別の請求書を見て「結局全然余裕ないじゃん」と笑えるほどの衝撃を受けている。1ヶ月前は夜の収入がなかったけれど、一体どうやって生活していたのだろう。今年の春過ぎに行ったヨーロッパ旅行(それでも2週間の日程の殆どを旦那の家族や友人宅に泊まったので滞在費は数日分のみである。)の出費をようやく払ったと思ったら、脂肪吸引をしてしまったので仕方がないのかもしれない。あ、会社の手当があったのでそれをありがたく頂戴していた。
 先日は住んでいる地域のお祭りで服や食べ物にがしがしお金を使い、改めて自分の短絡的なお金の使い方に気づいてしまって、むーんとなっている。脂肪吸引のローンを支払う代わりに、通っていた月額制のジムも辞めたのに。先日のお客様に「手取りでそれだけ貰ってるのに夜働かなくちゃいけないってことは、相当金遣い荒いよね?」と言われてしまったが、そうなのかもしれない。しかし、改めて思い返してみると贅沢をした記憶はそんなにない。ただ、気になることにあれもこれも手を伸ばしていった結果である。そして一つ言えるのは、自分の身の回りの人間は総じてきっと私よりも随分と高い給与やら資産やらがある筈である。国内海外問わず旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、高いシャンパンを開けたり、ブランド物を身につけていたり。美容にも健康にも気を遣っている。世の中の日本の女子は、一体どこからネイル費やらマツエク費やら、可愛いお洋服代を捻出し、毎日綺麗な髪と眉毛と肌で歩き回れるのだろう。私は3ヶ月に一回しか美容院に行っていないし、正直それも苦しいし、眉毛もまつ毛もネイルも人任せる習慣も予算もない。眉毛は自分でブリーチしているが、綺麗に揃えきれているわけではないので、野暮ったさは否めない。髪なんか量が多くて下ろせないので毎日オールバックのお団子である。勿論、デパコスなんか手が届かない。
 私も短大卒で劇団員をやりながら、夜も昼も身体と時間を使って働いたことがある人間である。挙げるとキリがないが、バーだけでなく、普通の飲食店、お中元コーナースタッフ、販売ケーキ屋さん、イベントの手伝い、塗装スタッフ、介護スタッフ(資格なし)、様々な工場勤務、警備員など、ティッシュ配りなど、舞台の予定に合わせる為、そんな状態でコロナを生き抜くために色々働いた。その後初めての正社員としての勤務は求人広告の営業だった。テレアポをし、歩き回って商談を行った。締め切り前にギリギリまで原稿のチェックと申込書の回収を行った。今は外資系勤務で、在宅で、営業の時よりは凄まじく良い労働環境で、手取りもボーナスも福利厚生で頂ける各種手当も圧倒的に良くなった。だから、自分の環境が恵まれていることぐらい重々承知しているつもりである。でも、足りない。全く足りない。
 短期的な解決策ではあるが、夜外にでて遊ぶことにお金を使ってしまうよりは、少しでも働いてお金を稼ぐことで生活費の足しにするのは、常にぎりぎりで生きている私のような人間にとっては、妥当な選択肢だったような気がする。手元に少しでも現金があるのとないのでは、安心感が違う。働かなければ既にメンタル崩壊か、ぷち破産して、旦那や母に迷惑をかける事態となっていたのかもしれない。(ちなみに私結婚はしているが、お互いの給与や貯金や借金に関しては一切共有していない。共有の生活費は全て割り勘である。来世の夢はセレブ妻。)
 そんな中、話は変わるが、先日バーで氷を入れておくアイスペールを割ってしまった。元々不器用で他が滑りやすい上に、ウイスキーを何倍も頂いていて、酔っていたのは間違いないし、洗い物を続けた手指は指紋が薄くなって、つるつるであったし、それまでも何度も細かいものをちょこちょこ落としていた末の結果だった。お店のものを破損してしまったことに対する申し訳なさと、誰かを怪我させてしまうかもしれないという静かな恐怖感に心が苦しかった。お客様も一緒に働いていた先輩の女の子も笑って慰めてくれていたのだが、後に這いつくばってカウンターの奥に散らばった硝子を広い、何度も掃除機を当てているうちに、これを生涯やりたくはないな、と思ったのである。自分のミスで破損した硝子を片付けることが嫌なのではない。自分以外の誰かのプロパティで、自分以外の誰かの所有物の破損などというミスを犯し、心苦しくいる他にはない状況が嫌だったのである。
 硝子の破片を取り切るために使ったのはDysonで、普段お店で利用しているのはmakitaの掃除機だった。奇しくも、劇団員の端くれであった頃、舞台の掃除に使っていたものと同じだった。新人は殆どの場合、積極的に竹箒を使って掃除したのだが、そこには先輩が使うDysonとmakitaがあった。その夜の私は、その団体の中で自分が一番立場も能力もない、劇団の新人の頃の精神状態と一緒だった。いや、バーで働き始めた最初から、一見優しさに包まれたように見える、縦社会、お店のオーナー陣をトップにしたヒエラルキーの世界観に舞い戻っていた。そんな私の心情をまざまざと描いたような夢も見た。その世界の中では、皆優しいのである。優しくて、情があって、暗黙の了解があって、正しいのは常に一部の人間だけなのである。
 私は自由になりたい筈であった。社員として勤める会社では自らの精神的開放の為に、今後できるだけ日本企業や日本人上長の元で働きたくはないと思っていて、それを口にも出すという傲慢さがあった。しかし、意図せず戻ってしまった世界観には、今の私ではまだ弱い。卑屈で立場のない新人ポジションでしか居られない自分を発見し、改めて、生活の為といえど、何を選んで生きていくか、考え直さなければならぬと思うのである。
 
 

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