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馬は、子どものエネルギーの源泉

鳥羽さんのポストから思い出したこと

数年前に中学生の子が数日滞在した。 馬の世話(エサやり、ウンチ掃除など)は、馬の暮らしのサイクルとして一緒にやってもらうが、それ以外の活動は、自分で選び取ってもらう。(どんなことが出来そうかは提案はするけど)

前半は、スマホとにらめっこする様子が目についたが、次第に焚き火したり、乗馬したり、調馬索で馬を走らせてみたり、とやりたいことがどんどん沸き起こってきた。彼の様子を見てて、馬の暮らしのサイクルがそのエネルギーの源泉にあると感じた。

まずは、他者である馬ために身体を動かす。馬が暮らしのリズムを刻んでくれる。 最初は、馬に動かされる、馬のために動かすという感じだが、 身体を動かすうちに、その人の身体がひらき、 外発的なところから内発的なエネルギーに変わっていった。

この子にとっては、馬がエネルギーの源泉となった。 何も無いところから〈やる気〉は起こらない。 はっきりしているのは、親の「勉強しなさい!」は、〈やる気〉が削がれていく。

僕も他者が力が湧く存在で在りたい。 直接子どもに対して力を引き起こすことができなければ、その子の周りの環境を整える方に力を注ぐ。 三陸駒舎としては、エネルギーが湧く他者・存在との出会いが生じる場としての環境づくりに注力したい。(2024.5.13)

この話は、以前投稿した記事の「馬との一体感」にある
【受動態→能動態→中動態】の話にも通じる。

能動の段階では、エネルギーを消費するが、中動態になると、エネルギーの循環が生まれる。


冒頭で紹介した鳥羽さんのポストから展開された投稿

鳥羽さんの子どもと親のことを綴った書籍、どれも胸に刺さります。

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