消嘘

炭酸はすっかりぬけてしまった。それでも口へと流し込むと、ただしつこい甘さだけが口の中に…

消嘘

炭酸はすっかりぬけてしまった。それでも口へと流し込むと、ただしつこい甘さだけが口の中に残っていく。 それを洗うために氷のとけた、ぬるい水を飲み干す。

マガジン

  • うみを知るまで

最近の記事

醒めない夢を観ていた〈短散文〉

 目が覚めると、隣には君がいた。香水をつけたままの身体は、昨夜とは少し変わった匂いがしていて、それが妙に艶やかに感じた。重たい頭をゆっくりと上半身ごと起き上がらせると、肌寒さを感じたのか、君ものそりと起き上がってこちらを気だるげな目で見つめる。 「おはよう、早いのね」 そう言って君が指さした先の時計は朝の6時を示していた。 コーヒーでも淹れようか、と僕が言うと、 「紅茶がいい」 と君は言いながら部屋着を着て寒そうにしている。僕もそれにならって、適当なスウェットで身体を覆った。

    • 幼稚[短純文]

       この頃、よく昔のことを思い出す。 別に、感傷に浸っているわけではない。 あの頃の私がいかに幼稚だったかを、反芻しているのだ。 幼い私は、なぜだか全てをわかった気でいて、それでいてわからないふりをしてやっていると思っていた。 親はこうあるべきで、子供には子供然とした態度があるものだと思っていた。 そして私の家族と私はそれから少しだけずれていて、私はその家族からもずれていた。 それにすら、気づけなかったくせに。  幼い頃の私は、周りの子供よりも多少は耳ざとく、周りの視線には敏

      • 手持ち無沙汰[短散文]

         東から当然のように昇ってくる陽の光りを浴びて、起きる。目やにが溜まって開けづらくなるほど寝たので、布団からはすぐに出られない。大きなあくびをして、猫よりは下手くそに伸びをする。柔らかな誘惑からやっとの思いで抜け出して、台所に向かう。  一人暮らしをすると決めた時に、大は小を兼ねると思って買った、1人には大きすぎるオーブントースターにのせた食パンが、いつも寂しそうに見える。近所のスーパーで決まって買うバターを塗って、一口かじる。どうしようもなくパンの屑がこぼれ落ちていって、苛

        • 清濁など、知らなかった。[短純文]

           今を彩る新進気鋭の表現を携えたSFも、全米を泣かせたラブロマンスも、時代を超えて愛されてきたファンタジーも、すべてが目を滑る。  どれもが素晴らしい、優れた作品であることに間違いはない。 自分自身の心が、鈍く、遅く、張り詰めてしまっているだけだと。 そう思ったのは、映画館のひとつ席を空けた隣に座っていた女性が、話題作の上映でぼろぼろと声を押し殺しながら涙を流していたからだった。  その姿にわずかに衝撃を受けながら、上映が終わってから歩いて家に帰った。帰り道に寄った若者が集う

        醒めない夢を観ていた〈短散文〉

        マガジン

        • うみを知るまで
          4本

        記事

          陽炎[短散文]

           眼前に足を畳んで転がる蝉があった。 茂みから突如飛び出して、僕の頭に勢いよく衝突したあと、しばらく周囲を漂ってから眼前にこてんと落ちて動かなくなった。ただそれだけのことが起きた。  夏半ば、眠気を抑えるためにコーヒーを買いに出た。 空気が喉に重たくのしかかってくる。電線が走る黒い空に数少ない星を見て、少しいびつな作りをした曲がり角を曲がったとき、前頭部に衝撃を覚えた。次の瞬間にはなぜか目の前で命が絶えていた。  勝手に飛んできてぶつかって、その命が目の前で鳴き止むのをわざ

          陽炎[短散文]

          ただその笑顔をみたかった。[短散文]

          僕は心から誰かを愛したくて 誰かに愛されたかった ぎゅっと抱きしめて それを優しく受け入れてくれる その誰かはきっと誰かじゃなくて きっと君だった けど君はもう遠くに行こうとしていて 晴れ晴れとした顔をした君を見たら それを引き止める気なんて、まるで起きなかったんだ 君が幸せなら、それでいい 僕はきっと2人で幸せになれるような 器用な人間ではないから だから君は誰かと幸せになって それが僕の唯一の救いで 僕のひとりぼっちはそっとどこかに 誰かに気づかれることもなく そ

          ただその笑顔をみたかった。[短散文]

          つよいことば[短純文]

          「死にたくなったことはありますか」 目の前に座る白衣を着て眼鏡をかけた、あまり身なりに気を遣っていないような素朴な女が、パソコンでカタカタとカルテのようなものを取りながら、 目もくれず機械的に話す。 「え?」 身じろぎして、息を漏らすようにした。 そうして息を吐き出さずにはいられなかったのかもしれない 女は手を止めて、今度は小バエのように飛び回る僕の黒目を見定めて、鈍重に口を動かす。 「今まで生きてきて死にたいと思ったことはありますか?」 問い詰められているわけではない、彼女

          つよいことば[短純文]

          かさぶた[短散文]

           小さい頃は、何か些細なことで泣いて、その度に周りを困らせた。 大きくなれば、きっと心が強くなって、大人たちのようにいつも同じような顔して暮らしてくのだと思っていた。  思春期に、身近な人が立て続けに亡くなっていった。 もうすぐ大人だから、泣いちゃいけないと思っていた。 けれど周りの大人は夕立のように泣いて、晴れた顔して帰っていった。 人が亡くなったときは、大人でも泣いていくのだと知った。  すっかり大きくなった時に、何かに心を掴まれて泣くことがなくなった。 苦しい生き方をし

          かさぶた[短散文]

          高潮[短散文]

          最後に純粋なまま心が震えたのは、 もういつのことだろうか。 声は縮み上がり、胸は鳴り止まず、 それでも想いを伝えられたあの時は、もう来ない。 身体だけが大人になり、心は瘡蓋だらけ。 傷みにも優しさにも鈍くなってしまった。 きらめく街と人々から目をそらし、一人で何を焦るのか急ぎ足。 強がりと言えばそれまでだが、これは抵抗だ。 もう二人で歩む人生はないという事実から、悟られないように、 できる限り静かに、早く、遠ざかりたいのだ。 「名前は?」 今まで通り、本を読んでいた。休み時

          高潮[短散文]

          なんでもない。〈短編小説〉

           真っ白な空が所々ひび割れて、ゆらゆらと光が流れ出ている。  早朝からのアルバイトを終え店を出ると、日曜日の河原町通りはすでに多くの人間でごった返していた。最近眠りが浅く、疲れがとれないせいかよく音が鳴るようになってしまった肩を軽く回して、千春は慣れ親しんだ人混みに溶けていった。買い物客や恋人たちで賑わう繁華街を、するすると足早に通り抜ける。千春は通行人の、連れ添う人に向ける表情や歩き方を見たり、他愛ない会話の内容を盗み聞くのが好きだった。その人の全貌までは見えないまでも、そ

          なんでもない。〈短編小説〉

          天気予報〈短文〉

          あの日はたしか、雨が強く降っていた気がする。 風も、いつか川辺で僕の頬をそっと撫でてくれた時とは、全く違う顔で、激しく窓を叩いていた。 その時、なぜ母は泣いていたのだろう。 父は、大きな声を張り上げていた。 家の中は、きちんと行儀良く並んでいたはずの家具たちが、ところどころ壊れたりしながら寝転がっていた。 今朝まで、テレビの中にいた綺麗なお姉さんは、今日は青空が続くと言っていたのに。 風が、雨が、父を別の何かに変えてしまったのだろうか。   ああ、うるさい。

          天気予報〈短文〉

          喉の熱[短編小説]

          六畳の部屋、腰よりも低く頭よりも高い窓、横に置いた縦置きの本棚、床に直接置かれた16インチのテレビ、紐付きの電灯。 人生で2番目に長く住んだ部屋。 1番目の彼からは男の身体を知り、2番目の彼からは付き合うことの虚しさを知り、3番目に付き合った彼からはこの煙草の銘柄を知った。 「なんで吸ってるんだっけ。」 火を付けたばかりで、ボソボソと燃える先端がつぶやいて、煙草だったものが崩れていく。 「熱ッ。」 手に弾んで床に落ちた灰が、黒く染める。 女は急いで手元にあったティッシュを多め

          喉の熱[短編小説]

          うみを知るまで(終)

          大学進学と共に、家を離れて一人暮らしを始めた。 流れで部活を決めて、すぐにアルバイトを始めた。 慣れない生活と未経験な仕事で疲れても、部活に参加した。 誰もいない部屋での1人は、想像よりも落ち着いたが、それよりも、夜はより深く、暗く感じた。 それからしばらくすると、すこし経済的に苦しくなって、アルバイトを増やした。 息をしているだけでお金がかかる感覚に陥ったときは、決まって明るくなるまで眠れなかった。 次第に太陽が、嫌に眩しく感じて、昼にも夜にも嫌われた気がした。 また僕は

          うみを知るまで(終)

          うみを知るまで(3)

          僕は、将来の夢を書くのが、いつからか苦手になった。 生きていても、自分の思い通りにならないことの方が多いし、予期せぬことが起きる方が多いから。 夢を叶える人間は、ごく僅かで、僕はその中の1人ではないと思ったからだ。 いつも困って、人のためになる仕事、人の役に立ちたいと、書くようになった。 つまらない、渇いた人生が、続くと思っていた。 死ぬために生き、その準備をし続けていると思っていた。 その事実から目を背けて、毎日を諦めて、ガムシャラに無駄に過ごしていた。 他の同級生と同じ

          うみを知るまで(3)

          うみを知るまで(2)

          朝でも夜でもない時間。 それが僕の時間になって、一番安らぎを得られる瞬間だった。 いつしか、人生に答えを求めるようになってしまった僕は、図書館で伝記ばかり借りて読んだ。 どうしたら、名の残る人間になれるのか、わかると思ったから。 世界の偉人や、天下人は苦悩していたのだろうか。 己がなんなのか、どうあるべきか。 きっと、こんなことを考えてる時点で、僕は、偉人ではないし、非凡な才能を持ち合わせていたり、特殊な環境に生まれ育ったわけではない。もちろん、伝記を読んでも、答えなんて見

          うみを知るまで(2)

          うみを知るまで

          いつからか、夜が怖くなった。 思い当たる理由は、いくつかある。 小学生の時に、ある恩人がいた。 ある日、その人と喋り、また来週と、手を振って別れた。 そして数日後に、亡くなった報せを受けた。 まだ人が死ぬとか、そういうことを全くわかっていなかった。 告別式に出て、亡くなってから初めて対面した。 その時、人生で初めて人の死に顔を見た。 正直に言うと、その頃の僕は怖くなってしまった。 ついこの前まで、元気に体を動かし、笑って喋り、僕に手を振ってくれていた人が、今この箱の中にいる。

          うみを知るまで