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自己紹介| 『7つの習慣』と教師とわたし

はじめまして

こんにちは。私は、学校の教員として働いている女性です。社会科教員として地歴分野を中心に教えています。

noteを細々と始めて2年が経ちました。もともと文章を書くことが好きで、誰かと考えを共有することが好きだったので始めたのですが、今では自分自身の思考整理ツールとして救われている大切な場所となっています。

どのくらいの人が今までのnoteを親身に読んでくださってるのかは分かりません。でもせっかく続けているのだし、改めて自己紹介を書いてみようという気になりました。

人生の中で一番の節目は、『7つの習慣』に出会ったこと

振り返ってみると、自分の人生の転換点の一つがフランクリン・R・コヴィーさんの『7つの習慣〜人格主義の回復〜』を読んだことでした。

なぜそう思うのか、それ以前の自分はどんなふうに生きてきたのか。そして今は何に悩み、どうしようとしているのか。そんな問いを立てながら、自分自身について語ってみます。

昨年書いた記事を少しリライトしたものではありますが、よろしければ読んでみてください。


1、私がこの本と出会ったのは、大学4年生の時。

人は物事を自分の見たいようにみている。

思えば私は、この言葉に出会うまですごく生きづらい生き方をしてたように思う。

当時の私は教育実習の前後で、漠然とこのままでいいのかな、なんて考えていた。教員になることは自分の中で決めていたし、迷いは多くなかったのだけれど、私という人間そのものに対してものすごくもやもやしていたのだった。

2、何に対してわたしは不満だったのだろう。

自分をさらに遡る。

中高時代は私立で、コツコツととにかく真面目に勉強することが特技な生徒だった。だから、学年でも成績最優秀者だったし、部活でも役職をもらって自分なりに学業と両立していたし、とにかく満足できる学生時代だったと思う。今思えば、そのステータスこそが、自己を満足させ、肯定できるものだった。

大学に入学した。有名大学への入学で、私は最高潮に意識高い自分になっていた。フル単プラスアカデミックなゼミに入り、学生然としてやるなんて意気込んだ。

そこで、人生の転機はおとずれた。ある、音楽系のサークルに入ったことである。もともと歌うことが好きで、いろんな人と歌えるような活動に憧れていたのだ。私は迷いなくそこに身を置くようになる。

そこでは複数人で、バンドを組み、各々で活動するのが基本だった。大きなライブの時にはオーディションがあった。初めて自分の歌が誰かに評価されるという経験をした。

結果は、ボロボロだった。

いや、今思えば自分が勝手にそう解釈していただけなんだけれども、とにかく当時はそう思った。その頃から、サークルという集団の中に、〔勝者〕〔敗者〕の認識が生まれるようになった。

歌がうまい人は当然たくさんの人から声がかかる。私は、そうじゃない側の人だった。

そこで、自分から声をかけていけばよかった。そこで、練習して努力すればよかったのだ。でも、しなかった。

自分には〔絶対音感〕がない。自分はあの子たちみたいに〔ずうずうしく〕先輩に話せない。そもそもそんなにガチじゃなくて、楽しく歌いたいだけ。私は授業も多いし忙しいから、ちょっとしか時間を割けないのに、ここまで尽くしてあげてるの。

3、人生初めての片想いと行動原則(無意識)

ありがちな話だが、中高はガリ勉だった私が、サークルに入って初めて恋をしてしまった。普通だったら中学生くらいで経験するような、盲目的なものだった。

学業には途端に手がつけられなくなった。授業を切るということを覚えるようになった。かわりにその人に会える時間を工面することを最優先にするようになった。その人にどうみられるかを最優先する様になった。

まあ、その恋の行方は言わずもがなな感じだったのですが、そこから私は、以下の2つが行動原則となってしまった。

①他人に、自分をどう良く見られるか。

②自分がうまくいかないのは周りのせい、環境の難しさのせい。

こうして、積み上げていくこと3年間。私は、外見だけ気にし、自分がどうすることもできないことばかり関心をもつ批評家となった。

よく話すサークルの友達は、人ができないことばかりを焦点化する話が好きな子で、自分をうつす鏡だったように思う。

周りの就活が本格化する中、自分は大学院に行って専修免許をとるか、教員になるか悩んでいた。また、サークルには、その忙しさを理由にめっきり顔を出さなくなっていた。

日々の生活が、自分の首を真綿のように締め付けていって、息苦しくてもがいていた。同時に、今の自分を肯定できる材料なんてほとんど残っていなくて、こんな自分で良いのかと、もやもや悩み続けていたのである。

4、そんなこんなで、大学4年生の自分がしたこと。

そうして、誰かに救いを求める気持ちで、本屋を徘徊した。幸い、本を読むことは大好きな私だった。そして、『7つの習慣』をたまたま手にした訳である。

本屋で立ち読みして、最初に目にしたフレーズが、冒頭に記したものだった。

人は物事を自分の見たいようにみている。

人は、メガネのレンズに色がついてるように、それぞれが見たいように世界を見ていて、本当の意味で客観的な事実を見ているわけではないということ。自分の都合の良い解釈に基づいて物事や他者を見るということ。

ああ、これ、私だ。

本屋の中で恥ずかしいくらい泣いてしまった。

自分がうまくいかないのは、周りが誘ってくれないせい。自分が周りと違って親から厳しく言われるのは親のせい。授業に出られなくなったのは、サークルのせい。あの子たち目立って活躍しているけど、裏でこんなにささえている私たちのことなんか目もくれないなんて。

全て、私の色眼鏡から見た世界だった。

もっと活躍したいならもっと練習すれば良い。もっと学業したいなら、両立できるように自分でコントロールすれば良い。練習しないと選択したのは誰?できない自分を受け入れず、プライドだけを守るために言い訳をしてきたのは誰?

まず見方を変えて、自分から変えていくことしかできないということ。インサイドアウトというそうです。

主語を自分にして、主体的に生きること。

影響できないものにあれこれ思いを巡らさないこと。影響の輪を広げるために、自分自身を磨くこと。


全て、私が逃げていたこと。見つめてこなかったことだった。

5、社会人になって実感した「主体的に生きる」と苦悩

幸運なことに、社会人になって、これらのことを体現している人に出会えたことで、確信することができました。それが、今の旦那さんとなるのは、また別のお話です。

そこから数年間、「行動」「自分が変わること」を信念として今まで走り続けてきました。しかし、結果としてわたしは今、休職しています

自分が影響の及ばないことに関しては思い悩まない。今、ここにいる自分ができることだけを考えて行動していくこと。その信念は段々と、そうじゃない自分を「否定すること」につながっていきました。

本当はこんなふうに活躍したいし、そのためにはもっとみんなを巻き込みたい。さてそのために何ができるのか。わたしはこんな影響力しかないのか…。あ、また、関心の輪にばかり執着している。また後戻りしてる。それじゃダメなんだよ!
いや、今は考えたくない。もっと好きなことだけしていたい。ゲームとか読書とか最近できていないな。
いやでも、それならその時間を作ればいいだけのこと。でも、そうすべきじゃない。主体的に生きるために逃げるな。じゃあやってみよう。あれあんなに考えたのに、全然今追えてない。今どのくらい成功している?失敗しているような気がする。もっと分析してみなきゃ。
もっと、もっと、今できることを考えなきゃ……

自分語りの終わりに:あの頃の自分へ

変わらないと死んじゃうなんてことは、ないよ。大丈夫。

仕事も何もせずにぼんやりしているだけでも幸せだよわたし。ということは、今この瞬間、仕事にかかわっていなくても、何の問題も起きていないってことだよ。

もし、もう一回職場に戻って、同じように何かをしようとした時、何もしていないこの日々を思い出せばいい。何もしなくても充分今が幸せなんだから。

だから、自分が変わろうとするのは、本当に気が向いた時に挑戦してみればいいし、違うなーっと思ったら、その自分から離れて、趣味にきゃっきゃしている自分でいればそれでいいんだよ。

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今の自分が出した結論は、「本に出会って世界が変わった」と思っていたけど、変わりたくない自分の世界もちゃんとあるんだよ、ということです。

これからのわたしは職場復帰をするために、わたし自身の考え方の癖と向き合ったり、気分が落ちた時の回復アクションを掘り起こしていこう思っています。引き続きnoteにお世話になります。

今後ともよろしくお願いします。

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ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
よかったら、ほかのエッセイや読書ノートも目を通してもらえたら嬉しいです!

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