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#14 休職中のわたし「はたらくって何だろう」|休職エッセイ

こんにちは。
わたしは中学校の教師をしています。現在、休職中です。
この働いてないわたしが、「はたらく」をどう捉えているのか自己分析してみました。


長らく、「お金のために働いてない」と思っていたけれど

「はたらく」と言う言葉を聞いて、真っ先にイメージしたのがお金でした。

”お金を稼ぐために価値を創造すること”

それがわたしが率直に思い付いた「はたらく」の言葉の意味です。

しかし、現実にはたらいていた時の”実感”は全く違っていました。

「お金をもらうために働いているわけじゃない。わたしは自分がやりたいことをやるために、この職場にいるんだ。給料が安くても、今やりたいことができているから何も関係ない」

つまり、実感としての「はたらく」は、
自分が求める価値を創造すること(お金は生活に溶け込む透明なもの)”
という感覚でした。

自分が実家暮らしだったこと、生活に特に困ったことがなかったことが大きく寄与している考えだなあと思います。その感覚のまま結婚し、共働きになったので、基本的に考えはあまり変わらないまま過ごしてきました。

しかし、休職したことでその感覚は大きく変わっていきます。

通帳を見て青ざめる

休職期間はとにかく自分の体調を治すことに注力したかったので、通院やカウンセリング、リフレッシュに必要な費用はどんどん落としていきました。今もそのことに後悔はありません。

後悔はありませんが…
復職の時期を考えだした頃、私用で必要になったお金を調達するため通帳を確認。すると、びっくりするほどお金が減っていました。

いや、もちろん使っていたので当たり前のことではあるのですが、復職、と言う未来のことを考えたことで、生活そのものの現実味を帯びてきました。
その瞬間、心が大きく動揺し、不安で溢れたのです。
冷静に考え直せば、今後復職するなら給料は入るわけですし、全然問題なく過ごせるわけなのですが、その心の不安感に初めて気づくことができたわけです。

”そうか、自分の心が穏やかでいるための生活には、お金が必要なんだ”

めちゃくちゃ恥ずかしいセリフですが、当たり前のことを「心」で、しかと気づいた感覚だったのです。子供の頃からその心配を感じさせなかった親にむしろ感謝なのかもしれませんね。

ということで、ここで自分の中での「はたらく」の実感にようやく”お金”の前提が登場してきます。

改めて、「お金のために」はたらくの?

じゃあ、お金の必要性に気づいたから、やっぱり「お金のため」にはたらくんだと思ったの?と自分に問いかける。

すると、「それでも、なんか違うな」と答えが返ってきました。

ここで、お金をどう位置付けるのかを再び考えてみます。

お金をもらうことで、心が安定するくらいの生活が保証されます。
でもそれだけじゃなくて、お金をもらうことで「もらってるんだし、ここまではやってみよう」という行動の動機になるんじゃないかと気づきました。
「お金をもらうために」ではなく「もらえることによる安心感と責任感」で、自分だけじゃ絶対にやってみようと思わない何か(趣味とかで選ぶ作業じゃない何か)もやってみようかな、と思えるのです。
重い腰を上げるきっかけになるというか。

休職している間、自分の好きなことだけをしていた時間を過ごして、ようやく、仕事していたときの自分の前進ぷりに気づくことができたのですね。
今、同じようにやれって言われても「めんどくさい」が勝ちますから。

では、わたしにとって、はたらくって何だろう?

がむしゃらにワクワクしながらはたらいていた日々、わたしは何のためにはたらいていたのだろう?過去の自分を思い返しながら、問うてみます。

すると思い出された情景がありました。

高3の卒業式で、「先生でよかった、出会えてよかった」と泣かれたこと。
担任生徒から、自分と向き合うことができたと手紙をもらったこと
学習プログラムで指導してきた生徒が大きく成長した実感を話してくれたこと。

どれも、自分が存在していてよかったと思わせられる体験だったんです。
自分が誰かにとって大事だったと気付かされる体験。かけがえの無い自分だと承認された体験でした。

休職している今となっては、他人から承認されるのを待つだけなのはとても苦しいことだと気づきます。自分で自分を認める、そんな習慣作りに奮闘中です。
でも、それでも、誰かから「いてくれてありがとう」と認めてくれる時間は、何よりもきらきらしていて宝石みたいな時間だったと気づきました。

でも、それって趣味の中でできる人間関係とか、自分の家族とか、将来の子育てとかでも体験できることなのでは?
わざわざ「はたらく」を通じて到達したい目的なの?

その疑問について、自分はこう考えました。
自分の趣味・家族などからの体験は、自分の知っていることだけの世界。既知の世界。この既知の世界だけでは辿り着けない体験をするために、はたらく。

休職中のわたしが考える「はたらく」は。

というわけで、はたらいてもらえるお金はわたしにとって、自分では選ばない何かを選ぶ「重い腰を上げるきっかけ」だし、「背中をチョンと押してくれるエネルギー」でした。

その上ではたらくことの目的は、
自分一人だけでは、決して選ばない、得ることができない時間を味わうため。
そして人生の最期に、自分の心が納得するための”記憶の貯金”の一部にするため。


さて、そろそろこの仮説を検証する時期に入ります。
復職まで、のこりーーーー

🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊

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