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【投稿391日目】許されたコミュニケーション2

こんばんは!







私は人や状況に応じてキャラが変わります






カメレオンみたいに
周り色に染まっていることもあれば
私はここですと
言わんばかりに目立つことも・・・






数年前にある友達から言われました、
(先輩に対して)何ごまをすっているのかと。
この前も別の人から
○○は猫被っているのかと。







実はお恥ずかしい話
ごまをするという言葉を
友達から言われて初めて知りました







全員からではないとは思いますが、
一部の人たちからは
そのように思われていたのかなと思うと
何というか・・・





自覚なくごまをすっていたのかもしれないし
ロールパンナちゃんのように
善の心と悪の心をもっているのかもしれない…


色々な場面で魅せている自分も自分であって
これは本物の自分ではないということはありません





もちろん
心が無理をして接しているのであれば
考える必要があります







恐らく
私がカメレオンになれるのは
一定の距離感が保たれているから。







職場やイベントなどの一時的な場面で
自分の中で境界線を引くことで
実は自分を守っている





大人数の場所はあまり得意ではなく
気疲れしてしまうので
過度にエネルギーを
消費しないようにしています





一人か二人が私には合っていて
それ以上となると少し考えてしまいます






うまく言えないのですが、
どうやら自分には
一人の時間が必要みたいで
自分の領域に入られたくない的な?





自分のことをあまり人に言うこともなく、
基本的に聞くスタイルを貫くことが多いです。







そのおかげで
喋り下手というか
自分のことを
上手に話せなくて焦っています(笑)






また喋りだすと
マシンガントークが
とまらなくなってしまうので
あえてセーブをかけているのかも…







気がついたら自分の話をしていました、、
自分語りは……要望があれば(笑)









さてここからが本題です。
以前も似たようなことを書きました

年上の方とのコミュニケーションについて







部活動の経験や
育った環境の影響もあって
どうしても違和感を感じていた
許されたコミュニケーション






そのような場面で
第三者としていたときに
語尾が敬語じゃない人がいる





そして
受け手はそのことを気にしていない様子






言葉をそのまま受け止める私にとって
上下関係の世界で
上の人に対して
全部ではないけれど
語尾がためになっていることに
とても衝撃を受けました





衝撃を受けたといっても
それは中学のときの話なんですけどね(笑)







教わってきた話が
現実や常識であるという認識でいると
ところどころ
カルチャーショックが起こるわけです





まぁそれが
逆に視野を広げたり
学びにつながったりする
ので
今ではどーんとこいって感じです







現時点の考察としては
上下間の信頼関係が築かれたとき
会話の中に語尾がためっぽくなるのも
上の人は認めているのかなぁと。






他にも
そもそも気にしていなかったり
逆にそこまで
かしこまらなくてもいいと感じていたり…








そして
きっと敬語の中にも
親しみやすい先輩と
かなり上の役職の方とでは
使い分けがなされて

親しみのある先輩とは
物理的にも精神的にも
距離が近くなる
ことから
言葉にカジュアル
さが含まれ
結果的に砕けた言葉遣いになるのかも。






敬語すぎると
かえって相手が壁を感じて
距離感が縮まらない
といったことも
あるのではないかなと思うのです。





 


それを踏まえると
どのタイミング
カジュアルな言葉選びをしていいのか








そして
どのような人であればそれが許されるのか
私が人間関係において気にするところです。







まぁこれも
相手との良好な関係を築きたい
気持ちが隠れていて
どう思われてもいい精神であれば
そもそも
ここまで考えることもないのかなぁと。






そういう意味では
毎回 何事も遠回りしている気がする私ですが、
甘さを知るために辛さを体験しているんだと
今では前向きに捉えています(笑)







もともとのコアな性格(面)があって
状況によって
そこから派生していき
カメレオンのように
変化しているのだと思います。







恐らく
素で接することができる、とか
着飾らないでいられる、とかは
このコアの部分に
より近い状態でいられるということだと。






そして
この感覚を表すのに近い表現に
安心感落ち着くといった言葉に
なるのかなと思います。






心の底から自分そのものでいられる空間
この人なら大丈夫だと思える人
エネルギーを充電できるところ







心身がホッとするような
心の居場所があるならば

外ではカメレオンでもいいと思います。







これはある意味
メリハリというか
自分の中でオンとオフの切り替え
キャラを意識して演じることで
区別しているのかもしれませんね







言葉のカジュアルさや
振る舞い方などは
本やインターネットで
学べるかもしれませんが
実際に体験しないと
感覚的にわからない
気がします。











心の動きの言語化は
万人に向けて文字という手段で
それを示しているわけで
スポーツのように
自分が経験しないとわからない






このカジュアルさをどうやって学ぶのか
どうやって身につけるのか
それは…











自分がいつもいないような場所










価値観の異なる人たちが集まるところは
吸収できるものがたくさんあるので
人間関係における様々なコツは
ここで知ることができます。









だから人生は面白いんです










身の回りには学びしかないという
認識に変わったとき
実は多くの学びの種があることに気づきます。








それは
急に現れたのではなく
みえていなかったものが
みえるようになっただけ。







学びは成長のためにある







上流に向かってのぼり続けるか
それとも・・・







それはそれぞれが望む方向に
進めばいいのかなって思います。









最後まで読んでいただき
ありがとうございました!






ということで 今日は この辺で。

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